【古代】卑弥呼の時代ではない? 纒向遺跡(奈良県桜井市)のモモの種 真の年代はどこに? C14年代測定は「発展途上の技術」

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0001ごまカンパチ ★2018/06/18(月) 22:45:58.96ID:CAP_USER9
https://mainichi.jp/articles/20180618/dde/014/040/002000c
 「JCal(ジェイカル)はどうなっている?」。
邪馬台国の候補地といわれる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で出土したモモの種の年代を知り、疑問がわいた。

 先月出た「纒向学研究 第6号」によれば、放射性炭素(C14)年代測定の結果、西暦135〜230年(中村俊夫・名古屋大名誉教授)、
同100〜250年(近藤玲(りょう)・徳島県教委社会教育主事)ごろという。
種は遺跡の大型建物跡脇の穴から出た。この建物を邪馬台国の中核施設とみれば、女王卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)に結びつくが。

 話は2009年にさかのぼる。同じ纒向地域にあって卑弥呼の墓説をもつ箸墓(はしはか)古墳の築造年代について、国立歴史民俗博物館(歴博)の
研究グループが240〜260年と発表し、賛否が渦巻いた。

 今の最大の疑問は、その時と今回の年代を導いた根拠が違うことだ。

 C14年代測定は、死んだ生物の体内では炭素(C12、C13、C14)のうちC14だけが時間と共に一定割合で減少する特徴を利用する。
ただ、大気中のC14の比率は太陽活動などで変化するため、測定で得た理論上の数値「炭素年代」を実際の年代に補正する。

 補正用に国際標準のグラフが公開されており、今回も使われた。年代がわかる樹木の年輪をC14年代測定し、その炭素年代と実年代を対応させて補正する。
だが西欧や北米の樹木のため、日本産樹木に基づく補正とはズレがある。
特に、弥生〜古墳時代移行期、1〜4世紀のズレが大きい。

 そこで09年当時、歴博グループは日本産樹木で補正グラフをつくり、箸墓の年代を出した。
国際標準のIntCal(イントカル)に対してJCalと呼ばれ、さらなる整備の必要性が研究者の共通認識になっていたはずだ。
しかし今回、JCalの出番はなかった。

 JCal整備に努める坂本稔・歴博教授(文化財科学)に聞くと、「(精度が上がったものが)できていない」。
信頼度を高める検証が進まず、09年段階で止まっていた。
とすると、国際標準と日本産樹木のズレはどうなっているのか、との疑問もわくが、傍証も複数あり、ズレは明らかという。
ならば、今回公表されたモモの年代が変わる可能性の方を問わねばならない。

 というのも、近藤論文には「議論を深める材料に」とJCalのグラフも参考に掲載され、今回の炭素年代を当てはめると、実年代で4世紀を考える必要が出てくる。
卑弥呼の時代ではない。

 真の年代はどこに? 坂本さんは今回の実年代が変わる可能性を指摘の上、
「注目の高い時期だけに、いつまでたっても年代が決まらない、というわけにはいかない。日本産の樹木できちんと測り、整備しなければと意識している」と話す。

 この点で今、JCal整備に追い風が吹いている。C14年代測定の補正を支える年輪年代だが、日本では根拠となるデータに未公開部分があり国際的な承認を得ていない。
しかし、10年代に入り研究が劇的に進展。年輪の幅を計測する従来の測定法に対し、年輪に痕跡が残されている各年の降水量の多寡を測定し、
その変動パターンから年代を導く「酸素同位体比年輪年代法」が新たに開発された。

 この先端分野を担う一人、箱崎真隆・歴博特任助教(文化財科学)は
「現在、紀元前3000年まで、データを伸ばしつつある状況。論文が発表されてデータがオープンになれば、日本の年輪年代の信頼度も確保されます」と説明する。

