【歴史人】中国史書の記述が欠けた4世紀のヤマト王権の朝鮮進出 好太王碑や日本書紀に残る手がかり★2 [みの★]
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
古代中国の文献には当時の日本(倭国)のことや、その交易(朝貢/ちょうこう)の様子が、たびたび登場する。裏を返せば、当時の日本列島に住む人にとっても、中国大陸や朝鮮半島は身近な存在であった。3世紀の邪馬台国や女王・卑弥呼についての記述は『三国志』(魏志倭人伝)に紹介され、『宋書(そうしょ)』には5世紀に朝貢した5人の倭王のことが記される。
しかし、その間の約150年間、4世紀にあたる時期については中国の史書にみられない。このことが、ヤマト王権の具体的な成り立ちを分からなくしている。いわゆる「謎(空白)の4世紀」と呼ばれる時期である。当時の中国では魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国時代が終わり、五胡十六国(ごこじゅうろくこく)という動乱期に突入。439年に北魏(ほくぎ)が統一するまで戦乱が続き、統一国家もなく、倭国に目を向ける余裕がなかったという事情がある。
しかし、重要な手がかりが中国・吉林省(きつりんしょう)で見つかった好太王碑(広開土王碑/こうかいどおうひ)に残されていた。この碑は高句麗(こうくり)の好太王の業績を称えるため、子の長寿王(ちょうじゅおう)が414年に建てたものだ。当時の朝鮮半島は、高句麗・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の3国による勢力争いが激化していた。碑文からは、高句麗を中心とする朝鮮半島の様子、倭国の動静が確認できる。百済は399年、倭と同盟した。高句麗王は百済を討つため平壌(ピョンヤン)へ向かうが、そこで新羅から使者がきて、倭との戦いに力を貸してほしいと頼んできた。そのため高句麗王は新羅を救援した。400年、5万の軍で新羅の王都にいた倭の大軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。ところが安羅軍などが新羅の王都を占領した。
404年、倭の兵が帯方(たいほう/黄海道地方)に侵入してきたので、これを迎え撃って大いに破った。およそ、碑文にはこのようなことが刻まれている。百済や新羅より、海を越えて攻めてくる倭国との戦いを重視していたようにも読める。
…続きはソースで。
https://www.rekishijin.com/19649
2022年5月18日
前スレ
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★1が立った日時:2022/05/19(木) 12:46:10.97 >>842
そうか(笑)。
奈良は最古だらけでよいところだったよ。 >>829
台東区の第六天神社
上野公園の五條天神社
船橋の意富比(おおい)神社
秩父の三峯神社など
関東の特徴的な不思議な古神社がヤマトタケルの創建と伝わってる
木更津(君去らず)などタケルに因む地名も多い
古代朝廷が創作したとするにはむしろ無理がある >>83
しない
皇帝が中国を預かったのは神様から預かって、
伝国の国璽を譲られるのが正当だから、
前の王朝の歴史書を書くのはその次の王朝の義務
正史を書くことが、イコール中華文明の守護者なの
だから董卓みたいに殺して奪い取る簒奪するのをものすごく嫌がるわけよ。禅譲させたがるのね
日本の場合は下克上的に守護大名とか戦国大名殺すのはアリなんだけど、
天皇を殺しちゃうとえらいことになる
崇徳天皇とか安徳天皇とかね >>334
2005年に中国人研究家が見つけた広開土王碑の拓本が日本人が見つけたものと内容が同一だったので捏造説は完全に否定されたね
当時のスレはかなり盛り上がった記憶がある >>846
関東特に埼玉から群馬にかけては馬の生育に適していたと言われてるね
高麗は騎馬民族なのでその技術を取り入れるために移住させたのでは
その気性の荒い渡来人を管理するために強力な権力をもった氏族が派遣されたため古墳も立派なものが多いのだろう >>853
歴史を消そうって発想がそもそもおかしいよね
いくら日本人がIQを誇ってても西洋に全く歯が立たないのは歴史の忘却が一番の原因だと思う >>747 日本書紀で百済・新羅・高句麗の三つを指して三韓だと書いてあるだろ。
ただ、古事記には高句麗が含まれてない。日本書紀は明らかに話を盛ってる。 神功皇后が立ち寄った場所とか触った石とかあちこちにあるけどほんと眉唾w
神社も一つの商売だし、時の権力に擦り寄るものだし、俺が神社の経営者でも伝説の一つや二つ作り出すだろう。 魏志倭人伝には倭国?の国同士が内乱していて卑弥呼が即位したことで終結するや邪馬台による倭国の中央集権化が一気に進んでるのに
神武天皇は畿内に行くまで各国を渡り歩いてるのに戦いなんか一つもしてない
なぜか衝突が起きてない 神武天皇、卑弥呼、厩戸王子は実在した
それが現在の皇室の系譜となってるかどうかは別
大化の改新までの王室とそれ以後の皇室は別物 >>856
忘却してんのかな?
