【ちょ待てよ】岐阜といえば織田信長よりあの男、斎藤道三の地ではないのか [朝一から閉店までφ★]
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キムタク信長に心境複雑 斎藤道三ゆかりの人ら「岐阜は信長を持ち上げる風潮強い」
2022年11月11日 05時05分 (11月11日 05時05分更新)
俳優の木村拓哉さん(49)が出演し、6日だけで46万人が集まった「ぎふ信長まつり」は、あらためてキムタク人気を内外に示した。だが「ちょ待てよ」。岐阜といえば織田信長よりあの男、斎藤道三の地ではないのか。ゆかりの人たちに聞いてみると…。
「皆の者、出陣じゃ!」。六日午後一時過ぎ、岐阜市中心部。武者行列を率いる木村さんが気勢を上げると、うねりのような歓声が響いた。
観覧者は市人口より約六万人多い四十六万人。来年公開される信長がテーマの映画で主演する木村さんが、同市出身の俳優伊藤英明さん(47)に「信長まつり」のことを聞き、行列への参加を決めた。映画PRの一環だが、六十四倍という観覧抽選の高倍率も話題をさらい、空前の人、人、人でごった返した。
江戸川大の西条昇教授(アイドル論)は「あらためてキムタクの集客力を見せつけた。生の木村さんに会える触れ込みで、明るい話題になった」とほのぼのする。
一方で「お祭りですからね、まぁ…いいんですが、ちょっと…はしゃぎすぎですよね」と冷めた様子で話すのは、斎藤道三と息子、孫の三代が眠る菩提(ぼだい)寺・常在寺住職の北川英生(えいしょう)さん(82)だ。
https://www.chunichi.co.jp/article/580272 道三のときはミノだったじゃないか
というか時期で違う人がいるのは当たり前だろww 家康の奪い合いをしている静岡はもっと今川を大切にした方がいい 美濃尾張と畿内に匹敵する肥沃な地を得たのが信長の勝因だな
兵の弱さを国力で覆せる 清須は城址公園だけだからな
今回みたいな大イベントを打てないのが痛い 名の通っている方にすがって田舎に金落ちねぇかなと史実なんぞ完全無視の乞食状態
そこまで織田信長は岐阜に縁はない 美濃の人間からすると信長は尾張のよそ者だよ
岐阜とか関係ないな。 斎藤道三の時は岐阜は「井ノ口」で、岐阜城は稲葉山城ってなってた訳で
岐阜の名付け親的な織田信長はやっぱり岐阜にとって馴染み深い
全国47都道府県の中で織田信長由来の県名は我が岐阜だけってのがいいよね
そんなにアレならば、古渡城や那古野城や小牧山城の愛知県や安土城の滋賀県も織田信長由来の名前に変えてみたら?
(´・ω・`) 信長は岐阜の名付け親じゃん
道三なんて流れ者でしょ マニアでなければそこまで知らんよ
道三でもマニアレベルだろ
少なくとも一般レベルではなかろ 濃姫との結婚が10代後半で美濃平定が30代前半か
信長の青春時代だな 岐阜で信長の祭りやるのは違うよな
地元じゃねーもん >>24
命名はしてない
一部の学僧・禅僧の間で岐阜はかなり前から使われていた
岐阜市の瑞龍寺が所蔵してる土岐重頼の肖像画(1499年作成)の賛に岐阜と書かれてる
命名はしてないがそれまで世間的にあまり広まってなかった岐阜を信長が認知させた 嫌われ者の道三より
楽市楽座や関所廃止、天下を平和にしようとした信長のほうが人気あるだろ
キムタコ祭り避けて今日ようやく岐阜城のぼってきたけど
信長が展示ばっかりだったぞ
三年くらいしかいなかったのに 織田信長は美濃支配は斎藤道三の跡継ぎ枠だからな 義理の息子として >>30
子孫はいないぽいよね
それどころか政略結婚洋ナシになってから
消息ないし
キムタク映画では本能寺で敦盛の演奏してそうだが
それみたさに行くか 家康の祭りを東京でやるとしたら違和感あるだろ
それと同じよ 斎藤義龍だって上洛してるし優秀だと思うがなあ
道三は家督相続完璧に失敗してるし >>47
ちょっと住んでたどころか長い間ずっと織田家の本拠地
岐阜から安土に移ったときは家督譲った息子が岐阜治めてた
本能寺の変の後も、織田家の領地は岐阜
関ヶ原で西軍について没収されるまで岐阜 >>37
織田信長が岐阜城に入ったのは1567年で安土城に入ったのは1579年なので、約12年は岐阜城が織田信長の本拠地だった
約3年しかいなかったってのは安土城に居た期間だと思います 義龍に対しては攻めあぐねてるし運が良かったな
稲葉山城少数で奪取出来る竹中半兵衛とか人材も多かった >>43
大河ドラマで国盗り物語がやって始まったお祭
それまでは特にって聞いたことがある 運営「よし、来年はキムタク信長と本木雅弘の道三で更に盛り上げよう」 親子二代に渡って下剋上で土岐氏追放して国主になった有能だけど人気はないな
弟たちを寵愛して嫡男義龍を疎んじたことによる自業自得とは言え、最期の長良川の戦いで息子と戦って敗死してるのも印象悪いんだろうな にしても名古屋にしろ岐阜にしろ
観光地として全く魅力がないのな >>58
それ言ったら、武将人気なんてたいていが後世からのものでしょ 井ノ口という地味な地名を岐阜に改めた信長を誇ってもいいはずだ >>1
岐阜(城)にしたのは信長だからな
それ以前の斎藤氏の頃は稲葉山城で美濃の国
そこで岐阜といえば斎藤道三とか歴史知らないのかと 古代中国・周の発祥の地である岐山と孔子で有名な魯の曲阜を合わせた造語 尾張 織田
美濃 齋藤
駿河 今川
甲斐 武田
信濃 真田
越後 上杉
やっぱこのイメージだよな 岐阜の名前つけたの誰やと思ってんねん
マムシドリンクでも飲んどけ >>64
岐阜は長良川鵜飼を忘れてもらっちゃ困る
あの鵜匠さんたちは宮内庁職員で国家公務員なんだぞ
たぶん日本であそこだけ
一応今の長良川鵜飼にしたのが織田信長だといわれてる
https://www.ukai-gifucity.jp/Ukai/history.html >>74
越前 朝倉
北近江 浅井
南近江 朝倉
加賀 本願寺
スラスラ出てくる >>42
帰蝶の帰からしてもすぐ実家に帰された説もあるしね >>57
信長は義龍存命中は美濃抜けなかったからな
義龍が長生きしてたら膠着状態が続いて足利義昭奉戴しての上洛もなかっただろうし大きく歴史が変わってただろうな 映画で桶狭間の戦いはやらないいかな?岐阜が舞台だと年代が違うんかな? そりゃブランド力だからな
好きな歴史上の人物ランキングでほぼ1位になるほどの知名度と人気だし 信長祭りは戦後~JC主体の時代祭とストリートイベントでしょ
信長自身が好んだ祭りは典雅な尾張津島天王祭
歌川広重の浮世絵でも有名 昨年は綾瀬はるかとかが来たんだっけ?
