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10年前の夏、京都市にある市立養徳小学校のプールで1年生の浅田羽菜(はな)さん=当時(6)=が溺れ、亡くなった。幸せな家族の日常は奪われ、両親はその日から「遺族」になった。彼らが知りたかったのは、「娘はどのようにして溺れたのか」という事実。だが、学校や教育委員会の調査は不十分で、第三者委員会も納得のいく答えを出さなかった。終わりのない悲しみを抱えながら、両親は事故の検証を続けてきた。この10年は、愛する娘の「最後の声」を探す旅路だった。(京都新聞社・中塩路良平、写真は松村和彦、薄田和彦)

【写真】羽菜さんの写真を眺める父親

■不妊治療の末、「奇跡の子」
2006年、生後間もない羽菜さん

 「私たちにとって、羽菜は奇跡の子でした」

 京都市左京区に住む浅田遼子さん(61)=仮名=は、一人娘を慈しむように語る。夫の壮介さん(49)=仮名=と結婚後、5年間続けた不妊治療を断念。子どもを諦めかけた時、自然に妊娠したのが羽菜さんだった。「自分を親にしてくれた。人生を救ってくれた」と思えた。

頭から滑り台を降り、得意げな羽菜さん(2012年撮影)

 授乳の時、お風呂に入る時、ささやかな日常に幸せを感じた。毎朝、柔らかな体を抱き締め、保育園に迎えに行く時は「もうすぐ会える」と胸を高鳴らせた。 

 壮介さんは羽菜さんと公園でよく遊んだ。滑り台を頭から降りて、得意げな顔。「かっとばせ、しよー!」と、おもちゃのバットを振り回した。天真爛漫で、甘え上手な娘は「何よりも大事な宝物」だった。

■「おうちに帰ろう」 溺れた娘に祈る両親
2012年春、亡くなる2カ月ほど前の羽菜さん

 2012年7月30日の朝。養徳小に入学した羽菜さんは、学校が主催する夏休みのプール学習に行く準備をしていた。遅刻しそうなのに風に揺れるカーテンを眺めていた娘を、遼子さんは「もう行くよ」とせかしてしまった。別れ際、羽菜さんは少し不安そうな顔を浮かべていた。

 あの時、学校に行かせなければ―。今も、遼子さんは悔やんでいる。

事故が起きた当日の養徳小のプール(2012年7月30日、京都市左京区)

 「羽菜さんがプールで溺れました」

 その日午後、仕事をしてい