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私の貞操観
与謝野晶子

従来は貞操という事を感情ばかりで取扱っていた。「女子がなぜに貞操を尊重するか。」こういう疑問を起さねばならぬほど、昔の女は自己の全生活について細緻さいちな反省を下すことを欠いていた。女という者は昔から定められたそういう習慣の下に盲動しておればそれで十分であると諦あきらめていた。
 けれども今後の女はそうは行かない。感情ばかりで物事を取扱う時代ではなくなった。総すべてに対して「なぜに」と反省し、理智の批判を経て科学的の合理を見出みいだし、自己の思索に繋かけた後でなければ承認しないという事になって行くであろう。
 感情をあながちに斥しりぞけるのではない。女が唯一の頼みとしていた感情は、いわば元始的の偏狭へんきょうと、歴史的の盲動とで海綿状に乱れた物であった。その偏狭は時に可憐だとして小鳥の如くに男子から愛せられる原因とはなったが、大抵はその盲動と共に女子と小人とは養いがたしとて男子から蔑視べっしせられる所以ゆえんであった。
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