名古屋の三英傑祭りも芸能人にやらせて盛り上げればいいのにな 岐阜城の歴史を語るなら尾張信長ではなく斎藤道三だよな
油売りから下克上、信長が親父以外で最初に触発された男 >>79
でも福井(越前)の祭りの主人公は勝家なんだよな
石川(加賀)の百万石祭りは利家だし
信長軍団どんだけー そもそも信長が居なければ岐阜という地名が存在しないわけだが
あくまで美濃の稲葉山
それに道三が美濃を治めていた時期なんて土岐家や織田家より遥かに短い >>86
岐阜という地名を付けたのはさて置き
歴史から見れば美濃は土岐や斎藤 信長「岐阜はワシが育てた」
沢彦和尚「岐阜はワシが名付けた」 美濃は土着の武士の誇りがないのか
土岐氏という由緒正しい武将がいるのに
いつも侵略された織田や斎藤の名前を出す そもそも地方都市の岐阜は美濃藩だった
江戸時代まで美濃と飛騨と藩として分別状態だったのが明治後に"美濃+飛騨=岐阜県"となる経緯がなんだかおもろい
信長が名付けた"岐阜県"と聞いて誰もが腑に落ちたのねと想像すると笑える >>54
そうだっけ
金華山ロープウェイが行き帰りとも長蛇列で
足プルプル
まちがえてすません >>74
真田は信濃の一部だけだからな
その面子と並べられるとちょっと見劣りする >>64
経済活動メインなのと
地震と台風と戦災で古いものが余り残ってないんよね
世界企業ブラザー創業の地も
国一拡張で残ってないとか >>108
そんなに並んでるなら歩いて登ればいいのに
幼稚園の遠足で点でバラバラに登ったわ
今考えれば無茶すぎる時代w だからなんなんだよ
マイナーな銅山なんか誰も見とうないわ >>85
嫁メインな映画で
結婚して10年以上してから
桶狭間だからあるだろ
現場には行ってないだけ
まさか武将に混じってるとかはやんないと思うが そもそも岐阜人にとって信長は侵略者じゃん
それをありがたがって駅前に金の像まで建てる
岐阜人は恥の概念がないのか
日本が北朝鮮に占領されたら真っ先に金の金日成像建てそうだな >>95
岐阜県史の編纂中に発見された六角義賢の書状写しにより油売りなんかのエピソードは道三の父だってことが分かった
書状には油売り云々とは書いてないが、道三の父は元々京都妙覚寺の僧侶で、その後美濃に来て長井氏に仕官してる
ここまでは道三の父の話なので、油売りをしてたかどうかの真偽は置いておいて、道三本人のエピソードではないことが判明した >>114
マイナー?マイナー?!お前の傷口にガマの油塗りたくったろか? >>111
名鉄の岐阜城下町キップで行ったから
ロープウェイ往復と入場券セットだからね
今日のメイン目的は鵜飼いミュージアムでの謎解きゲームだから
時間押してたし、
下山待ち列横の登山道降りていった人らは細い杖にヘッドライト装備してたわ >>118
いまの若い人は信長の野望をやったことないのよね 職場の女性陣はニュース報道でも岐阜出身の伊藤英明をもっと映せと言ってた >>116
お陰で濃尾平野が平和統治されて
江戸時代は尾張藩だったから栄えたんよ >>117
油売りの息子を油売り呼ばわりするのは
現代ならいぢめだな 岐阜と命名したのが信長だからいいんじゃないか?
