【福岡】漢委奴国王金印、作ります 謎の製法探る研究者

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0001樽悶 ★2018/09/08(土) 18:13:41.29ID:CAP_USER9
当時の製法解明に向け試作中の金印=共同
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/09/08/20180908k0000e040243000p/9.jpg

 約2000年前に中国から伝わり、福岡市東区の志賀島(しかのしま)で見つかったとされる国宝の金印「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」を実際に作ることで、謎に満ちた当時の製法を解き明かす試みを、地元の研究者らが進めている。10月中旬に同市で開催予定のシンポジウムで、最新の研究成果とともに報告する。

 金印は江戸時代後期の1784年、志賀島で作業中の農民が見つけたとされる。印面は2.3センチ四方で、重さ約100グラム。中国の歴史書「後漢書」に記されている、紀元57年に後漢の光武帝が倭(日本)の奴国からの使者に授けた印と同じだとする説が有力だ。

 製作に取り組むのは、鋳造や考古学の専門家ら約20人からなる「九州鋳金研究会」。印の鋳造技術に関する江戸時代の文献をもとに、約2000年前に存在したと考えられる素材を用いた工程を探った。

 福岡市博物館が常設展示している実物は、保護の必要上、手に取ることができなかった。そのため、写真資料を提供してもらうなどして参考にしたという。

 研究会はまず、松ヤニを混ぜたろうで金印の原型を作製。この表面を砂や粘土で固めた後、ろうを熱して液体にして取り除き、鋳型を作る。これに、木炭の火で溶かした金を流し込んだ。

 印面の作り方は、ろうの原型で文字を彫って鋳型として作ってしまう方法と、最後に金印に直接彫る方法の2通りがある。この点も、当時の中国でどちらの方法が主流だったかをうかがわせる史料は見つからない。研究会は両方を試したが、鋳型にする方法は字がゆがみやすいため、実物も直接彫る方法で作られたと推定した。

 研究会会長を務める宮田洋平・福岡教育大教授(金属工芸)は「存在は誰でも知っているけれど、謎が多いのが金印。われわれの取り組みが、古代の技術を知る手掛かりになればいい」と語る。(共同)

毎日新聞 2018年9月8日 10時30分(最終更新 9月8日 10時33分)
https://mainichi.jp/articles/20180908/k00/00e/040/240000c?inb=ra

0645名無しさん@1周年2018/09/10(月) 23:13:30.17ID:G8bKnm7o0
チビと言うか、「亜人」だな

通常の異民族が虫や獣扱いされている中、人の分類なので
まだマシな扱いなんじゃないかなw

0646名無しさん@1周年2018/09/10(月) 23:15:16.72ID:Z58gnz5h0
ID:6cRQ3ptC0
ID:G8bKnm7o0
ウンコを食べる韓国人2連発

0647名無しさん@1周年2018/09/10(月) 23:17:21.86ID:G8bKnm7o0
蜀や魏も漢字から見ると結構酷いよなw

.
●悠然と、かつ執拗に、【日本の犬猫ナチス政策・総本山の地位を堅持し続ける環境省】に、【一切の例外なき犬猫セーフティ・ネットの拡大と拡充】を、強大なる人類の差別なき社会的的使命という観点から、これを厳重に要望する

我々は、ごく自然発生的に何となく、この、古来より、日本で格別の地位を欲しいままにしてきた、(それが良かったのかどうかは別として)日本一有名なハンコ(漢委奴国王金印)が遠慮なくストレートに主張する、
【大中国が、あたかも野良犬にヒョイと餌を放り投げやるかのように使用を許した、奴隷印の(見た目だけ金で立派で、実質、雇われ店長以下でしかない)国王ハンコ】が、
中国の教科書に、連綿と、日本を見下してバカにするネタとして掲載され続けているのかが気になる(気になって仕方がないまではいかない)本心を率直に否定しません

●奄美大島・猫ナチス(※注射)政策に断固として反対の立場を貫く!!

