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ハンガリー革命と猶太人

ロシアの外で最初に共産主義の手に落ちたのはハンガリーだった。第一次大戦の結果、オーストリア・ハンガリー帝國は、その構成部分に解体され、その大部分が大混乱の中に放置された。ソ連のコミンテルンに資金援助され、支配されていた猶太人ボルシェヴィキは、このハンガリーの混乱を利用した。ハンガリー國内の猶太人(その殆どが共産主義者か、或いはその共鳴者であった)の協力の下、彼らは、1919年3月に政府を倒した。次いで、彼らはハンガリー生まれの猶太人、ではあるが、レーニンの代理人であったベーラ・クン(本名:モリッツ・コーエン)の下で、8月12日に至るまで、恐怖政治を行った。

今やハンガリーを支配しているクンの指導する新しい体制は、すべて猶太人だった。そして更に別の主権國家の猶太人クーデターを起こすのだった。ハンガリーの新たな猶太人支配者には、オットー・コルヴィン(Otto Korvin (Kline))、ベーラ・サーントー(Bela Szanto)、ティボル・サミュエリー(Tibor Szamuely)、イェネー・ヴァルガ、ヨーゼフ・ポガニー(Jozseph Pogany)(Jozseph Swartz)、イェネー・レントラー(Jeno Landler)、ジェルジ・ルカーチ、イェネー・ハンブルゲル(Jeno Hamburger)など、嫌になるほどにたくさん見いだされる。

ハンガリーは、その後、各地方に分割され、それぞれに猶太人が政治委員として任命された。その多くは、最下層の粗野な殺人者・猶太人だった。シナゴーグの小遣いだったのが、地方の政治委員(米國で言えば、州知事)になったという者もいた。テロ分隊が組織され、「赤色テロル」が同時期にロシアで起こったものを真似て、大々的に始まった。