【歴史】徳川家康はうんこを漏らして逃げた! 東大教授が教える偉人たちの「表」と「裏」の顔 ★2

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0001砂漠のマスカレード ★2018/08/20(月) 19:33:39.79ID:CAP_USER9
日本の運命を変えるような偉業を成し遂げてきた歴史上の偉人たちは、完全無欠な完璧人間のように見える。
しかし、私たちが知っている彼らの姿はあくまでも表の顔にすぎず、偉人たちにも人間味溢れる部分がある。
そう思わせてくれるのが『東大教授がおしえる やばい日本史』(本郷和人:監修、和田ラヂヲ:イラスト、横山了一:マンガ、滝乃みわこ:執筆/ダイヤモンド社)だ。
本書には卑弥呼や聖徳太子、織田信長などといった誰もが知っているような偉人たちのヤバいエピソードが取り上げられている。
偉人たちの本性や裏の顔を知れば、今までとは違った視点で歴史を楽しめるようにもなるはずだ。

■武田信玄は家臣にラブレターで猛アタック
「甲斐の虎」とも呼ばれた武田信玄は戦国時代最強の軍隊を作り、領土を広げていった有名な武将。
ライバルであった上杉謙信とは10回以上にわたり戦を交えたり、織田信長を止めるために「三方ヶ原の戦い」で徳川家康と対決したりした信玄は数多くの作品で男らしく描かれることが多い人物である。
しかし、そんな信玄には片思い相手に熱い想いを伝えるピュアさもあったのだ。

信玄が活躍した戦国時代は男性同士の恋愛がかっこいいとされており、織田信長や伊達政宗たちにも同性の恋人がいたのだそう。
そんな中、信玄は春日源助という家臣に恋をし、ラブレターで猛アタックをし続けた。
信玄は源助からつれない態度を取られ続けていたが、力で相手の気持ちをねじふせたり、恋を諦めたりすることはなかったという。
こうした信玄のエピソードからは、彼の人柄が伝わってくるようにも感じる。

なお、信玄は弥七郎という他の少年にもこっそりとアタックをしていたことが源助にバレそうになると愛をしたためた、いいわけの手紙を送ったりもしたのだそう。
偉業を成し遂げた信玄の意外な恋愛を知ると、“武田信玄”という人物がより身近に感じられてくる。
偉人だってひとりの人間。そう思わせてくれる魅力が本書にはあるのだ。

■うんこを漏らして戦から逃げ帰った徳川家康
源助へストレートな愛情表現を行っていた熱い男・武田信玄と戦う羽目になった徳川家康は天下統一を成し遂げた偉人である。
しかし、そんな彼にはうんこを漏らして戦から逃げ帰ったという、残念なエピソードもあったのだそう。

その戦いこそが、信玄が活躍した「三方ヶ原の戦い」だ。
家臣たちが自分の身代わりとなり目の前で次々と倒されていく光景を目の当たりにした家康はなんと、うんこを漏らしながら浜松城へ逃げ帰ってしまったのだそう。

そんな逃げっぷりと汚れたパンツを見て城にいた家臣は「なんと情けない」と憂いたそうだが、家康は「これはクソではなく、腰につけていたミソだ」と、驚きの反論をしたのだという。
苦し紛れの言い訳をする家康は「たぬきオヤジ」と呼ばれるほど心の底を見せない人物だったが、こうしたユニークな事実があったことを知ると、なぜだか憎めなくもなってしまう。

なお、家康はこの経験をバネにするため、うんこを漏らした状態の情けない姿と変なポーズをした肖像画をあえて残させたそう。
そして、その後は家臣たちに「ふんどしは白ではなく、黄色のほうが汚れが目立たない」というアドバイスも行っていったのだ。

恥ずかしい体験はあえて心の中にしまいこまず、人にさらすことで自分の糧にする。
そんな裏の顔があったからこそ、家康は歴史上にしっかりと名を残せるような偉人になれたのかもしれない。

教科書に載っているほどの偉人たちも私たちと同じようにひとりの人間であり、残念な一面やヤバいエピソードを持っている。
本書を読めば、自分の推し偉人も見つかるはず。「歴史は難しい…」と思い込んでいる方こそ、ぜひ爆笑しながら偉人達のありえない裏の顔に触れてみてほしい。

http://news.livedoor.com/article/detail/15180259/
2018年8月19日 18時0分 ダ・ヴィンチニュース

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/6/6/664c1_1235_3f8fbdca_6b13039e.jpg

前スレ                   2018/08/20(月) 08:27
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534721227/

0885名無しさん@1周年2018/08/25(土) 00:22:51.55ID:CKHkUwCY0
>>884
慶喜って誰と交代したんだっけ?