【一匹でも犬・ねこを救う会 http://inuneko-sukuukai.com/share-cat/6160/
【上田市・所轄警察署の薄情で全く腰が退けた、ヤル気皆無で、社会正義の実現に挑戦状を叩き付ける態度は、この世の地獄か!!】

【ホームレス猫】を野良ネコだの野ネコだのと蔑視し、残虐な猫ナチス行為を正当化する、部落差別社会推進の風潮を厳しく断罪する!!!!
●悠然と、かつ執拗に、【日本の犬猫ナチス政策・総本山の地位を堅持し続ける環境省】に、【一切の例外なき犬猫セーフティ・ネットの拡大と拡充】を、強大なる人類の差別なき社会的的使命という観点から、これを厳重に要望する
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0649名無しさん@1周年2018/09/11(火) 03:45:24.43ID:Vdnb92GW0
奴の読みってヌじゃなくドじゃね?
1文字もヤマドだけど2文字でもヤマド
訛って聞こえた

0650名無しさん@1周年2018/09/11(火) 04:13:56.67ID:gw0/lSLb0
半年か1年前には金印の偽物説を書くと嘲笑われてた。
それがなんでこんな大量の偽造説の書き込みが湧いてんだ。
また韓国の仕業か

0651名無しさん@1周年2018/09/11(火) 07:09:37.88ID:QNL1PJhT0
なんせかんせ偽物にしたい勢力がいるということか
馬鹿な国粋主義者どもかな?

0652名無しさん@1周年2018/09/11(火) 08:54:17.21ID:WD7PY1tQ0
あれは三百年ほどで材料が尽きたから同じやり方では同じものはもうつくれないんだがな

0653名無しさん@1周年2018/09/11(火) 10:52:36.35ID:iiM+5xix0
先ず後漢書東夷伝に倭国の南端に位置する国と書かれているので、
金印は倭国にではなく、倭国の中の1国に授与されたというのが正しい。
もう一つは、後漢書東夷伝よりも前の時代に書かれた三国志の魏志倭人伝にも、
奴国が倭国の南限の国と書かれているのと、倭奴国と言う国が出てこないので、
光武帝が金印を与えた倭国の南限の国は奴国と言う解釈で間違いない。
その後の史記で倭奴国と言う国に金印が渡されたがことく書いてあるのは、
後漢書成立以降に、范曄が参照した八家後漢書が失われてしまった為に、
倭之奴国と書かなければいけないところを、倭奴国と書いてしまったのを、
そのまま踏襲して倭奴国と言う国に与えた事になってしまっている為である。

0654名無しさん@1周年2018/09/11(火) 11:15:02.81ID:xxD+Pgn80
>>653
先ず後漢書東夷伝に記載されているのは倭奴国であり奴国などという国は出てこない
また後漢書東夷伝よりも前の時代に書かれた三国志の魏志倭人伝でも奴国に王がいたなどとは書かれていないし
奴国が倭国の南限の国ともかかれていない
君の主張は出鱈目ですね。

0655名無しさん@1周年2018/09/11(火) 15:22:57.14ID:cLAHx6P20
>67
>現代でも中国から印を貰うって意味を理解していないと恥を書く

紐通しの動物と、紐の糸の色で、その国の位を表していた。紫が、最上位。
動物が、瑞獣(応竜、鳳凰、麒麟、霊亀)。麒麟とか、玄武という亀と蛇のキメラとか。

0656名無しさん@1周年2018/09/11(火) 15:48:31.65ID:cLAHx6P20
>644
>倭の奴国王=チビの奴隷の国の王

人偏に委だから、人扱いであり、半島の支配者は鮮俾、鮮裨ではなくて、鮮卑と書かれたので
だったので衝撃だった。鮮で魚というか、獣偏(4本足)・豸(足のない芋虫)篇ではない。旁が
羊であり、遊牧民であることを示している。これは、漢の前の秦が実は、鮮卑出身であることと
関係が深い。中原の地が異民族支配を受けており、隋がトルコ系の西魏の末裔であることと
も関係がある。
倭国は委に通じ、矮小の矮(wai)なので、雅な『日本』にしたと、唐書にある。