道三の頃は美濃だしさ。 >>6
今川焼きがある。氏真の蹴鞠を受け継いでサッカー王国にもなったし >>121
六角承禎の書状によると「彼斎治身上之儀、祖父新左衛門尉者、京都妙覚寺法花坊主落にて」とある
つまり斎藤義龍の祖父新左衛門尉は、京都妙覚寺法華の坊主を辞してと記載されてる 土岐氏が優秀だったのは室町の途中まで
その後分裂、醜態、分裂が進み、そこに乗り込んできたのが斎藤道三
さらにそこを乗っ取ったのが信長
本木くんの斎藤道三は素晴らしかったけどかっこよすぎたな
2年前、岐阜城に上るロープウエイの乗り場に、実物大の人形があって、感動した
隣にキムタク信長置けばいいのに 伊藤英明の立場は? >>102
明智氏が土岐氏の流れだから
本能寺の変の前に明智光秀が
時は今あめが下しる 五月かなと歌を詠んで
その時と土岐をかけたという珍説もあるようだな >>121
中途半端に区切ってしまった
道三の父・新左衛門尉のことが記述されてる全文は
「彼斎治身上之儀、祖父新左衛門尉者、京都妙覚寺法花坊主落にて、西村与申、濃州錯乱之砌、心はしをも仕候て、長井同名ニなり」
斎藤義龍の祖父・新左衛門尉は京都妙覚寺法華の坊主を辞し、西村と名乗った。美濃錯乱の時に志を持って長井氏に仕えて、長井氏と名乗るようになった。
その後の文は道三のことが書かれてて、土岐氏の惣領を殺してその職を奪い、斎藤と名乗った。
そして道三と義龍は絶縁して、義龍は道三の首を取ったとある。 >>116
静岡にとっての家康もだな
静岡は今川義元に誇りを持つべき >>132
たしかに珍説かも知れないが明智が源氏の流れである土岐氏を非常に誇りにし
実際にもゆかりの地を大切にしてたのは事実のようだな
今でも生存伝説が残ってる地でもある そういや道三めんってあったよなと思ったら
もう20年以上も前に倒産していたのか 皆の者出陣じゃー!(きむたく)
おー!(かとりしんご) 美濃といえば斎藤道三だよな。
信長は後に侵略した立場。 最近の研究だと
道三は地元の人気無かったらしいね
みんな義龍についてたって 当たって見に行ったけどキムタクも伊藤英明もすげぇカッコ良かったよ 岐阜といえば信長しかおらんやろ
名付け親みたいだし 美濃の守護大名は土岐氏でしょ
明治まで存続したから織田や斎藤よりも格上 岐阜城じゃねーし、稲葉山城だし!
とでも言いたいのか? >>144
本来道三寄りに書かれるはずの信長公記にも道三の悪政ぶりが散々に書かれている
簡単に牛裂き釜茹でを濫用してた道三を持ち上げてる岐阜県民は愚かすぎる
主を斬り婿を殺すは身の終わり昔は長田今は山城
なんて落書で井ノ口があふれるほど美濃人の心は離れていたのが事実
義龍はこれぞ井ノ口の大将と慕われたのに 岐阜県って信長の命名だからでしょ
中国の地名を組み合わせたもので
広い丘というような意味らしい >>151
織田の産まれは愛知の津島だし子孫や親戚も同級生に居たわ
良くも悪くも現実主義な地域性だと思うし、金や商売大好きなのは分かる
才ある人はこんな田舎に残らないのも分かる ノブ祭りは見事なまでにおば◯ゃんばかりじゃないか
三木道三だとしても誰が役をやるかが問題なんでしょう 主家殺しの道三
支持はあった義龍、あと帰蝶
やらかした龍興
人気がないのは祖父と孫のせいなんじゃ >>158
明治に忠臣ということで神社も建てられたね >>5
井ノ口稲葉山といいたいのか?
美濃は国名、古代から今に至るまで美濃は美濃だが? 道三の大河ドラマやって
合戦はちゃんと野外ロケしてね 信長の野望全国版で斎藤家で全国統一するのは至難の業
織田・徳川・浅井・朝倉が攻めてくる。一揆と謀反が起きる。調子乗って姉小路と北畠が攻めてくる。木曽を滅ぼした武田が攻めてきたこともあった >>7
斯波は三河
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 >>169
道三シニアは確かに岐阜じゃないが道三ジュニアは岐阜じゃないのか? >>45
三河のコテコテの植民地で違和感も糞もないだろう
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる) 盛り上がってるのは東海地方だけだろうと思ったら、意外と全国ニュースでもやってて驚いた。 関ヶ原住みだから信長あんまし興味ない
ゆかりの戦国武将は三成君と家康君を中心にワチャワチャしてる
個人的には陣跡が家から1番近い忠勝君かな 岐阜城築城者 二階堂行政
二階堂行政
・藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫)→女→二階堂行政
源頼朝(初代鎌倉将軍)
・藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫)→季範(額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市)、初代藤姓熱田大宮司)→女→源頼朝
二階堂行政は源頼朝の祖父の祖父の姉妹の息子
これまた三河 岐阜と名付けたのが信長だし良くない?