0886名無しさん@恐縮です2018/08/25(土) 01:11:55.28ID:V8JR2Mwc0
>>849
>大河ドラマの「徳川家康」が1983年だから、一般に広まったのはそれ以降じゃないかな

これよりずっと前から店頭に並んでた。
マジで出版直後からヒットしたんだろ。

0887名無しさん@恐縮です2018/08/25(土) 01:20:42.87ID:V8JR2Mwc0
>>849
司馬って、時代は違うが、木戸孝允のことも「ただの凡人で、
何の取り得もない人」みたいに言ってたよな。
木戸のことは本にしてないだろ?
おかげで、どういう人なのかよく知らないという。
司馬が本にしなかったせいで、維新の元勲の中では討幕運動始めたりして、
東奔西走した功績はトップクラスだと思うんだが、
大河でも主役になれないし、庶民からも龍馬みたいに尊敬されるでもなく、さんざんな扱われようの木戸w

0888名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:25:16.54ID:fAvCLl2E0
超有名エピソードをドヤ顔で語ってるのか

0889名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:28:29.50ID:/MP70Vfn0
東だとそうでもないけど関西の歴史少年の間では司馬遼は神様で
その小説は史実以上の事実扱いだからねw

0890名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:30:29.46ID:wayQZ/kz0
>>884
あの時点で信忠が生き残れば、
織田家中は全員信忠につくから、明智は
何が何でも、信長、信忠を殺さないと、いけなかった。
この2人のどっちが生き残っても、謀反が成立しない。
明智も逃がすわけにはいかなかった。

単純に言うと、寡兵でこの二人が京都に居ると言うのが奇跡。
他の織田のバカ息子はバカだからどうでもいいw

0891名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:34:20.96ID:UxIy8kV50
家康って毎回逃げてるよな
弱いのに天下取っちゃった人

0892名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:39:23.99ID:Fhk/INzM0
>>364
秀吉は朝廷を復興した
この権威の復活が
後々徳川幕府を苦しめることになる

0893名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:40:44.59ID:wayQZ/kz0
>>891
織田信長の逃げ足には負けるけどなw

0894名無しさん@1周年2018/08/25(土) 01:51:38.67ID:j6R0HMFg0
>>1
>誰もが知っているような偉人たちのヤバいエピソードが取り上げられている。
>偉人たちの本性や裏の顔を知れば、今までとは違った視点で歴史を楽しめるようにもなるはずだ。



家康の合戦時にウンコもらしエピソードでどや顔出来るって、せいぜい中学生くらいまでだと思うんだけど…
何番煎じだよってくらい、手垢の付いたエピソードだな
コンビニで売ってる雑学本か?

0895名無しさん@1周年2018/08/25(土) 07:06:19.64ID:e4xndkCp0
ウンコ漏らした事隠したいと思ってる人達は何故の行動なんだろ?
別に家族でもあるまいに
それに、ウンコ漏らしたのは事実だし

0896名無しさん@1周年2018/08/25(土) 08:08:03.71ID:dAKsGWqY0
>>892
幕府が零落すると朝廷、天皇の権威が高まるのが日本史の定型。
織豊政権期に朝廷の権威が高まったのは事実だけど、幕末までにつながる
ものではないぞ。
江戸期は実質押し込めされたりと幕府の力、権威が圧倒していた。
再び朝廷が幕府を圧倒するようになるのは、天明の飢饉、光格天皇の復興運動、
国学の興隆からだ。