とりあえず太平洋戦争の失敗史だとか、
科学技術史については研究と教育たらなすぎると思うよ
日本人の何人が幕末にニュートン力学を日本語に翻訳して出版してるの知ってるかとかね
ノーベル賞も嫁さんの苦労を紹介するだけで具体的に何をしてるのか説明できてない
俺がスーパーカミオカンデの説明で一番わかりやすかったのタイムだし。
当時はまだノーベル賞取ってない >>855
朝鮮て馬を産出しないよな
朝鮮半島を日本が保護国にした頃の朝鮮の馬なんてポニーの三分の一くらいの大きさしかなかった
昔からそうだったらしく、高麗時代も女真族から馬を買ってた >>750 新羅と百済が独力でぶつかると、特に百済が弱いわけではない。一進一退の攻防を繰り返してる。善徳女王時代の新羅は、首都の近くまで百済に攻め込まれたこともあるし。
百済が滅びたのは、唐と新羅が連合して攻めたからでしかない。新羅が組んだ相手が強く、百済が組んだ相手が弱かったというまでのこと。 >>760 白村江よりずっと後に記された日本書紀に書かれた半島情勢を、白村江の前から日本が知ってた証拠なんてないんだが。 >>862
簡単クイズ ニュートリノ振動で本来ならノーベル賞取るべきだったのに取れなかったヒトって誰?
検索抜きの即答でヨロ >>772 デタラメだぞ。そもそも>>726はいつの話をしてるつもりなのかもわからんが、いつだとしても新羅が百済王族を皆殺しにしたことなどない。 >>846
敵対してないからじゃない?
小競り合いはあったんだけど、
曇徴も王仁も高句麗人なんだよ
ここで水車も漢字も初めて教わる
それ以降も高句麗とはやりとりしてて、
特に唐に負けてからは難民受け入れ積極的にしたみたい
ちなちに高句麗神話と日本の神武神話は一致点がとても多い
そこで全国に点在する高麗人を埼玉に集めたのが高麗郡
ここで銅鉱を発見したことで和同開珎が作られた
当然、朝廷から大絶賛
他にも百済郡や新羅郡など比較的技術者に荘園開発させるのは日本朝廷の悪い癖
清和源氏とか桓武平氏の関東にいる坂東武者はこの屯田開拓兵なんだな
結果武田騎馬隊に属して、信長に負けた後徳川井伊家に引き取られる
これが赤備 普通に考えて新羅のバックから唐が出てきるとは思ってなかったんでしょ。
ラスボス出現で日本は負けたんだよ。 鉄が欲しくて半島へ介入してたって昔から資源不足で困ってたんだな >>689
それをもって縄文の信仰って言ったら、世界中がかつては縄文の信仰だった事になるが? >>862
古代との繋がりが分かりにくいよね
それにどうも歴史が生かせてなくて、ただの出来事が羅列しただけの記号覚えでつまらない
これじゃ興味持てないと思うんだよね >>868
海から来る者が見て朝廷の権威が及んでいる地であることがわかるように >>875
砂鉄しかなくてね
鉄山みたいなのがなかったんだよ
実際刀の量産が最盛期だった室町時代には、
鉄は中国から輸入してるほど >>700
イザベラ・バードは
日本の農家一般家屋の畳にいるノミやダニ
それから味噌汁のこともクソ不味いと書いてた
なぜか日光東照宮やその周辺を絶賛してる
ただ北京や半島のように街全体に悪臭が漂っていたとかはない
半島に関しては
火病についての記述が驚いた
特に女性はケダモノのようで口から泡吹いて卒倒するとまで書いてた
半島にいるやる気のない自堕落な朝鮮人達と違ってウラジオストクにいる朝鮮人は別人種のようによく働くと褒めてる 問題は中大兄王子が自分以前の全てを否定した事
皇位継承権下位だった者が暗殺により継承した事を
無かった事にした、皇室の歴史を書き換えた事
神武天皇も卑弥呼も厩戸王子も実在していた >>864
群馬で馬を育てていたと思われる人が火山の噴火で亡くなって、そのまま埋まっていたのが発見されたりしてる。
このひとは朝鮮系だったと考えられている。
ところで、4世紀ころは百済、新羅が日本列島に勢力を扶植していたのは広開土王碑の記述から明らかなんだと聞いてるけど
日本の考古学的証拠はそれに一致するんだろうか。
たとえば古墳から発掘された文物、特に冠、宝剣、装飾具のような威信財が朝鮮半島系だとか。 >>870
統治はしてないんでは?