道三なら美濃祭りにしないと
信長のせいで他に使い道がない字を覚えさせられて迷惑だ >>54
代わりに織田家当主になった嫡男信忠が岐阜城の主になっとる >>9
信長馬廻り衆は最強の精鋭部隊だったらしいが本能寺の時は連れて行かなかったのかな たまには秀吉立身出世の源の墨俣一夜城を思い出してね。 >>35
それ地名として使われてたわけじゃないよね まあ言われてみれば信長は愛知のイメージの方が強いな 生まれたところ以外からも慕われてる武将だからすげえんだろうに
信長の全盛期は岐阜と安土時代だし >>60
半兵衛は過大評価されてる武将の1人やろ
羽柴のニ兵衛なんて呼ばれてるけど半兵衛の持つ実績なんてゼロに等しい 金の信長像だっけ?あの頃から思ってるけど岐阜の信長利用ておかしいよな
城建てたわけでもねーし名前変えただけだし。安土
やるなら土岐氏万歳とか斎藤万歳だろ。半兵衛先生ありがとうこざいますでもいいし
清須や小牧、近江八幡ですらやってねーのに 信長は愛知だからね
岐阜は道三と光秀をもっとプッシュするべき >>117
でも坂口安吾の梟雄は面白い
青空文庫でタダで読めるよ 道三は権謀術数で国を盗ったからな
その義父を助けようとしたり
その後力尽くで美濃を落とした信長が
かっこよく見えるのは仕方ないこと >>190
研究者の服部英雄は
「信長による全くの新地名の考案ではなく、木曽川の北にあることからの美称として
岐陽などと並んで以前から一部の学僧・禅僧の間では使われていた。
それを信長が一般化させたものである。」と言ってる
正しくは地名ではなく美称だから庶民には全く馴染みがなかったことになる
なので信長による改名ってことになるな
信長以降岐阜が定着したのは間違いないし >>35
岐阜という言葉自体は前からあった。中国から来てる
「この地を岐阜と呼ぶ」と言ったのは教養がそれなりにあった信長 日本史には出てこないんちゃうかな道三は
道三じゃやはり弱いよ >>110
古いものたくさん残ってるぞ
山車なんて江戸時代初期のものが多く残ってるぞ
荒子観音には円空の作品が一番多くあり
室町時代造営の多宝塔があり
荒子観音すぐ横に前田利家生誕の地がある
お寺は愛知県が日本一の数を誇るが
古くから製造産業の街であるため観光に力を入れなかったのが大きい
港が市街地、繁華街から離れてるのは観光地としては寂しい まあ成り上がっただけでぶっちゃけ道三はなにもしとらんからね むしろキムタクには
明智光秀とかやって欲しいけどねー >>12
全然譲ってないやろ
義理の息子を殺して奪っただけや 義龍が生きてたらなぁ。美濃三人衆が裏切ることもなかったろうに
信長ってマジで運の良さ異常だよな 岐阜市街地なんて江戸時代は尾張の植民地だったろ
美濃国の国府はずっと大垣だったのに 岐阜はなにもないから信長がいたってことにしてもいいじゃん 信長は戦国時代のスーパースターだから当然よ
そのうち道山のほうが金になると思ったら岐阜の人々も盛り立てるだろうさ 有名人信長崇める美濃乞食
そら人物なんて岐阜から出ないよ >>222
無理矢理信長の名前使ってる感が凄まじいけどこれでまんさん沢山湧いてくるからな
ちょっと動画見たけど恐ろしいことになってたぞ。マジで女しかいない。抽選で外れたのに宮崎から来たとか言ってるやつがいて寒気がした >>225
キムタク見に来たのであって信長見に来たんじゃないんと思うんだけど
すげえ頭悪いな 源平合戦や鎌倉時代はどうなってたのかよく分からないね ×「皆の者、出陣じゃ!」
〇「おみゃーら、出陣だぎゃ!」 >>161
徳川家康もクソみたいな江戸を捨てたってこと? 道三との面会へ出向く行進の再現かと思ってた
なので出陣じゃーのいいかたは違和感あったが >>1
岐阜でも信玄餅売ってるくらいだし気にすんな 愛知県が謎なんだよな。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人関わった地だから古戦場とか城とか観光で整備すりゃあいい観光資源になるのに全然やらないもんな。
名古屋人アホだろ。 >>220
そう、懇意にしてた坊さんの勧めで
中国の故事の周の文王ってのが
岐山から出て出世したみたいなのから
引っ張って岐阜にした >>244
逆に持ち上げ過ぎ。四国、九州の人らが明治維新の偉人をいつまでも自慢げにしてるの聞いたことない
いつまで戦国時代やってんだよ思うわ >>244
名鉄が観光事業を諦めてから愛知県から観光地のイメージは消えた
犬山・ライン下り・明治村、三河湾・蒲郡・知多半島とか寂れたよ >>248
西郷隆盛、坂本龍馬は持ち上げ続けられてるだろ。 >>244
お城にエレベーターつけるつけないで揉めてるくらいですから! >>225
それ見たけど抽選に当たったから九州から来たのに見えなくて残念とか言うてたで 理解でけへんな
生で見たこともあるけど
キムタク見て何がどうなんやろ
自宅の前通るなら見に出るやろけど >>64
観光ツーリスト発表の今年の秋冬の国内旅行人気先ランキング
愛知県7位、岐阜14位
まあ毎年だいたいこんなもんだね… >>258
愛知なんかに何しに来るんだ?
他県民来ても連れてく観光地ないのに >>244
長篠サービスエリアは長篠の合戦を売りにしてるよ
歴史苦手でよく知らんが子供や夫はなんか色々刀やら買っとったわ >>199
主殺しに主追放だからどちらもプッシュしにくかろう 家から岐阜城が見えてたのにクソ市役所のせいで見えんくなった
以前岐阜城にるろ剣の志々雄みたいな肖像画が展示されていた記憶、今はない
怖かったな 信長を有難がってるの岐阜市民だけやろ?
大垣やと松尾芭蕉やで まあ、ぶっちゃけ美濃国守護土岐氏発祥地の土岐市民や瑞浪市民は美濃源氏押しなんだけどな
土岐市民の僕は低みの見物
(´・ω・`) 斎藤道三なんて歴史好きじゃなきゃ知らない
三木道三より無名 >>235
家康はゴミみたいな愛知静岡を捨てたんだよ(´;ω;`) 岐阜県なら内ケ島氏理だろ?