0897名無しさん@1周年2018/08/25(土) 09:12:05.56ID:KhdpJ3kJ0
アホな教授w

0898名無しさん@1周年2018/08/25(土) 09:20:15.17ID:D3f2UOoC0
>>891
私は歴史を知りません、まで読めたw

0899名無しさん@1周年2018/08/25(土) 09:30:42.27ID:WiAZozDe0
秀吉が若いころから徹底した合理主義・現実主義で、冷徹非情に組織的に大量殺人をすることに全く抵抗が無く、
他の武将から恐怖の対象として見られるばかりか、主君であるはずの信長でさえ恐れていたという説が好き。
大河ドラマの秀吉像はこれでやってもらいたい。

0900名無しさん@1周年2018/08/25(土) 09:30:53.33ID:8Bu/GGLT0
家康はパンツをはいてたのか

0901名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:06:10.84ID:CKHkUwCY0
>>896
>幕府が零落すると朝廷、天皇の権威が高まるのが日本史の定型。
定型といっても、幕府は三つしかないわけで江戸幕府より前には室町幕府と鎌倉幕府しかないが、
室町幕府はその権力を失っても朝廷はまったく浮かび上がらなかった
朝廷を庇護していた幕府が凋落すると朝廷も庇護者を失い、食べるにも事欠くようになった

0902名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:13:20.58ID:4/dDB9BV0
>家康が、三方ヶ原での敗戦直後にこの像を自戒のため描かせたとする伝承は、
>昭和時代に創作・形成されたもので史料的根拠は存在しないが[3]、
>そこに含まれる教訓性が多くの日本人から共感・支持された結果、同伝承が広く定着するに至った

0903名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:14:13.75ID:oJQHoO+00
またパヨクか。

0904名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:16:18.50ID:vGYU2q6V0
俺は歴史なんて知らんからへーと思ったけど
信玄はホモーだったてこと?

0905名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:17:34.95ID:4/dDB9BV0
本図は18世紀の終り頃に紀州徳川家から尾張徳川家に伝来し、当時は「家康の肖像画」とのみ伝えられていたが、
明治期以降の尾張徳川家では「長篠戦役図」とされ、1910年(明治43年)に同家が開催した展覧会に出品されると、
その特異な容貌・姿態から珍重されると同時に、「敗戦時の家康の肖像を、同家初代当主・徳川義直が、当時の窮状を忘れないように描かせた」との口伝が付され、
本図が尾張徳川家から財団法人・尾張徳川黎明会が運営する徳川美術館に移された後、
1936年(昭和11年)に開催された展覧会に出品された際に、美術館側により「三方ヶ原の戦い」での敗戦を「狩野探幽に描かせた」図、
更に1972年(昭和47年)頃には「家康自身が描かせ」、「慢心の自戒として生涯座右を離さなかった」との情報が付与された。

この口伝は、「三方ヶ原の戦いでの敗戦直後の姿」という説明が本図の異様な容貌・姿態を理解しやすくし、
また「家康が、自身の慢心を戒めるために自身の姿を描かせ、自戒のために座右に置いた」という逸話が家康の人間性をよく表しているとされ、
「失敗を真摯に反省することが次の成功につながる」という人生譚が現代の日本人の共感を呼んで歴史書や経済誌などでも取り上げられたことから、広く周知されることになったとみられている。

0906名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:18:45.06ID:4/dDB9BV0
本図を「三方ケ原戦役図」とする見方に対して、歴史学者の藤本正行は、『歴史読本スペシャル 特集 間違いだらけの「歴史常識」』のなかで、
風俗史的観点からの考察により、合戦当時の作品ではなく後世に想像に基づいて描かれた図であり、戦役図ではなく礼拝図である可能性を指摘し[6]、
松島仁もこれを支持、本図は神格化された家康像であり、異様な姿態は半跏思惟であり、異様な表情は「忿怒」を表しているとした[7]。

その後、徳川黎明会の学芸員である香山里絵は、明治期に本図が「三方ケ原」ではなく「長篠」の図とされていたことを指摘し[8]、
徳川美術館学芸部長代理である原史彦は、本図を「三方ケ原」の図とする箱書き・目録等は確認できず、1936年の展覧会を紹介する新聞記事以前には遡れなかったことを報告、
あわせて本図の由緒と口伝の発展過程を明らかにした[9]。

