0415名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:08:16.19ID:vRgwYChn0
0416名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:08:36.46ID:HN70Es7D0
>>371なるへそ
ヒナモリはそんな意味だったのか 0417名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:14:05.83ID:ZSevqCfZ0
九州に中心地となる器はないよ
0418名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:18:12.83ID:vRgwYChn0
0419名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:26:56.53ID:o306AZKn0
>>413
まさにその通り。それが事実だろう。
3世紀頭の大乱で奈良が倭国盟主やまと(邪馬台)から覇権を奪い、
やまとを名目上の盟主に貶めたが、誰も予想しなかったことが起きた。
権威の膨張である。
権力無き権威は、時に、際限なく膨張する。神と同じだ。
4世紀、大陸の混乱期に、奈良はやまと(邪馬台)を滅ぼすが、
正真正銘の倭国盟主を張るには、もはや、滅ぼした相手である
「やまと」の名を継ぐ以外に選択肢はなかった。
東遷神話を作り、権威継承の正統性を偽装するしかなかったのだ。 0420名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:31:40.76ID:o306AZKn0
>>417
最初は、大陸・半島とのつながりが全てだった。
列島の経済が成長するにつけて、権力の中心は、
当然、地理的中心に移行する。
漢滅亡と南北朝という二度の大陸の混乱期を利用して、
奈良が権力を完全に奪取した。
魏志倭人伝のやまと(邪馬台)は、まさにその中間期の姿。
大乱で権力を失い、新覇権国(奈良)から朝貢させられてた
形だけの倭国盟主、みじめな九州やまと(邪馬台)の姿だ。 0421名無しさん@1周年2019/02/10(日) 15:33:42.21ID:vRgwYChn0
倭の五王も、遣隋使も、ヤマトなんか使ってないわね
隋の使者が都に入る時に、邪馬台=ヤマトに気づいた程度
神話で神武天皇の兄弟は九州の高千穂から出兵したんだよな
で別系統の天孫と自称してたスネ長彦の勢力と戦って勝利
近畿あたりで出土してるのは、スネナガヒコ系のものなんじゃね
0424名無しさん@1周年2019/02/10(日) 16:43:18.03ID:vRgwYChn0
「スネナガヒコ」って表記が独特
これ書いてる奴は、どっか特定のソースから引いてるな
日本書紀 長髄彦(ながすねひこ)
古事記 登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)
0425名無しさん@1周年2019/02/10(日) 16:53:11.62ID:hUJUEZP90
纒向遺跡の外来系土器、東海、山陰系は初期の頃から変わらず多いな。
吉備系は台与の頃にはぐっと減る。
代わりに初期の頃無かった河内系が台与の頃にぐっと増える。
吉備系が減った原因は何なんだろう。
卑弥呼→男王擁立→内乱→台与
この間に何が起きたのだろうか?
男王とは誰なのだろうか?
布留がキーを握っているかもしれない。
鎮魂歌
卑弥呼→台与の頃を歌ったものかな。
石ノ上 布瑠社ノ 太刀モガト 願フ其ノ児ニ 其ノ奉ル
なぜ布留社の【太刀】何だろうか?
太刀は本来誰かに使われるものだからなぁ
ニギハヤヒはどうなってしまったんだろう
切られたカグツチの血が湯津石村に落ちて生まれた神、甕速日、樋速日、建御雷。
饒速日とどういう関係があるのか?
卑弥呼亡き後の男王は吉備系の饒速日だろう
台与の時代、纒向遺跡から吉備系の土器が消えていく
海神が石に乗っ取られる、【牛鬼伝説】に通じるものがあるな
神武東征神話は、2世紀末の卑弥呼を共立した勢力、尾張山陰吉備によるヤマト征伐と
卑弥呼亡き後男王の時代の内乱を合一してできたんだろう
ID:83nZVPlc0
↓
ID:208gzTJq0
↓
ID:hUJUEZP90
トリプルウンコ
布留がキー
>>423
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。
(日本語訳)
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は自らその名の雅ならざるを憎み、
改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。そこの人が入朝したが、多くは自惚れ
が大にして不実な対応だったので、中国はこれを疑う >>423
新唐書日本伝
其俗多女少男、有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、
皆以「尊」為號、居筑紫城。
(訳)そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
新唐書日本伝
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。 ID:7vrijo0P0
旧唐書ループ
>>295 名無しさん@1周年2019/02/09(土) 17:07:16.53ID:/0AH5StZ0
>>1
『旧唐書』倭国・日本国伝 0430名無しさん@1周年2019/02/10(日) 17:39:55.85ID:wYXaquqd0
とにかく、ボクの書き込み読んで下さいよ。
病的な畿内信者、または、予算絡みで四苦八苦してる人たち以外には一発で解決でしょ?