もっとこいつを売り込んでいこうぜ! >>198
岐阜にとって信長は重要人物だけど
信長にとって岐阜はまぁ途中下車地でしかないw
道三の方が、出生地ではない可能性はあるけど、間違いなく出世の地ではあるし、相応しい気がするけどな。 >>25
さすが地元民岐阜のことになると饒舌やねw >>274
大河ドラマ国盗り物語の主人公だよ斎藤道三 岐阜だって蘭丸生誕の地とかやってるやん生まれたの一宮なのに >>278
岐阜県民や岐阜県出身者は何のかんの言って地元岐阜が大好きだからね
昨日も某テレビ番組で岐阜県出身の鷲見玲奈とLiSAが対談してたし キムタクは『ギフト』もやっていたから岐阜には縁濃い(こじつけすぎ まあ、正直
岐阜では信長や道三より
木村拓哉の人気の方が高かった ってオチ >>253
NHKの大河ドラマを見るとそこまで持ち上げられてないよ?
たとえば松平容保ら反薩長の過激派が引き起こした「鳥羽伏見の戦い」を
『西郷どん』ではなぜか西郷隆盛が引き起こしたように描かれていたり
「鳥羽伏見の戦い」の描き方も津藩藤堂家の「裏切り(寝返り)」のように表現したり徳川視点だった
徳川慶喜が静岡転封決定後にさっさと厄介払いで家から追い出した愛人を
『西郷どん』ではなぜか家から追い出さずにずっと一緒に暮らしていたり
それ以外にも書き切れないほど『西郷どん』は変な徳川美化が目に付く >>283
好きすぎて昭和のあの時代に思いっきり力ワザで新幹線引っ張ってきたしなw
ところでオグリキャップ出身地の笠松競馬は存続してるんかい? >>289
一時期廃止検討まで行ったけど持ち直したよ 信長の岐阜は秀吉で言ったら長浜とか家康なら浜松とかそんなイメージ マイナーな割に歴史的に影響ある人物としては村国男依がいるんだけど、壬申の乱が人気知名度少ないのと、高市皇子に持って行かれちゃってるからなぁ。
コーエーがゲーム化してくれないかなw 以前旧柳ヶ瀬商店街跡地行ったけど 立派なアーケード街でシャッター全部閉まってて不気味だった
県庁所在地なのに過疎化してるとか 信長「天下布武だぎゃ!」
秀吉「さすがだぎゃ!」
家康「お供すっだみゃ!」 >>251
三河なんかは目も当てられないが、犬山はここ数年盛り返してるけどね。インスタなんかの影響でリトルワールドや明治村も賑わってるし、週末の犬山駅〜城下町なんかはカオスで名鉄を利用して、人がどっと押し寄せてる。逆に平日はドル箱路線と呼ばれるほど犬山線は通勤、通学の乗車率が常に高い。ただ、場違いなほどの高級ホテルもできたが地元は案外冷めてる 関が原で弁当売れば大儲けできるのにね
食べ終わったら底に長宗我部が現れて「そこをどけ!」ってイラスト入り >>149
今川氏の没落ぶりまで再現してるようで趣きがある 義龍が若くして病死しなかったら信長は美濃を攻略できずに歴史は変わっていた 住む地域にもよるが
全国で「岐阜と言えば?」と聞いたら何と言うだろう
無知で済まないがパッと思うのは岐阜羽島駅しか出無い >>1
岐阜城というか稲葉山城って、最初は鎌倉度の13人の1人の二階堂(北条義時の最後の嫁の祖父)が建てたのが始まりみたいね。一旦廃城になって斎藤氏が復活させたとか >>308
奥飛騨温泉郷とか下呂温泉でしょ
人気あるキャンプ場も多いよ 濃姫って結構豪な女性だったらしいが
どこ行っちゃったんだろうか? 国盗り物語で明智光秀やった近藤正臣は今は郡上市に移住してるみたいだな そりゃ「道三まつり」より「信長まつり」の方が儲かるからやろ? 織田と言えば当然尾張だし、安土城は近江じゃなかったっけ?