0907名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:26:08.94ID:e4xndkCp0
漏らしてしまったのはしゃーないじゃん
天下取ったんだしいいだろ
うんこ漏らしはうんこ漏らしだ

0908名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:42:57.93ID:dAKsGWqY0
>>901
織田信長は追放、実質瓦解させた室町幕府に代わり朝廷を重視するに転換
している。石山本願寺戦は朝廷の仲介、天皇の勅諚を受け入れるという形で終わらせた。
豊臣政権はいうまでもなく秀吉が関白に就いたということは、明確に朝廷の一部として
権力を行使するということで幕府、将軍よりも朝廷権威に依存したものになる。

0909名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:55:32.64ID:GjAESwra0
>>168
秀忠は再評価されてもいい

0910名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:58:11.45ID:CKHkUwCY0
>>908
朝廷のその程度の権威なら、幕府が権力が盛んな時代だってあるよ

0911名無しさん@1周年2018/08/25(土) 10:59:52.09ID:dAKsGWqY0
>>910
例えばなんですか?

0912名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:02:20.15ID:MOf+iPjp0
>>909
なんかあると「信康が生きてれば・・」と父ちゃんにいびられまくってたのによく頑張った!
普通グレるぞ

0913名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:04:20.30ID:vOdTlSz00
女性が犯されそうになったらうんこ漏らすのが一番助かる確率高いよな
スカトロマニアもそうはいないだろう

0914名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:23:52.73ID:IFm3n1ku0
>>904
倍です。
奥さんも本妻の三条殿から、側の諏訪御寮人、禰津御寮人等々
お子さんもたくさんいますし。

0915名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:27:32.16ID:CKHkUwCY0
>>911
どの幕府も必ず朝廷から将軍宣下を受けているし、家臣も官位を受けている
それに元禄時代は江戸幕府の最盛期だろうけど、幕府は赤穂浪士の処分に関して輪王寺宮の「切腹を賜うべき」という助言を得て、
それを拠り所として、「助命すべき」という市中の強い要望を抑えて切腹を申し渡した

0916名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:30:17.83ID:e4xndkCp0
>>915
幕府としたら、台本通りなんだろうな
朝廷に献金して、こう言ってもらうと

0917名無しさん@1周年2018/08/25(土) 11:39:44.93ID:dAKsGWqY0
>>915
それは幕府権力が零落の反作用として朝廷権威は上昇したという主張
の反論としては弱いのではない?
幕府全盛においても大政委任論を超えることはできなかったという証には
なるかもしれないけども。
ちなみに宣下をうける将軍はながらく上座だったのが、家茂の代には下座となり
勅使が上座にと変更されています。
これなどは当方の論を補強する例ですね。

>切腹
荻生徂徠の意見を採用するのに幕府、将軍が悪役になるのを避けるため皇族に
汚れ役を押し付けたといえるかもw
こう見るとまるで逆の例となるかもしれません。

0918名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:04:57.55ID:CKHkUwCY0
>>917
>>917
だとしたら、信長が本願寺との和解に朝廷を利用したのも、大政委任論を超えることができない程度の利用に過ぎないだろ
信長や他の多くの戦国武将は朝廷などには重きを置いていなかったが、本願寺は朝廷に重きを置いていたから
それを利用しただけで、朝廷の権威が上がった明石にはなれないし、
豊臣秀吉が関白に就いたことは、見方を変えれば百姓に関白位を賜い、摂家として豊臣家を興すことを承認せざるを得なかったことは
むしろ朝廷権威の失墜をあらわすものとも言える

0919名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:07:28.49ID:bUXejoiv0
>>885
ゴメン「後退」だった><

>>890
明智の立場はその通りだが
一緒にいた有楽斎が逃げおおせているんだから
信忠も逃げられたんじゃね?ってのが>>883かと
明智は有楽斎なんて小物どうでもいいって逃がしたかもしれんが

0920名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:09:04.18ID:FmOd6VND0
家康のイメージは昔からタヌキとウンコだろ

0921名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:11:36.29ID:wlSxv91T0
戦いに遠いとこから何日もかけて馬で行ったりして食料も当時は良くなかったし、ほとんどの侍が腹壊したりしたんじゃね?