『奴』を『の』であるという意義が出されているが、『奴国』と言うモノもある。

0657名無しさん@1周年2018/09/11(火) 15:56:41.74ID:1k3xC4Ig0
御名御璽の印の贋作を作ったりするのが出たりしないかが心配。

0658名無しさん@1周年2018/09/11(火) 16:18:45.49ID:o1zt2z+e0
>>324
そこは劣化ウランだろJK

0659名無しさん@1周年2018/09/11(火) 16:21:43.99ID:o1zt2z+e0
>>143
「そのとおりですよね」 永仁の壺

0660名無しさん@1周年2018/09/11(火) 18:51:45.00ID:NGWiygNm0
邪馬台国とか狗奴国とか蔑称で馬や狗の字を充てているとされているが
十二辰、干支の可能性は無いかな
当時の天文学の方位だったり、順位を表す記号として用いたとか

0661名無しさん@1周年2018/09/11(火) 19:09:09.66ID:+Vy0P+f+0
魏志にもあるが邪馬台は連合組む国々が独自に朝貢しており、それは卑弥呼以前からの風習であったのだろう。
中でも漢の時代、倭奴国王帥升の粘り強い外交努力によりこの金印を授与されるに至ったに違いない。

0662名無しさん@1周年2018/09/11(火) 19:23:55.12ID:yZedQqec0
同じ魏志で、「奴」は高句麗の部族を表すのにも使われてる

涓奴部、絶奴部、順奴部、灌奴部とか

0663名無しさん@1周年2018/09/11(火) 19:55:09.63ID:7bDa+RPq0
当時は皇帝の玉璽は「田黄」と言う石。
それより下の王の印は金。

0664◆HKZsYRUkck 2018/09/11(火) 19:59:05.92ID:dvqTAzUI0
>>662
スレの流れとはぜんぜん関係ないが、なんとなく字面で地域がわかるのな。
北の沿海州方面は渤海(ボッカイ)とか靺鞨(マッカツ)とか促音系だし、
西域は抜悉弥(パシミール)、結骨(キルギス)、回鶻(ウィグル)みたいに、
字義が干からびてるっぽいしw

0665名無しさん@1周年2018/09/11(火) 21:17:03.77ID:FyrvvGRL0
>>662
奴は、集合体の意だね。連合国家というか
匈奴のように部族が集まった形態。
中央集権国家としての国ではない。例えとしては
「子供」←子・供で、本来は子の複数形。

0666名無しさん@1周年2018/09/11(火) 21:24:14.23ID:FyrvvGRL0
金印が異民族に与えられるときは、そのつまみの動物が異民族や気候風土などの特徴を表す。
砂漠地帯であればラクダだし、南国の森林地帯であればヘビであり、
魑であれば、水辺の暮らしでまさに奴国の海岸で生活を表し、ぴったりとなる。
(もし奈良の内陸部なら、ヘビだろうか)
金印は、足利義満ももらっている。しかし!、戦乱で喪失してしまい、
木箱と代用のハンコが現存している。金印の動物などは何であったか不明である。
また、豊臣秀吉も明から金印をもらっているが、これまた形状等は不明。

0667◆HKZsYRUkck 2018/09/11(火) 21:26:13.13ID:dvqTAzUI0
>>665
奴は、「奴ら」と書かない限りは単数形な気がする。
「彼奴(あやつ)」→「あいつ」も単数だし。
元の字義は奴隷の意味で、転じて下賤な人。
これが匈奴の「奴」じゃなかろうか。

0668◆HKZsYRUkck 2018/09/11(火) 21:32:11.41ID:dvqTAzUI0
>>>666
足利義満は、日本国王を僭称して明に身売りしちゃった極悪人だよね。
が、秀吉の場合は、本人が知ったら怒りそうw

0669名無しさん@1周年2018/09/12(水) 13:00:41.09ID:WkWqUIwB0
中国語で、単数・複数とか言ってるのは馬鹿なの?