たしかに美濃、岐阜って言われるとうーんだよな 信長くらい岐阜にくれよ
愛知は他に秀吉家康もいるだろ 女系とは言え、天皇家に血が入ってる道三アゲしても損はない 元記事は中日新聞。どうせこの記事書いたの名古屋人だろw
そりゃ名古屋人からしたら、何で岐阜のお前らが信長公でお祭りするんだってなるよな
そういうところが名古屋w >>6
家康は岡崎だからな
これはガチなので譲れない >>195
実際竹中半兵衛は一次史料がほとんどないからなあ
後世に編纂された軍記物なんかの創作のイメージが先行してるよな
数年前に播磨攻略に関する秀吉書状の原本が発見されたが、竹中半兵衛の活躍が書かれてる
「竹中半兵衛と小寺(黒田)官兵衛の活躍により敵を数多討ち取り、福原城を攻め落とした」
とあり、二兵衛の活躍が書かれてる珍しい文書だ 信長の本拠地
清洲、岐阜、安土
秀吉の本拠地
長浜、姫路、大坂、聚楽第、伏見
家康の本拠地
岡崎、浜松、江戸、駿府 >>37
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652 >>37
●「楽市楽座」の実態
「楽市楽座」の通説は皇国史観で有名な平泉澄が戦前期に捏造して以来、歴史教育において「鎖国」や「士農工商」同様に史実と乖離した通説が定着してしまった。
歴史学者・長澤信樹氏の『楽市楽座はあったのか』では史料を丁寧に紐解きながらその実態を解説している。
そもそも「楽市」とはもっぱら諸役免除(納税や夫役の免除)を認可された市場を意味する。
誤解が多いが「誰でも自由に商売が行える"フリー"マーケット」などではない。
織田氏に限らず六角氏や今川氏など各地の大名が発行した「楽市令」とはもっぱら諸役免除に加え押売・押買など不当行為の禁止を明記し市場の安全を保証する内容で共通している。
(なお信長は京において「名物狩り」という押買行為を行っている)
そして信長の「楽座令」とは座の廃止どころか座の権益を認めた上で税(座役銭)を軽減するという座の優遇政策だった。
朝倉氏の滅亡後、その庇護下にあった座を信長が安堵した書状も残る。
実際の座の特権廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた。
また関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い。
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けである「京の七口」が存続しており、
琵琶湖においては堅田衆が徴収する関税を織田に上納させ、当地の関税に伊達家の使者が不満を記した日記も残る。
こうした信長支配後も存続した商業関は豊臣政権下で廃止が進んだ。
皇国史観や井沢元彦の影響で定着し、百田尚樹や小名木善行らのトンデモ作家が再生産する「織田信長=既得権益と戦い革新的な政策で新たな時代を築いた天才・英傑」という「信長英雄史観」は歴史研究の世界ではとっくに時代遅れ。
むしろ「最初の天下人」と呼ばれる三好氏の凋落後の畿内における既得権益との癒着、支配地への過酷な課役、京の地子銭の復活など前時代的な方針こそが織田信長の権力拡大に多いに寄与したとされる。
かの安土城も建設に際しては地元の近江国に一国課役が課され、近江の民衆には金品支出や夫役(ただ働き)といった多くの負担が強いられた。 ●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料
(「信長公記」中の記述)とは、実は
古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員できたのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する後北条氏の百姓総動員令のような事例は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の主な仕事は普請等で直接戦闘に参加する事は少なかった。 息子にやるくらいなら娘婿にかw
実の子供じゃないからな。 >>338
道三の遺言状、所謂信長への美濃国譲り状が現存してるけど筆致が江戸時代のものと指摘する人もいるし、真偽に関する議論は出てないな
個人的には信長の都合の良いように話が出来すぎてるし偽書の可能性が高いと思う 岐阜城付近行けば斎藤道三も推されてることはわかる
感じ悪い記事だ
斉藤義龍も推せよって意見ならわかる
麒麟がくるは道三殺した後フェードアウトして信長と戦すらしてなくてしょーもなかった たまには、信長の忍びで突然美男子になった龍興のことも思い出してやってください >>342
信長の忍びの斉藤龍興はいいキャラだった
センゴクでもキャラ立ってたし漫画映えする
いつか大河でも活躍してほしい >>342
信長の忍びとかいう気持ち悪いギャグ漫画、歴史として読んじゃ駄目やで
信長を英雄として描くのに都合の悪い越前一向一揆の悲惨な結末とかほとんどスルーしてて笑った
呪いの瓦とかかけばいいのに ちょっとでも有名で有力なのにすがりつきたい
田舎によくある寄生根性だよ >>51
女性側いるの忘れてるよな?
どいつもこいつも
落武者の親戚が良いところで働いてたりする。 >>228
伊藤英明の時もそんな感じだよ
要するに信長とはさほどの縁もかいのにイケメン使って客寄せしてるって話なんだがどっちが頭悪いんだろね >>1
そもそも「この地域は○○様の土地じゃあ」みたいなこと自体がヘイトだろ
身分制度や血族主義の肯定だし
暴力肯定、弾圧肯定
およそ近代の価値観ではない
信長行列見て外人も呆れてたぞ
>>1の新聞は信じがたいほどの糞新聞 >>345
侵略者を持ち上げて喜んでるわけだからね
当たり前だが尾張がやるのはいいわな。近江八幡がやるのも問題ない
函館に何故か坂本龍馬記念館があるのと同じ。著名な何かに縋りたいのはわからんでもないがマヌケではあるよな >>278
この人東濃だから、岐阜市のことは学校の行事位しか用事ないんじゃない?東濃は名古屋一択。 岐阜の名をつけたのは信長とか言われてるし、いいんじゃないか >>346
織田秀信=三法師は信長の嫡系の孫だけど 織田信長は嫡男なのに何故か三郎と呼ばれていた
歴史ミステリーである >>357
兄が2人いたらしいから良いんじゃね?
信長が嫡男なのは正室の子だからで
https://sengoku-his.com/722 >>357
祖父信定や父信秀の通称も三郎だからな
真田信之(昌幸長男)→源三郎、真田信繁(昌幸次男)→源二郎なんて例もあるし 生誕の地と言われる勝幡城はなんも無い、幼少期を過ごした津島もなんも無い
少しいた岐阜ちゃんは... >>357
次男なのに晋三 「まぁ、そういう事も時にはあるのではないか? と思う訳であります。」 >>341
推されてるか?
