>>279
蔚山はこうだよ?
> 周辺の地名にちなむ。
文禄・慶長の役の際、加藤清正が陣取った蔚山、
あるいはそこから連れてきた人々を住まわせたことにちなむ、と言い伝えられる。
それが影響してか、電停名の韓国語表記では、
日本語の音をそのままハングルで表記した「우루산마치(Urusanmachi)」ではなく、
「蔚山」の部分を朝鮮漢字音で読んだ「울산마치(Ulsanmachi)」が用いられている。

ほとんどは陶工。
郷土の文化に精通してない人は祖国に帰ろう

https://kumamoto-kougeikan.jp/archives/toujiki/
> 熊本県の陶磁器
文禄・慶長の役(1592-1598)の際、加藤清正・細川三斎らが朝鮮から伴った陶工によって熊本の近世の窯業が始まったといいます。
細川家の肥後転封に伴って肥後に移り住んだ陶工達が始めたといわれる小代焼(しょうだいやき)、高田焼(こうだやき)は、藩の保護を受けて発展しました。
 下益城郡松橋町の松橋焼(まつばせやき)、
肥後藩唯一の白磁窯であった宇土市網田の網田焼(おうだやき)など多数の窯がありました。
 人吉・球磨地方では、江戸時代に城本焼が興り、
やがて一勝地に移り、一勝地焼(いっしょうちやき)として相良藩の保護を受け、陶器の生産が始まりました。
それ以前にも、朝鮮陶工の系統をひくといわれる上村焼(うえむらやき)など陶器作りが行われていました。