ウンコ食べてるんだろうね

「彼奴(あやつ)」は日本語だわ

0670名無しさん@1周年2018/09/12(水) 14:30:54.05ID:ltLElsF+0
>>517
getの過去形w

0671名無しさん@1周年2018/09/12(水) 14:45:05.42ID:qTFGAgVa0
KININ

0672名無しさん@1周年2018/09/12(水) 14:59:50.46ID:b+2q1XLH0
曹真がインドに「親魏インド王」みたいな称号出してたんじゃないかな
インドに金印あるかな

0673名無しさん@1周年2018/09/12(水) 17:08:57.06ID:5RKlB/fx0
金より石のほうが尊いのか
知らなかった

0674名無しさん@1周年2018/09/12(水) 17:54:23.21ID:2sVgZo0a0
>>673
玉。自然なもので大きいのは貴重だしね。
まあ、金も貴重だけど、溶かして大きく作るのは容易だし。

0675名無しさん@1周年2018/09/12(水) 18:37:28.30ID:ZqVQNG/p0
中国では100枚渡したと記録が残っている三角縁神獣鏡が国内で500枚以上見つかっている件
なお中国での出土数は0枚w

0676名無しさん@1周年2018/09/12(水) 19:10:10.33ID:oCo+AEEh0
>>675
三角なんたら鏡を100枚渡したとは書いてない
ただ銅鏡100枚とだけじゃなかったっけ?
文献も考古学資料も九州の方が分があると思う
奈良は魏志倭人伝の邪馬台国の勢力範囲外の倭人地域でしょ
大和は一度たりとも中国の属国になった事は無いよ

0677名無しさん@1周年2018/09/12(水) 19:17:24.14ID:gzYPBtvO0
どう考えても、場所と発見者は嘘

0678名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:09:07.39ID:JCIazh8L0
一刀彫りじゃないから偽モンに違いないわ

0679名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:12:01.19ID:abyegNIg0
>>676
そもそも三角縁神獣鏡は4世紀の鏡なんだな
三国志に詳しい人なら知ってるだろうが、三国のうち銅山があったのは呉と蜀で、魏の領内には無かったので
魏は深刻な銅不足に陥り貨幣の鋳造さえままならない状態だった
そのため鏡は小さなものにならざるを得ず、3世紀の魏の頃の鏡は直径十数センチサイズで日本のものより小さいものがほとんど
直径二十センチを超える大型鏡は呉が滅んで銅に余裕ができた280年以降のもので、卑弥呼の時代より後

0680名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:15:47.50ID:abyegNIg0
>>679を言うと鏡に年号が入っているものがあると畿内論者が反論するけど、年号はあとからいくらでも捏造可能で
現に捏造された鏡が見つかっている

https://www.nagaitoshiya.com/ja/1999/himiko-mirror/
> 2.6. 三角縁神獣鏡は四世紀の古墳から出土する
> 卑弥呼は三世紀中頃に死亡したにもかかわらず、鏡はすべて四世紀の古墳から発掘される。
> 畿内説支持者は、虚偽の年代が鏡に入れられるはずがないというが、銘文の字体から、虚偽が明らかな鏡もある。
> 安萬宮山古墳から出土した「青龍三年」(235年)鏡の「龍」の字の旁(つくり)は「大」となっている。
> この字体は四〜五世紀の中国北朝時代に使用された異体字で、後漢・魏晋朝時代にはなかった字体である。
> つまりこの鏡は四〜五世紀の作品であるということである。

他にも、踏み返し鏡(粘土などで型をとってコピーした鏡)では当然ながら模様と一緒に刻まれた年号もコピーされてしまう
要するに年号は何の証明にもならない

0681名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:19:58.96ID:n8EkNmCb0

0682名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:29:08.65ID:WkWqUIwB0
衰退的三国、魏晋南北朝銅鏡
http://blog.sina.com.cn/s/blog_979a61b301019g2z.html

三国鼎立は、闘争が絶え間ない戦争につながり、武装勢力と社会的混乱、経済が激しく荒廃し、銅鏡産業が衰退していた。
これは、戦争が社会的生産性、銅材料の需要の急増(兵器製造の必要性)、銅輸送物流の障害を引き起こしたためです。
銅鏡の生産が急速に減少するのを受けて、従来のパターンが完全ではなくなっても(一般的な鏡など)、品質は荒く、シンプルで、控えめです。
不況は、十六国と北部と南部の王朝の間により顕著であった。
形状に関しては、それらはすべて円形、大きい丸いボタン、平らな上および丸いボタンホルダーである。
鏡本体は一般に小さく、鏡面エッジは大部分が斜めである。
しかし市場には大きな需要があり、当時は北部に多くの鉄製の鏡がありました。
私はちょうど収集し、鉄鏡を介して取得していない、私は写真を見たので、私は生産プロセスを知らない。
しかし、文献からは、非常に美しい鉄製の鏡、そして金と銀の鏡の生産さえありますが、鉄は錆びやすく、保管には適していません。

<中略>

魏晋南北朝時代は中国の鏡の干潮時代であったが、中国の青銅鏡の普及に大きな成果をあげてきた。
日本の各地で150枚以上の漢鏡が出土しているが、中国の青銅鏡は前漢中期以来日本に伝えられ、地元の人々に歓迎されている。
「三国志 魏志倭人伝」にも記録され、「親魏倭王」に「銅鏡百枚」などの贈り物の多数を送った。
その後、紀元4世紀には鏡面と三角形の断面を持つ多数の鏡が作られ、中国の職人が海を渡り日本で製作したことが証明されました。
日本の発掘された青銅鏡には銘があり、彼の家は武昌にあり、洛陽出身です。
同時に、それは鋳造鏡の技術の伝達を証明した。
私のこれらの普通の鏡は、当時の青銅鏡の衰退の小世界に過ぎません。

0683名無しさん@1周年2018/09/12(水) 20:49:42.45ID:dR4QB6hK0
>>680
三角縁神獣鏡が出土した古墳を三世紀の古墳とされてる場合があるな
三角縁神獣鏡が出土した古墳は四〜五世紀以降だよな。

0684名無しさん@1周年2018/09/12(水) 21:00:09.39ID:RvkcNcwR0
卑弥呼は夫がいないし、台与は夫がいたかどうかは不明だが、
徳川将軍は大奥を持っているにもかかわらず直系は何度も断絶しているので
(代表的なのは紀伊から迎えた吉宗)、
卑弥呼のような呪術や占いの才能は遺伝するとは思えないから、
卑弥呼ー台与ーとつづいた血縁関係は、早々に途絶えたと思われる。
後ろ盾となった魏との交易も、魏が滅んでしまい、晋も興るが中国は混乱が続いたため
下賜品も充分もらえず、邪馬台国を中心とした連合国家は戦乱の中で滅んだのだろう。
日本書記に卑弥呼のことは注記に載っているが、金印を含めて、大和朝廷には引き継がれなかったと
みるべき。

0685◆HKZsYRUkck 2018/09/12(水) 21:27:27.11ID:TVfPYFR80
>>669
んじゃ、本場の漢文で「奴」を集合体の意味で使っている例を出しておくれ。

> 「彼奴(あやつ)」は日本語だわ
もちろん。
そして日本は由緒正しい漢字文化圏の国なのだ。
たいていの漢字は正しい字義で使われている

0686名無しさん@1周年2018/09/12(水) 22:00:29.67ID:YSqQrfFx0
>>683
それ確信犯だよなw
徹底的に50〜100年は鯖を読むのが畿内流w

0687名無しさん@1周年2018/09/12(水) 22:07:34.47ID:WkWqUIwB0
ID:TVfPYFR80
ウンコ系右翼ね

相手にせず

0688名無しさん@1周年2018/09/13(木) 05:41:18.60ID:myZVdZ6n0
福岡市博物館が常設展示している実物は、保護の必要上、手に取ることができなかった。
そのため、写真資料を提供してもらうなどして参考にしたという。


ゴミみたいな連中と言う事は分かったw

0689名無しさん@1周年2018/09/13(木) 06:46:50.78ID:bJ4vgnu90
作りかけの写真が公表されているけど、やや似てないな。

0690名無しさん@1周年2018/09/13(木) 13:04:58.22ID:YXUshdPx0
中国共産党は
魏志倭人伝とこの金印を持ち出して

1800年ほど前に日本は中国領土になったとしている
そして現在に至るまで倭国、そして現在の日本に至るまで
倭人〜日本人が日本列島を不法に占拠しており

中国共産党としては、制裁として日本の領土全土の完全支配と日本人を絶滅しなければならないとしている

0691名無しさん@1周年2018/09/13(木) 13:56:50.97ID:b6OMJrh/0
>>645
なるほどたしかに虫や獣扱いの酷い字だが
皇帝がその虫や獣の皿洗いや傘持ちをさせられ晒し者にされるとは
やられ放題で遺伝子的にも性質もその虫や獣に近くなったということだな

0692名無しさん@1周年2018/09/13(木) 14:00:05.26ID:b6OMJrh/0
現在の漢民族は古の漢民族が虫や獣と侮蔑した蛮族に遺伝的に近い

0693名無しさん@1周年2018/09/13(木) 14:20:45.23ID:3XiBoeSj0
(ウィキペディアから引用)
方形周溝墓は弥生時代より早い時期に朝鮮半島に大量に発見されている。
墳丘墓は朝鮮半島南部から伝えられたものと考えられているが、
北部九州では方形周溝墓は極めて少なく近畿地方に発見され始める。
その理由は方形周溝墓を作る集団が北部九州に定住した後、短い時間に
近畿地方に直ぐ移動したからだと考えられている。
福岡県東小田峰遺跡で弥生時代前期初頭の例がある

0694名無しさん@1周年2018/09/13(木) 14:21:32.23ID:3XiBoeSj0
朝鮮半島発祥の方形周溝墓の県別分布数
(民俗学伝承ひろいあげ辞典のHPより抜粋)
東北地方(12基)
 宮城県・・10基  福島県・・2基 
 青森・秋田・岩手・山形県・・ゼロ
北関東地方(67基) 
 茨城県・・34基  栃木県・・18基 群馬県・・15基 
南関東地方(458基) 
 埼玉県・・202基 東京都47基 千葉県・・109基 
 神奈川県・・100基
中部・東海地方(384基)
 新潟県・・2基 富山県・・31基 長野県・・50基
 山梨県・・60基 静岡県・・104基 石川県・・17基
 岐阜県・・11基 愛知県・・26基 福井県・・41基
 三重県・・42基
畿内地方(583基) 
 京都府・・30基 奈良・・16基 大阪府・・131基
 和歌山県・・・9基 兵庫県・・13基 滋賀県・・384基
中国地方(110基) 
 鳥取県・・53基 岡山県・・17基 島根県・・5基
 広島県・・11基 山口県・・24基
四国地方(13基)  
 香川県・・2基 徳島県・・4基 
 愛媛県・・7基 高知県・・ゼロ
北部九州地方(86基) 
 福岡県・・24基 佐賀県・・10基 長崎県・・ゼロ
 大分県・・6基 熊本県・・46基
南部九州地方(2基)  
 宮崎県・・2基 鹿児島県・・ゼロ 

0695名無しさん@1周年2018/09/13(木) 17:04:50.87ID:5Ae/0dmP0
ほんとは細石神社からパクってきたのを
言えないから掘り出したことにした?

志賀島で掘ったというのも明治になって研究して口伝調べて
推測しただけなんだよね

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