岐阜公園にその他大勢の一員としてコーエー絵は描かれてるけど
どっかで道三推しのポイントがあるなら教えて欲しい
見に行きたい 春に道三まつりやってるやん
今回たまたまキムタクの映画のタイミングで信長まつりが盛り上がっただけ >>360
少しって言っても12年くらいいたわけだから、信長の本拠地としてはかなり長い方でしょ >>357
嫡男でも正室の子でない兄がいて三番目なら三郎は珍しくはない。 >>366
勢力を拡大したのは岐阜時代だしな
織田家の家督を継いだ息子も岐阜を本拠地としてるし >>320
かもしれないけど道三まつりの方がここでしか見られない価値はありそう
信長まつりは清須とか安土でも似たようなのがあるだろうし >>369
安土は城は光秀が燃やしたしその後町ごと移転させられて(近江八幡)何も残ってない
清洲は御三家尾張に上書きされてしまって織田時代のがそんなに残っていない
岐阜が一番残ってる キムタコが信長まつりに出たから盛り上がっただけだろ。
岐阜出身の伊藤英明が橋渡ししたんだろ。
岐阜、映画の宣伝になるからな。 >>360
そもそも場所が不明。
碑は立ってるけど痕跡も皆無。 >>370
清須も町ごと名古屋台地に移転だろ。
大須観音もその時清須から名古屋に移ってきた。 >>51
織田秀信の前に池田や豊臣秀勝の統治時代があるので、
ずっと織田ではありませんよ。 信長、清洲から岐阜城までが魅力
東京スカイツリー金華山の2倍なのね
想像もつかん >>359
曽祖父の可能性のある人物も織田三郎、
祖父は三男なので織田三郎、
つまり、
信秀や信長の三郎は
「織田三郎家のせがれ(嫡男)」
という意味であり、
祖父に肖ったということでもある。
ミステリではない。当たり前の感じ。 信長は岐阜の人じゃないとか、そんなのはどうでもいい
岐阜人が信長を岐阜の人だと思っているから
駅前には黄金の信長像がある むらの~じかんの~じかんがぁ~やって、まいりましたぁ~
ばいなら、ならいば どっちもでしょ
賤ヶ岳もあるから勝家や秀吉も関係ある
歴史でいちゃもんつけるにしても無理がある 浜松の家康推しも微妙だよな
岡﨑か駿府でしょって思うけど、浜松も長い
でも井伊直政おしたほうが良いと思う 生まれた場所の人が慕うのも当然いいけど
戦国武将なんだから征服先で慕われてこそだろう
秀吉も長浜や大阪で慕われてるし
織田3代で岐阜城主やってるし、義理の親父が斎藤道三なんだから
戦いあってた織田信秀と斎藤道三の尾張と美濃のスピリッツが備わってるのが信長 そもそも岐阜の信長まつりって何なんだ?
キムタク効果でさんざん報道してた割りにまつりの起源とか由来に触れなかったのは残念だな 道三の娘婿なんだから道三供養してる寺の住職もも喜んでやれよ >>64
余所者に来てもらわなくても
製造業で十二分に食えてるから余計なお世話
っていう考えが多い気がする >>1
岐阜って名前つけたのが織田信長
斎藤道三は山城守。
あと死後に身内で争ってるから。
織田信長が岐阜城建てたわけで、
信長で問題ないが >>390
道三に嫁ご貰いに行列並べた話がある
この時に織田信長は着崩してバカみたいな格好だが、
尾張長槍が3mくらいあって威風堂々だったらしい。
これを道三は見てたという
そして到着したら服を着替えて正装でできたとこでは
逆にこざっぱりとして文化人だったので、
帰蝶を躊躇いもなく渡したという
で、自分の死後息子が争いするから信長の平定を望んでいた節がある >>393
信長は上総介w
この時代の官位は実支配の土地と関連しないことが多いので意味が無い 信長の野望やってると、信長で斉藤家を滅ぼすと稲葉山城が岐阜城に変わるな >>394
そういう逸話は後世に盛られたものが多いからなあ
道三が信長に美濃を譲るという遺書も後世の偽造の可能性が高いし >>374
大須観音は元は木曽川越えた岐阜羽島
今でも残ってるよ >>397
正しくは濃姫を信長に嫁がせることが決まった後の話だな
婿殿(信長)は大馬鹿者だと道三に告げる人がいて、道三がその真偽を見極めるため信長に対面するってエピソードだな
いわゆる有名な正徳寺の会見で信長公記にもある話だよ
まあ信長公記の首巻は作者の太田牛一の原本が現存してないなど信憑性は低いとも
言われてるけど、現状首巻部分も信長公記より信頼できる史料がないのも事実 斎藤道三て初めて聞いた
歴史に詳しいオレですら知らん武将が居たとは…
無双系は結構やったんだけどなー >>400
道三なんて歴史好きなら知らんはずないくらい有名だろ
特に信長知ってて道三知らんなんて有り得んレベル 岐阜って名前考えると信長なんだかど、
岐阜は悪い意味で道山イメージが強い
信長にするべき、根拠もおおいにあるしw 道三は美濃を娘婿信長に譲るなんて
言ってないだろうけど、「齋藤の家は
あのアホの馬屋に馬を繋ぐようになる」は
言ったかもしれんな 昔桃鉄で岐阜の物件を買い占めるとご当地ヒーローで斎藤道三が出てきたな 本木雅弘氏は多分道三も信長も演じ分けるだろうが、事務所後輩キムタクは彼本人しか演じられんから…w
いっそ太閤さんの役やってみれば良いのさ…種本は山風の「妖説太閤記」がよろしかろうw >>401
それはないわ
太田牛一は慶長18年(1613年)に亡くなってるが、牛一自筆のいわゆる池田本15巻は池田輝政の要望で牛一の生前に輝政に進呈されたと言われてる
ちなみに池田輝政も慶長18年に亡くなってる
大坂城が落城したのは慶長20年5月だから関係ない