 年代測定では、研究者相互の資料提供や議論、検証が重要だ。
酸素同位体比年輪年代法は、従来法と違い樹種を問わないため、資料数が格段に増える可能性がある。JCal再始動の条件が急速に整ってきた。

 「IntCalも数年に一度変わり、実年代も変わる」と坂本さんが言うように、C14年代測定はさらなる精度向上の余地がある点で
「発展途上の技術」(箱崎さん)という認識が測定する自然科学側にはある。
使う考古学の側もその視点が必要だろう。その上で、進化版JCalにより今回の実年代が検証される日を待ちたい。

0748名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:28:56.14ID:MTKr0x4L0
>>744
まあ結局どちらもまだ決定的な証拠を掴んでいないというのはそのとおりだろうね
統計学では九州説が圧倒的に有利らしいけど

https://ironna.jp/article/4548?p=7
> ◆邪馬台国が、福岡県にあった確率
>
>  広島大学名誉教授であった川越哲志氏のまとめた本に、『弥生時代鉄器総覧』(広島大学文学部考古学研究室、2000年刊)がある。
> 弥生時代の鉄器の出土地名表をまとめたものである。鉄器についての、膨大なデータが整理されている。
>
>  『魏志倭人伝』には、倭人は、「鉄鏃(てつぞく)」を用いる、などとある。『弥生時代鉄器総覧』の鉄器出土地名表を見ると、
> 福岡県には49ページ割かれている。これに対し、奈良県には1ページも割かれていない。
> 「邪馬台国=奈良県存在説」を説く人々には、この愕然とするほどの圧倒的な違いが目に入らないのだろうか。
>
>  例えば、弥生時代の鉄鏃の出土数をみれば、図5のようになる。『魏志倭人伝』に記されている事物(鎧・絹・勾玉など)で、
> 遺跡・遺物を残し得るものはすべて、出土数において福岡県が奈良県を圧倒している。
> https://ironna.jp/file/d4c399889c0b962f241b7957292bbe0d.jpg
>
>  図5のような分布を示すいくつかのデータから、邪馬台国が福岡県にあった確率や、奈良県にあった確率を計算によって求めることができる。
> 県ごとの確率は、表1のようになる。
> https://ironna.jp/file/b918d0f424991e886db129418cce67d2.jpg
>
>  これについて詳しくは、拙著『邪馬台国は99.9%福岡県にあった』(勉誠出版、2015年刊)を、ご参照いただきたい。
> この確率計算にあたってご指導、ご協力をいただいた現代を代表する統計学者、松原望氏(東京大学名誉教授、聖学院大学教授)は述べている。
>
> 「統計学者が『鉄の鏃』の各県出土データを見ると、もう邪馬台国についての結論は出ています」

0749名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:28:57.97ID:xwUV/f4r0
>>727
まぁ、そうだろうな
所詮、世の中を動かすのはカネだからね

0750◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 18:30:49.87ID:JPW5dTUF0
>>741
佐原真先生によると、当時の中国の占いは亀の腹の甲羅を使った
亀卜で、これとは違う骨卜だから、あえて特記したらしい。

さておき、素朴な疑問だけども、シャーマニズムと骨卜(亀卜)とは
両立するもんじゃろか? 神の姿は不可視で神の意志は不可知だからこそ、
インタープリターたるシャーマンが必要なんだよね。

0751名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:31:34.94ID:/Ax/keBi0
そもそも卑弥呼の時代なんて存在しね〜よw
いつまで韓国人の妄想に付き合ってんだよw

0752名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:34:40.93ID:mE+jeWPU0
つか近畿は東遷の痕跡がないと言うが
纏向の建築物自体当時近畿では作れない
オーバーテクノロジーだったんじゃないのか
つまり纏向自体が九州勢の痕跡なんじゃないのか

0753名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:38:47.35ID:LS1tI0cU0
>>298,>>300,>>306,>>308

(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項

  ・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/n602AIw.jpg
  ・文字(漢字)を持たない民族だった
  ・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった

0754名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:38:50.97ID:vMt2NC3u0
>>743
むしろこっちの方が日本人のアイデンティティに関わる話なのにね

>>746
ゴッドハンドは藤村の個人的暴走で誤魔化せたけど
纏向は桜井市教育委員会だけでなく歴博まで捏造に関与してるから相当根深い問題だよ
救いは歴博が弥生時代を1000年繰り上げても教科書で取り上げる出版社がないことだね
教科書作ってる奴らはゴッドハンド藤村に騙されて教科書も書き換えて痛い目にあったから
根拠が薄弱な説には飛びつかなくなった

0755名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:39:47.45ID:vMt2NC3u0
しょうもないコピペ貼ってるバカは世の中に必要とされてないことに気づけよw

0756名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:42:22.39ID:hel54qzg0
資源調達には苦労しなかったが所に
何処からか渡来してきたと考えるのが自然だな
それには奈羅は環境が良すぎた

0757名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:43:36.89ID:IPduFa300
纏向は邪馬台国よりももっとすごい発見なのに無理やり邪馬台国や卑弥呼に結び付けようとされてる

0758名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:47:56.33ID:LS1tI0cU0
>>347
(1)渡来人の特徴として確定しているのは以下の事項

  ・寒冷地適応済みの民族だった (https://i.imgur.com/n602AIw.jpg
  ・文字(漢字)を持たない民族だった
  ・中国語とは違う(今の朝鮮語と同じ)文法の言葉をしゃべる民族だった

0759名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:50:49.39ID:4nktFT3t0
>佐原真先生

この佐原にして寺沢にしても、その書いたものは複雑難解
抽象用語をちりばけてw

まあ、内心はわかってるんだろう
だから、複雑難解にしてごまかすしかない

0760◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 18:51:00.68ID:JPW5dTUF0
>>752
神武東征記に出てくる菟狭津媛&菟狭津彦の「一柱騰宮」なんか、
今の技術でもよくわからんよな。

想像図↓
https://pds.exblog.jp/pds/1/200906/11/92/d0127292_23541199.jpg

0761名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:54:06.50ID:MTKr0x4L0
>>760
鬼太郎ハウスかよw

0762名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:56:03.18ID:LS1tI0cU0
>>378,>>381,>>391
新唐書によれば、皇室は神武天皇の代までは筑紫城に住んでいたことになってる
少なくとも当時の倭人が中国にそう説明していたのは間違いないだろう
そして神武天皇は4人兄弟の末っ子


新唐書日本伝
 其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
 皆以「尊」為號、居筑紫城。

(訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
   初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

0763名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:56:05.36ID:/jSwIH9n0
>>752
大きな柱とかは鉄製のノコギリが無いと厳しいんだよね
鉄製品が極度に少ない畿内では確かにオーパーツと言えるかもしれん

0764◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 18:57:09.07ID:JPW5dTUF0
>>761
おお、ありがとう! なるほど鬼太郎ハウスか。
https://pds.exblog.jp/pds/1/200906/11/92/d0127292_23541199.jpg

水木先生のことだから、もしかしたらと邪推したくなるw

0765名無しさん@1周年2018/06/23(土) 18:58:11.37ID:R4c2PKlL0
>>716
三国志の東京は洛陽の事だから。

0766◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 18:58:22.27ID:JPW5dTUF0
>>764
すまん、こっちじゃった。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9c-a4/olap_special/folder/1580536/46/14639246/img_0
思わず興奮しちゃったぜ。

0767名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:25:45.84ID:uE4we1IC0
>>595
普通に考えて九州やんけwww
あほやなお前

0768名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:29:59.11ID:79P5CK2b0
畿内説は普段あんなに威勢がいいのに、専門家でもない一記者の指摘に全然反論できないのな

0769◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 19:30:18.22ID:JPW5dTUF0
太陽が動いていないw
室内実験だな。

0770名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:30:35.55ID:LS1tI0cU0
>>412
>>何らかの理由で奈良盆地の勢力が急速に力をつけて

というより、白村江の戦い以降、九州勢力が衰えたのでは
あるいは唐の侵攻を警戒して奈良に軸足を移した

0771名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:40:40.76ID:FxKO6TCA0
纏向を大和政権初期に絡めないのはそれができない理由があるんだろな
だから何としてでも邪馬台国に絡めてごまかさないといけない
ある意味ゴッドハン…おっとこれ以上は控えさせてもらおう

0772名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:42:59.30ID:lcXUiTVa0
あの時代、ヤマタイコクと読んだ時点で素人

0773名無しさん@1周年2018/06/23(土) 19:46:32.67ID:I4Yt2Jsr0
>>771
邪馬台国に絡めないと発掘費用も出ないし
NHKも朝日新聞も取材に来ない
これが現実
ヤマト王権の宮殿が見つかったぞーとアピールしても
奈良にヤマト王権の宮殿があるのは当たり前でしょ?
と素人は興味も持たない
それが邪馬台国と絡めると目を輝かせるw

0774◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 19:50:08.04ID:JPW5dTUF0
>>773
NASA 「火星で生命の痕跡につながる重大な発見が!!」
一般人「また言ってるよ…」

てな例もあるしなあ。

0775名無しさん@1周年2018/06/23(土) 20:12:10.50ID:BSFpSPFj0
>>625
スサの王って意味だよ
スサはアケメネス朝ペルシア帝国の都

0776名無しさん@1周年2018/06/23(土) 20:21:38.96ID:LS1tI0cU0
>>603
降水量によって、炭素14の量が変わるというのは、どういうメカニズム?

0777◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 20:28:17.90ID:JPW5dTUF0
>>775
俺は、かつて和歌山県西牟婁郡にあった周参見村が怪しいと思う。
スサノオは樹木を喰らう製鉄神だから、木の国(紀伊国)に天下った。

0778名無しさん@1周年2018/06/23(土) 20:38:34.58ID:5GGbbL1+0
>>669
三種の神器は後世にできた概念
そもそも当時の宝物は鏡と剣と玉ぐらいしかなかった
それが広まるのは当たり前のことで、それをもってして文化的東征の根拠とするのには無理がありすぎる
それがなり得るのなら北部九州の墓制(甕棺墓)も広がっていないといけない
だが実際にはそうではない

0779名無しさん@1周年2018/06/23(土) 20:42:23.52ID:I4Yt2Jsr0
>>778
墓制は東進するにしたがって地域の墓制と融合しつつ最終的に前方後円墳になった
と言うだけの話

0780◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 20:49:38.19ID:JPW5dTUF0
>>669, >>778
三種の神器が、今の天皇家のものと同様に世代を超えて
引き継がれるものなら、考古学的に検出はされないよね。

文献史学の立場だと、、たとえば筑前国風土記逸文に出てくる、
伊都県主の五十迹手は、仲哀天皇の九州巡行に際して、八咫鏡を含む
「三種の神器」を持っててあいさつに行っている。このとき岡県主の熊鰐も同様に
八咫鏡を含む「三種の神器」を持って行ったが、こちらは日本書紀の記事。
ちょいと時代が上がるが日本書紀の景行記では、同じく九州巡行に行った
景行天皇に周防の神夏磯媛も三種の神器持参で合いに行っている。

てなわけで、三種の神器は九州の豪族たちの必須アイテムなのだった。

0781名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:17:48.96ID:V/emI7U40
>>752
ヤマト王権に関わった阿曇族がなぜか脇役扱いなのも、磐井の乱等が関係してるのかもな

0782名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:21:37.74ID:hN6kPTDI0
考古学者って言ったもの勝ちみたいなところがあり、非常に胡散くさく詐欺師の匂いがする。

真面目な学者の方が多いんだろうが詐欺師の方が目立つ。

0783名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:31:23.41ID:1dMDuG570
>>782
こういう事言う人は文献学も考古学も区別がついてない

0784名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:39:46.37ID:hN6kPTDI0
>>783 桃の種は考古学だろ?

0785名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:45:53.22ID:/lMQ05me0
国生みも大阪湾から始まるし、古代史はいつの時代も畿内中心

八十島祭。
天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀と書かれてある。なぜ大阪で行うのか?



後鳥羽院の八十島祭にしたがった津守経国の歌。

 ○天の下のどけかるべし。難波潟、田蓑たみのの島に御祓しつれば      津守経国

 八十島は、田蓑島のほかに中之島、福島、曽根洲、柴島くにじまなどの地名に残る。

 ○おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば

   淡島あはしま 自凝島おのころじま 檳榔あぢまさの 島も見ゆ 放さけつ島見ゆ          仁徳天皇


難波の崎からオノコロ島、淡路島見えるとある。
自凝島、字の如く自ずと固まる島、淀川河口の洲だな

古代の人々は国生み神話は、大阪湾の話であるのを当たり前のように理解していた。

0786名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:49:03.52ID:/lMQ05me0
古代の難波はどういう場所だったのか?
下の長唄は、なにわの地が芦原中津國や食国、日本人の故郷と認識されていたのが分かる。


聖武天皇の難波行幸に従駕した笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)の詠んだ一首

押(お)し照(て)る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 
古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆の 
思(おも)ひ息(やす)みて つれも無く ありし間(あひだ)に積麻(うみを)なす 
長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきばしら) 太高(ふとたか)敷きて 食国(をすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 
味経(あぢふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の緒(を)は 廬(いほり)して 都(みやこ)なしたり 旅にはあれども

0787名無しさん@1周年2018/06/23(土) 21:51:14.05ID:/lMQ05me0
近畿は元々縄文系勢力も渡来人系勢力も仲良く暮らしていた。
温暖で河内湖の水資源も豊かで稲作も盛んになり、豊かな地域に発展したんだろう。日本書紀でいう食国、芦原中津國。

スサノオが豊かな田に嫉妬して度々荒らしにきたとあるだろう。近畿周辺の東海や山陰の勢力が嫉妬したんだな。
そして征伐に来る。
倭国大乱、近畿征伐、記紀でいう神武東征だよ。

結果できたのが、山陰と東海の勢力を中心とした邪馬台国、大和朝廷。
近畿は大和朝廷の最初の討伐ターゲットだったんだな。
大和朝廷は4世紀前後四道将軍で関東東北を征伐する。

大和朝廷に虐げられていた元々の近畿の勢力、関東の先住民が手を結び、神功皇后応神を旗頭にして大和朝廷の旧勢力に叛旗を翻すんだよ。
藤原氏の守り神が関東の人々であるように、近畿と関東は同盟関係だったんだな。

0788名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:08:37.83ID:hN6kPTDI0
そもそも桃の種がいつの時代のもので何時頃持ち込まれたのかもわからないのに。
古い材木なんか再利用されて500年くらい前のものも出てくる。
桃の種が祭祀用に使われてたのなら、代々使ってきてのを持ち込んだなんて考えないのかな?

そもそも桃の種の仁は桃仁と言って薬効あらたかな漢方薬として使われてた。100年保存されててもおかしくない。 桃仁酒を作ったカスかもしれないが。

種なんて1000年経っても芽がでるものがある。 大切に代々保管してきたとか考えないのかな?
数十年経っても桃の種なら発芽するだろう。

なんで桃の種の周りにあった木材などの調査をしていないんだ? みんな不自然。 土器とかも一緒に出てきてるはずだろ。なんでそれらの調査結果を発表しないんだ? 建物内部の木材は全て4世紀だと示されてるのに100年ずれてることを不思議と思わない方がおかしいだろ。

0789名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:16:32.93ID:3Gwk19DM0
ヤマタイコクではないヤマトコクだ
いつまで間違った読み方してるんだ
ここのキチガイどもは

0790名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:20:40.18ID:/lMQ05me0
土器編年に基づいても、
纒向遺跡は2世紀末〜4世紀前半
百数十年営まれてきた集落跡
桃の種が集落の営みの初期のものなのか、終わりの頃なのか不明
種の年代が4世紀でも大した意味は無いんじゃないかな

0791名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:24:00.02ID:k3+sjGtj0
鎮馬臺以建都
b.分職命官統女王而列部
c.卑弥娥惑翻叶群情
d.臺与幼歯方諧衆望
e.文身黥面猶太伯之苗
f. 阿輩雞弥自表天児之称
g.因禮義而標秩即智信以命官
h.邪届伊都傍連斯馬
i. 中元之際紫綬之栄
j. 景初之辰恭文錦之献

a.倭国は、山をよりどころとし、海に接したところに、
国の鎮めを置き、そこを「馬臺(またい)」と称して都を建てている。
b.官職を分って任命され、女王に統率されてそれぞれ
「〜部」という形に分けられている。
c.卑弥呼は妖(あや)しい術によって民衆を惑わしている、
とわたしたち中国人に見えるが、
それはかえってこの国の民衆の心にかなっているようだ。
d.臺与(たいよ)は、まだいとけないうちに即位したが、
ちょうどそのとき多くの人々の(内乱終結)への望みをかなえ、やわらげた。

0792名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:26:14.58ID:k3+sjGtj0
f.隋代には、倭国の王「阿輩雞弥(あはきみ)」は、
自ら天児の称を名乗って上表してきた。
g.中国の「礼」「義」や「智」「信」といった徳目によって官職名をつけ、
それを倭国内の官僚組織としている。
h.倭国の都は、ななめに伊都(いと)国に直接届き、
その向こうに斯馬(しま)国が連なる、
という地理的位置に存在している。
i.倭国は、後漢の中元年間(光武帝の末年)に金印紫綬の栄を受け、
j.魏の景初年間にあや錦をうやうやしく献上するといったふうに、
中国の天子との淵源は深い。

0793◆HKZsYRUkck 2018/06/23(土) 22:26:38.61ID:JPW5dTUF0
>>786
俺は住吉三神を奉じる住吉族の出自が気にかかる。
昔は宗像・安曇とともに博多湾岸にいた海人だと思っていたけど、
どうも瀬戸内海在来の民らしい(宮本常一「瀬戸内海文化の系譜」)。

>>788
桃の種は桃の果肉を食ったらナンボでも手に入るんだから、後生大事に
長期保存するもんでもない気がするぞ。
引き出しに入れたまま忘れてた、とかいうのはあるかも知れんw

0794名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:27:28.81ID:k3+sjGtj0
原文抜けてた
a.憑山負海鎮馬臺以建都

0795名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:30:15.66ID:IahPraza0
>>790
規模かしょぼすぎ。

0796名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:31:52.30ID:k3+sjGtj0
e.倭人は、身体にも顔にも入れ墨をしており、
さらに呉(ご)の太伯(たいはく)の子孫だと称していた。

0797名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:37:18.86ID:I4Yt2Jsr0
コピペしてるだけのゴミ死んでくれねーかな

0798名無しさん@1周年2018/06/23(土) 22:43:35.24ID:/lMQ05me0
倭国大乱で住吉三神を倒したのは、遠賀川の石神さん

初期の大和朝廷に虐げられていた、九州の住吉明神、伊吹山の息長氏、和泉の鳥、関東の鹿島の鹿さんが仲良く手を繋いで、
山陰東海の勢力を中心とした侵略王朝の初期の大和朝廷を倒したんだろう

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