日本(大和王権?)が、日本が王を決め、日本の法を敷き、日本が徴税していたってことになるから。 7世紀までは倭国の時代、
8世紀から日本の時代、
白村江で倭国は敗戦国になって国力をなくした。 >>836
どういたしまして
中国人が奈良を訪問したがるのは、鑑真和上絡みもあるけど、本土では7、8世紀の仏教全盛期彫刻が(石仏や小金銅仏を除いて)ほぼ完全に破壊消滅しているからと聞いたことがある
この時代の優れた彫刻がまとまって残存している地域は日本以外には世界中どこにもない訳で、非常に有り難いことだと思う
是非奈良にじっくり仏像鑑賞に来てください >>863
畿内に行くまでって書いてあるだろ読めないのかお前は
神武は筑紫から安芸そして吉備に渡って吉備では3年間も滞在してるのに痕跡もなければ争いも起きてない
魏志では倭国内が大乱になったが卑弥呼の即位によってそれが終わったとある >>864
満州八旗軍が使ってたのと同じ、モンゴル馬だから、
日本の木曽馬とほぼ同じだよ
でかいのはアラブ産馬なので、十字軍まではヨーロッパもポニーレベル
ポニーの1/3は意味わかんないな
そんな馬いたら庭で買うわ
更新世には絶滅しとるだろ >>875
だな。
いつだって資源不足と戦っている。
中国の銅鐸は分厚く、日本の銅鐸は極限まで薄い。 >>888
あー
戸塚さんなんだ
本読んだけどニュートリノ振動の論文は読んだことなかったな
もともと専門素粒子じゃねえし >>739
駄目でしょ
元レスの人は縄文の信仰、それをもって縄文純度なる主張をしているのだから
ミシャグジ信仰が縄文の信仰を受け継いだもので、北海道から沖縄まで信仰されていた、という根拠があるならまだしも >>727
>日本の学術界/考古学は明治終わり頃からと思うが、状況証拠的に最初から朝鮮人(偽日本人)がやってたので間違いない
いわゆる邪馬台国論争が「奈良か北部九州かの二者択一論」で最初から固定されてて、かつ何も進展がないのとかもね。
奈良だとしたいのは、歴史的に交易/海上交通の最終地点が大阪で、渡来人=朝鮮人が近畿地方に多かったこと、
北部九州だとしたいのは、半島から渡ってきたすぐそこだから「日本人の朝鮮人渡来説」に都合がいいのだろう(笑 >>891
そのレスでオマエが何も知らないのに必死になってるのが分かったw 戸塚とか初めて聞いたんだなw だからなんだね?シナに歴史を追加白とでも言いたいのか? ゴミスレでした >>883
群馬は書いて字のごとく昔から馬を育てていたから馬が群れるという意味で群馬なんだよな
高句麗なら馬を育成できただろうけど彼らの子孫は金や後金、清を建国した連中だろ
今の朝鮮とはひとつも関係ないだろうな >>841
翰苑とかはそうだね
魏略逸文も乗っているし
しかし、翰苑以外にそんなに多くあったっけ? >>887
長髄彦って難波津で交戦してんだけど、
それ畿内だったのか
首都作る前に首都圏が存在してたとは知らなかったな
>登美夜毘売(とみやびめ)、あるいは三炊屋媛(みかしきやひめ)ともいう自らの妹を、天の磐舟で河内国の河上の哮ヶ峯に降臨し、その後大和国の鳥見の白庭山に移った饒速日命(にぎはやひのみこと)の妻とし、仕えるようになる。
神武天皇が浪速国青雲の白肩津に到着したのち、孔舎衛坂(くさえのさか)で迎え撃ち、このときの戦いで天皇の兄の彦五瀬命は矢に当たって負傷し、後に死亡している。 >>895
別に必死にはなってないけど。
>>862で話した「日本で初めてニュートン力学を紹介したひとの名前は?」
はいググらず答えてみ
必死にな >>898
遊牧民の馬をコントロールする技術は何一つ日本に伝わってないけどな
去勢や蹄鉄ですら明治になるまで行わなかった >>898
正確にはクルマと読むんだ
たまたま真ん中あたりにある群馬郡から名前つけてるけどな
それより前橋の元の名前が厩橋のほうがわかりやすいかな
高麗は駒ともいうし、狛とも当てる。
これと直接の関係はないけどな
前橋あたりだと豪族はいるんだけど毛野国としての古墳は東日本最大なのが天神山古墳 >>663
日本の祭祀で縄文的なのは
太陽と月信仰とそれに基づく東西方向の重要視
(チャイナでは北辰信仰で南北重視)
一説に太陽が女性なのは縄文起源
三内丸山の六本柱・諏訪大社の御柱祭・古代出雲大社の社に見られる巨大柱祭祀
イザナミ国生み神話に見る大地女神信仰
海幸山幸神話浦島太郎民話に見る海洋他界信仰
など >>895
あ、無理だったかな?
戸塚さんとこなのね?
じゃお前の必死送っておいてあげるよ なぜだか倭国の半島侵攻を認めない半島人。
日頃の「侵略したニダ~」はどこへ? 百済は権力闘争に敗れ日本から海を渡った者らが建国した
植民地と言うより国家、歴史に例えるなら後ウマイヤ朝 >>905
てか寺のてっぺんに宝珠あるでしょ?
あれがミシャグジ信仰
まあ古諏訪神社行けばいいんだけどね >>3
>>212
北朝鮮と韓国ソウル以南から北は
中国北京、ロシア、モンゴルに達する広大な領土であった
当時から戦いの攻防拠点に平壌城がたびたび登場する
文字としての日文四十七言など
発音としての現在の朝鮮語を話していたという文献もあり
高句麗はまぎれもなく朝鮮人始祖であった
ちなみに、百済を建国したのは高句麗から分離した王一族である
高句麗は1時期議論の的になったが
その後の
中国歴史学者、考古学者
北朝鮮歴史学者、考古学者
韓国歴史学者、考古学者
による合同調査によって、「古朝鮮」の次に広大な領土を保持した国として明らかとなった 朝鮮半島では馬が育たないんだよ
成体で驢馬の半分くらいのサイズ
なぜかネットから写真が消されてるけど日本が進出する前に撮影された朝鮮の馬は信じられないくらい小さい 最後の氷河期が終わってから
朝鮮半島は4000年間無人地帯だった。
そして今から6500年前に北の豆満江(tomam)方向から
沿海州の縄文人が無人の朝鮮半島に南下した。
今から6000年前、対馬の縄文人が北進して
東三洞(とさんど)・釜山周辺の無人の朝鮮半島に住み着いた。
北や南からの縄文人の進出定住は、ほぼ同時期だと思う。
沿海州からの北の縄文人と、対馬からの南の縄文人の言語が
そっくり同じだったとは思えないが、系統は同じなんだろう。
それぞれ海岸沿い、川沿いに定住地を広げて
朝鮮半島全土に広がった。
日本列島も沿海州、東シベリアも朝鮮半島も縄文人の土地だった。 >>886
また行きたい。
中国の仏教史跡もまわった。
北魏~唐の時代から信仰が続いている寺は多いのだが、
常に作り変えていくものらしく、仏像も壁画も真新しいんだな。
北魏~唐の時代の仏教隆盛期の仏像が残るのは、何かの事情で打ち捨てられた場所だった。
つまり信仰の拠点ではなく遺跡。
日本の奈良みたいに、創建当時の仏教美術が残り、かつ信仰も続いている寺は、中国人には珍しいものだと思う、
そりゃあ見たいだろう。 >>901
「知らない」 どうせ蘭学者とかだろ
オマエと違って無駄な教養は持たない オレは最低限の教養しかないのでw
オレは日本史にも先端物理も、一般教養しか知らないんだよ
知らないのに知ったかしたがる、オマエと違ってw ドヤくーん
これ明らかに刑法犯の疑いあるけど。
物理学会メーリングリストに流していい?
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266 :ニューノーマルの名無しさん[sage]:2022/05/19(木) 18:48:35.44 ID:Ywq3noTI0
ょぅι゛ょ >>846 日本と高句麗のみならず、朝鮮三国間の関係、更に中国王朝との関係はかなり入れ替わってる。
最終的に新羅は百済を滅ぼしたが、新羅と百済が組んでた時代もある。
聖徳太子や蘇我氏の時代に、高句麗の僧が何人か日本に来ていて、この頃の関係は良好だった。 >>917
やっぱり
ドヤくんには志筑 忠雄なんか難しすぎてわかんなかったね
じゃ物理学会に必死ながしてあとはNGね >>905
いやー、だからその「縄文的」ってのはどの遺跡から発掘されたどのような出土品を根拠に誰が書いた論文を基にしているの?って事だけど >>870 してない。そんなことは日本書紀にすら書いてない。貢物を持ってきたり人質を取ったりしてただけ。
一方、任那四県は日本から百済にあげてる(実質的には奪われたのかもしれんが)。 >>918
hissi でオレのレス追ってみ?
オレは常に読んで貰えるレスしか書かない
必死になって自分の莫迦を開陳したがるオマエと違ってw
ちなみにオマエにもそれなり面白い相手になれるよう、意識してるw その程度の機能はあるのでw >>883
あ、それは結構多めに。
特に鉄の素材分析すると朝鮮鉄は初期には多いよ
鋳鉄だと大体そっちから
タタラ製鉄するようになるのって割と遅めなんだよね
中国、朝鮮に比べると。
ほぼ奥州藤原氏独占 >>874 あり得ない。白村江の前に数年前に百済の王都は陥落していて、その際に既に唐軍が出てきている。 >>921
そういう負け犬の逃げ宣言は良いからw
戸塚さんの名前を初めて知れて、良かったね? w >>922
大地女神に関しては
吉田敦彦の「縄文土偶の神話学」とか「昔話の考古学とか 空白の4世紀って、中国の正史に日本の情報が亡くなる時期ってことだろ?
五胡16国時代にあたる。
お互いに用事なかっただけではないのかね。
日本の王権は中国に統一国家が出現すると、朝貢に行かない選択肢はないが、
分裂中はどこかを選んで挨拶にいくもの危険だ。
朝貢に行かないものは記録にも残らない。 卑弥呼やひみここは中国に記録あるから実在でしょう。互いに使者派遣してた。
古事記日本書紀に邪馬台国や使者送った倭の五王は出てこない。
大和朝廷ではないからに見える。 >>928
統治はしてない
相互防衛して仲良かっただけ
王族には日本皇室を嫁として送ってることも 縄文民は採掘に長けていたし弥生初期では住み分けされていた
縄文遺跡は殆どが資源を確保するための拠点であることがわかる
特に辰砂、翡翠など
辰砂鉱脈は同時に金鉱脈とも繋がっているので米作できない代わりに交易に特化した側面がある
それが後々組織化され海人族になるのだろう >>925の続き
奥州藤原氏の末裔がシベリアに渡り騎馬民族となった。 そういやこないだ任那で前方後円墳が発掘されてすぐ埋め戻されてたね >>827
九州邪馬壹国を背乗りするに辺り
九州壱与の功績をヤマト神功皇后として日本書紀に取り込んだ可能性はある >>930
国内的には古墳いっぱい作ってて空白じゃない罠ー
宮内庁治定崇神天皇陵(行燈山古墳)は当たってる
ホンマもんの崇神天皇が眠ってる可能性が高い >>931
凄いなオマエってw
「ょぅι゛ょ」「ょぅι゛ょ」「ょぅι゛ょ」「ょぅι゛ょ」「ょぅι゛ょ」
5回この単語を書いたからこれから5回、オレはタイホされるわけだな? w
それにしてもマジで凄いな、オマエってw オレの想像してたのより、遥かに凄いわ まるで今日とっ捕まった 田口翔 容疑者レヴェルw
…ただしその歳でソレって、オマエの方が遥かに可哀想に思えるけど? w IDコロコロしながら一人でずっと書き込んでるのはなんかの病気なの? >>939
歴史学(残された文字から歴史を研究))的には空白で、考古学(残されたモノから歴史を研究)的には空白ではない。
日本側が文字をのこしていないのだから、真相が分かる日はこない。 266年の台与の朝貢から413年の倭王讃までの空白期間の
新羅本紀、百済記、広開土王碑、日本書紀の記述を一緒にして並べてみた。
なんかの参考になるといいんだが
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。(新羅本紀)
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。(新羅本紀)
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。(新羅本紀)
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。(新羅本紀)
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。
いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。(新羅本紀)
300年 春正月に、倭国と使者を派遣し合った。(新羅本紀)
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために求婚したので、王は阿サンの娘を倭国に送った。(新羅本紀)
344年 倭国が使者をつかわして、婚姻を請うたが、すでに以前に女子を嫁がせたことがあるので断った。(新羅本紀)
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。(新羅本紀)
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。(新羅本紀)
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。(新羅本紀)
367年 倭と百済が同盟して新羅を討った。(百済記)
372年 百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ七子鏡一枚とともに七枝刀一振りが献上された(日本書紀)
391年 倭が海を渡って百済・新羅を破り服属させた。しかし好太王に倭の侵略軍は破れ多数の死者を出した(広開土王碑)
393年 倭人が来て金城を包囲し、5日も解かなかった。(新羅本紀) 399年 百済は先年の誓いを破って倭と和通した。そこで王は百済を討つため平壌に出向いた。
ちょうどそのとき新羅からの使いが「多くの倭人が新羅に侵入し、王を倭の臣下としたので高句麗王の救援をお願いしたい」と願い出たので、
大王は救援することにした。(広開土王碑)
400年 5万の大軍を派遣して新羅を救援した。新羅王都にいっぱいいた倭軍が退却したので、これを追って任那・加羅に迫った。
ところが安羅軍などが逆をついて、新羅の王都を占領した。(広開土王碑)
402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質として倭に送った。(新羅本紀)
404年 倭が帯方地方に侵入してきたので、これを討って大敗させた(広開土王碑)
405年 倭兵が明活城を攻める。(新羅本紀)
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を攻める。(新羅本紀)
408年 春二月、王は、倭人が対馬島に軍営を設置し、兵器・武具・資財・食糧を貯え、我が国を襲撃することを企てているとの情報を手に入れた。
倭兵が出動する前に、精兵を選んで兵站をしようと考えたが、舒弗邯の未斯品曰く「兵は凶器であり戦は危険な事です。ましてや大海を渡って他国を討伐し、
万が一に勝つことができなければ、後で悔やんでも仕方ありません」王はこの意見に従った。(新羅本紀)
倭国王の推定在位年(適当)
卑弥呼(173年~248年)
男王(248年~250年)
台与(250年~310年)
謎の王(310年~340年)
謎の王(340年~400年)
讃(400年~438年) >>937 埋め戻し自体は、普通の考古学的処置だよ。 邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国→邪馬壹国→シャーマン居る国→卑弥呼の国 w >>942
稲荷山古墳の鉄剣みたいな文字史料付きの遺物が
将来発見される可能性は無くもないけどな >>932
東夷伝の
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
とされる
漢委奴国王印
は畑に打ち捨てられてたやん
つまり倭奴國なんて実はなかった
(あったとしても大したことなかった
中国史書は当てにならない証拠 >>843
それは民族史としての話だろ。
しかも2国間の歴史の問題を半島の歴史としてる点でズレてるよ。 >>947
可能性はあるが。
稲荷山の鉄剣は5世紀後半だな。
3世紀や4世紀の文字が出たら凄い。 生物学的に明らかにおかしな33代までの王の享年が2期1年説に基づくもの課程すると、卑弥呼=天照大御神→神武=3世紀後半大和王権成立→神功皇后=5世紀前半で完璧に整合性取れるんよね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。