首巻(信長生誕~足利義昭奉戴しての上洛まで)は牛一が加筆したのか、子孫や関係ない第三者が加筆したものかは
不明だけど、池田輝政に進呈された時点で首巻は含まれてなかったことは確実 >>409
親父の代から岐阜に来てるよ
生まれを確定するものは不明だが岐阜の生まれの可能性も一応ある >>409
土岐や斎藤(オリジナル)をもっと崇めるべきだよね。 岐阜は人間性最悪。
ホント陰湿な土地柄。
同意する人も多いはず。 >>350
外人も気味悪がったか
俺もキモいと感じた
日本の女ってキモくないか? 井口から岐阜に名称を変えたのは信長だから
信長を称えるのは当然では? 江戸年間の大名もっとピックアップしろよってのなら各地に思うけど
土岐氏みたいに戦国大名に取って代わられた守護大名なんか敬ってるところあんのかよ >>50
義龍はどうだろうな、信長は完全にシャットアウトとしたが
道三討ち取るために家臣の支持得るために合議制にしたから戦国大名としては後退してる
戦国大名化が遅れるというのはまずいんじゃないか? >>244
派手な歴史系は三河にしかないからな
万年負け組の尾張パゴヤには無い
何故、名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 >>14
そうそう岐阜と名付けたのが信長だもんな
斎藤は美濃 >>64
愛知には国宝犬山城が
岐阜には世界遺産白川郷があるから
逆に霞んでしまうんだな 岐阜は関ヶ原の戦いによる岐阜城廃城後、その後を治めた家康の娘婿により現在の加納地区に加納城が築城され
江戸時代の間は「加納」に改名されていた
岐阜の名前が復活したのは明治になってからになる 春は斎藤道三の祭りを行い
秋は織田信長の祭りを行う
岐阜市は
土岐氏、斎藤氏、織田氏の家紋の垂れ幕を掲げる 滋賀でも秀吉まつりか信長まつりやればええ
西川貴教を秀吉か信長で >>437
西川は猿っぽいから長浜で秀吉祭りでいいよ
岐阜を命名した岐阜の信長祭り
長浜を命名した長浜の秀吉祭りでちょうどいい
家康は浜松命名って言われてたけど嘘なんだよね >>437
滋賀は町ごとにやっとるよ
安土は信長だし
彦根は三成だし
長浜は秀吉だし
坂本は光秀だし >>439
彦根は井伊さんやろ
この前のお城祭りのパレードで桐生くんが井伊直政に扮していたし
世界的アスリートの大橋さんがひこにゃんと手を繋いて歩いていた
信長なんていらんやろ 斎藤道三を殺したのは息子の義龍であり
義父の仇をとったのは信長
岐阜だけに 予算がないからやらんやろ
滋賀は城の数が多いから安土に回せる金が少ない >>447
彦根藩は滋賀の一部だけ
大津は幕府直轄、他も膳所藩や水口藩などに細分化されていた ああ、これはまあそうだよねえ。
まあどう考えても隣県からやってきた征服者だからねえ。
何年いたのさ、信長公は岐阜に。
人生50年の幸若舞のように50年間の人生だった信長公、
岐阜の稲葉山城を攻め落としたのは…33歳? 案外若いなw
とはいえ残り17年だからねw そう考えるとすごいなw 密度が濃いwww
でね、まあ雑談なんだけどさ、織田家と岐阜はさその後がちょっと悲しいよね。
信長公(&信忠公)が本能寺で横死した後、清須会議で孫の三法師を擁した秀吉が
天下取りをするわけだけど、その三法師である織田家三代、織田秀信。
この人、岐阜中納言とかいって岐阜にいるわけだけど関ケ原で西軍について
落城させてるからね、岐阜城を。そこから廃城のオワコンなわけでw
そりゃ岐阜からすればなんだよって感じだよねw その気持ちはわかるwww
ところでマムシの道三の娘で信長の嫁さんであられます、
ガチ岐阜県民の帰蝶だったか濃姫だかって令嬢、どこいっちゃったんです? だったら大坂城の秀吉公は止めるべき。
石山本願寺か徳川家の城だからな >>454 くんのいうことはもっともでw
大阪の少なからぬ人士は太閤はん、豊臣秀吉、豊国大明神さまを
郷土の誇りとしていたく崇敬しておるやに仄聞しておりますが
実は意外に秀吉が大阪に居を置いていた期間は短いんだよね。
天下一統のために小田原征伐(奥州仕置)、四国平定、九州征伐から
文禄慶長倭乱と国内各地に転戦に転戦を重ねているからねえ。
そのうえ、畿内におるときも関白官邸たる聚楽第や京都伏見城にいたりしたからねえ。
あ、そういえば>1の話題と絡むんだけど、織田信長と豊臣秀吉の織豊時代、
これを「安土桃山時代」というけど信長時代は安土であって岐阜じゃないんだねw
同じく秀吉時代は桃山(伏見)であって大阪じゃないんだよねえ。 曲直瀬道三
子孫が渡辺プロダクション会長社長一家
坂本九のマナセプロダクションが江戸時代の旗本の曲直瀬道三の血統直系だとか
明治から外国人の血が入った家系だよね
だから英語が達者でアメリカ軍のしごとをして
アメリカが作ったアメリカの国でプロダクション経営で成功 >>454
石山って呼称は江戸時代に入ってから呼ばれるようになったもので、織豊期は大坂本願寺だよ >>1
信長とか現代にいたら
スティーブ・ジョブズみたいな感じなんだろうなあ
日本じゃ生きていけないからアメリカで才能を発揮 >>459
蓮如が明応5年(1496年)に大坂御坊を建立したけど、それ以降大坂が徐々に浸透していった
小坂はそれ以前の呼称というとこになるな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています