622 名前:備えあれば憂い名無し[] 投稿日:2023/05/03(水) 10:59:28.91 ID:LSZKSZ1V [1/2]
福田村事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%9D%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6
福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安[2]の中で、
香川県からの薬の行商団15名が千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)三ツ堀で地元の自警団に暴行され、9名が殺害された事件である[3][4]。

■被害者

香川県三豊郡(現・観音寺市および三豊市)の薬売り行商人15名。うち犠牲者は、妊婦や二歳、四歳、六歳の幼児をふくむ9名(妊婦の胎児を含め、10名とする場合[9]もある)[11]。

■加害者

検挙されたのは、福田村の自警団員4名および隣接する田中村(現柏市)の自警団員4名[9]。

この8名が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、
その結果誤って殺したのだ」と主張しており、また、当時の予審判事は、裁判の前から「量刑は考慮する」と新聞に語っていた[9]。
他方、彼らが検挙された頃、田中村の会議で4名の被告に「見舞金」の名目で弁護費用を出すことを決め、村の各戸から均等に徴収している[9]。
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判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが[9]、
あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。
しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5ヵ月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された[12]。
「中心人物の一人は、出所後、(田中村)村長になり、(柏市に)合併後は市議も務めた」と四国新聞は報じている[13]。