転載
■袴田事件が起きた原因 4

各藩の奉行≒今でいうところの警察制度に当たるものは、もっと酷かったと考えられる
石高の低い藩では藩士らは貧乏で、例えば徳川幕府では200石以下を御家人としたが
1万石の大名では、家老クラスですら300石くらいしか貰ってなかったとも
藩内で身分の高い武家でも禄高がたったの150石という事もざらだったようだ

当時は江戸とその他の地方との経済格差が激しく、物価が全然違う為
単純比較はできないのだが、それでも各藩の藩士らは、かなり生活が苦しかったという
藩によっては平時から田畑を耕し、半分農民のようになっていた藩士も多かったそうな

そんな貧乏人ばかりで警察組織が構成され、警察活動に当たっていたとしたら
裕福な家々と役人との癒着は、江戸町奉行所の与力・同心の比ではない事になるし
金を持った連中による金の力でのやりたい放題も、江戸の比ではないという事になる
各藩で警察に当たる活動をしていた者達が、悪人面の悪党揃いだったであろう事は
考えるまでもない事である

こういった組織だったから

「町で凶悪事件が起きて、民心が恐怖と不安で動揺したり、奉行所を非難するようなら
取りあえず下手人を召し取ればいい
別に真犯人である必要はなく、犯人らしく見える者を召し取り、責め苦で吐かせればよい
さすれば民心は落ち着き、奉行所への批判も止み、公の安寧秩序は保たれる
真犯人が別にいたとしても、どうせ濡れ衣で捕まったと知って、儲けものだと思い
新たな犯行は控えて冤罪を起こした事が表沙汰になる事はないから、安心すればよい
また治安維持の為にも見せしめに下手人は死罪か打ち首獄門にしてしまえばよい
死人に口なしで無実の町民に濡れ衣を着せて罪人にした事実を隠蔽出来る」

という発想が出てくるし、それを実践していたわけだ