0922名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:24:32.04ID:e4xndkCp0
壊したとしても、家康がウンコ漏らしたのは変わらないし

0923名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:28:01.42ID:CKHkUwCY0
>>919
牟田口はむしろ、後退させなかったことが問題なわけで、
慶喜みたいにまだ決着が見えてもいない段階で、自らさっさと後退して
兵にも抵抗させなかったという対応は真逆じゃないか?
牟田口は無理な作戦をダラダラと継続して大被害を発生させたけど、慶喜は双方の被害を最小限に抑えた

0924名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:30:44.93ID:CLSX+yAn0
>なお、家康はこの経験をバネにするため、うんこを漏らした状態の情けない姿と変なポーズをした肖像画をあえて残させたそう。
>そして、その後は家臣たちに「ふんどしは白ではなく、黄色のほうが汚れが目立たない」というアドバイスも行っていったのだ。

これ全部ただのネタじゃないか、今の東大って嘘教えているのか・・・

0925名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:33:54.12ID:t8ltnVq90
そもそもトイレがあるわけじゃなし、野グソの時代だろ
そこまで抵抗ないんじゃねえの
片ケツ持ち上げてオナラ出すのと同じ感覚じゃね

0926名無しさん@1周年2018/08/25(土) 12:48:39.84ID:bUXejoiv0
>>923
牟田口が後退中の軍を残して自分は後方に退がったことも、そのために兵の不評を買ったのも事実でしょ

>牟田口は無理な作戦をダラダラと継続して大被害を発生させたけど、慶喜は双方の被害を最小限に抑えた
後世の評価はそれでいいだろうけど
牟田口や慶喜に従っていた兵にしたら「オレたちを見捨てやがって」とは思ったんじゃないかなあ

0927名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:07:58.52ID:CKHkUwCY0
>>926
牟田口はもともと前線にはいないだろ
それに、やりたくもない作戦をやらされている前線の将兵としては牟田口なんて近くにいない方がいいだろ
牟田口の存在がイギリス軍への牽制になるとも思えないし
一方慶喜に関しては幕府軍の精神的な柱だし、将軍の指揮する幕府軍と、将軍のいない幕府軍とでは
敵軍が抱く印象も全く違う

慶喜の逃亡に関しては「見捨てられた」と思うが、牟田口が前線にいない件に関しては「いなくなって欲しい」だろ

0928名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:11:53.99ID:1UJNHXO10
これって今でいう過敏性腸症候群だよね
笑ったったらかわいそうやん

0929名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:14:23.76ID:5lRwyJmm0
>>1
春日源助って高坂弾正のことなんだよな
武田が織田・徳川攻めをする間、上杉への備えとして川中島のそばの松代城守り通した武将
そういうこともちゃんと教えろよな灯台

0930名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:14:34.02ID:iyZQ+zPc0
こういう話ばっかりを集めて面白おかしくやってた関西ローカルの小籔千豊が司会してた番組って何だった?
レキ子が色っぽかった

0931名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:21:52.52ID:5cdBOTU/0
>>928
緊張するとウンコでやすい同僚がいたな
いや、やっぱ大人でもウンコマンは
なんじゃこいつてなるわ
そういう体質だとしても

0932名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:31:08.52ID:ZMOtuG+e0
いつまでも流布する俗説
東大教授の頭が停止

0933名無しさん@1周年2018/08/25(土) 13:36:25.07ID:bUXejoiv0
>>928
三成も関ヶ原のとき腹下していたって説あるらしいね
過敏性腸症候群か単なる食中毒かはわからないが
初代ローマ皇帝のアウグストゥスは過敏性腸症候群らしくて
カエサルの仇との決戦のときも寝込んでいたらしい

0934名無しさん@1周年2018/08/25(土) 14:49:23.78ID:SH/zqaDo0
ディスカウントジャパンに勤しむパヨク

0935名無しさん@1周年2018/08/25(土) 17:11:43.98ID:+YYU+hBT0
優秀な小心者だったからこそ最後に天下をとれた

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。