>>358
方角だけは絶対に正しいだとwwwwwwww
末盧国から伊都国の方角が間違ってるだろうに
アホ過ぎる 0432名無しさん@1周年2019/02/10(日) 17:49:53.13ID:9AWEG2wZ0
>>358
こいつ学校で習うことさえ知らないってことじゃん 0434名無しさん@1周年2019/02/10(日) 17:59:17.70ID:nSfZbua00
>>413
継体天皇のところで王朝交代はあったんじゃないかと言われてる
王朝交代だったり大王不在の時代もあるけど、一応王権自体は筑紫→邪馬台(大和)と続いてるんじゃないの 0435名無しさん@1周年2019/02/10(日) 18:02:45.19ID:hUJUEZP90
卑弥呼を共立した邪馬台国派と狗奴国派の政権争いが平安時代まで続いたんやろな
今でも続いているかもしれんが
>>433
と、仰いますと?
とことん付き合いますよ?
さ、そうぞ。 0437名無しさん@1周年2019/02/10(日) 18:12:23.66ID:208gzTJq0
0438名無しさん@1周年2019/02/10(日) 18:42:26.24ID:vRgwYChn0
継体天皇のところで王朝交代はあったニダ
越前からだがな
太宰府が朝廷の出先機関なのは、誰もが知っている
統一教会はウンコを食べる
0439名無しさん@1周年2019/02/10(日) 19:54:36.80ID:TdeGFbQn0
264年に司馬炎は魏から禅譲を受けて、皇帝となり、
晋を起こしている。
その翌年に南郊に壇を設けて、官僚や匈奴の単于を集めて、
皇帝就任のセレモニーを行った。
泰始元年冬十二月丙寅、
南郊に壇を設けた。在任中の百官及び南匈奴の単于ら四夷、
集まった者は数万人に及んだ。柴を焚き、上帝に報告して言った。
その翌年にトヨの使者が洛陽に着いて朝貢した時の晋の歓待の様子だが、
晋書 武帝紀 泰始二年(266年)
十一月己卯、倭人が来てその産物を献上した。
南北の郊外で円丘と方丘とを合し、
冬至の祭祀と夏至の祭祀とを南北の郊外で合した。
わざわざ、南北の壇を合わせて、夏至と冬至の祭りを合わせてやって、
特別に歓待した訳だ。
この様な、過去に例を見ない南北の壇を合わせて、
夏至と冬至の祭りを合わせた祭りに感激した使者が、
その様子を帰国して再現させたのが前方後円墳なのである。
前方後円墳の円の部分は天壇であり、冬至の祭りを行う所である。
前方後円墳の方の部分は地壇であり、夏至の祭りを行う所である。
前方後円墳とは何か、ここで完璧に謎は解けたな。
0440名無しさん@1周年2019/02/10(日) 19:55:58.83ID:vRgwYChn0
前方後円墳とは何か、ここで完璧に謎は解けたニダ
この後、朝貢はなくなるんですけど
吉備と出雲の墳丘墓を合体させたものに九州の王様を葬ったのが前方後円墳だよ
分かりやすい中国史における日本
@台与の後に男性王が立ち晋、宋、梁、隋と使節が絶えないとある
↓
A隋書:アメノタリシヒコが遣使。都は邪馬台国と同じ
↓
B新唐書:桓武天皇までの歴代天皇の中にアメノタリシヒコ(用明天皇)を入れている
↓
C用明天皇の都=新唐書神武より大和に遷るとあるので神武以後の用明天皇都は大和
※筑紫城云々は神武前の神代から日向三代の記事で邪馬台国ではないのが分かる
↓
Dアメノタリシヒコ(用明天皇)の都が邪馬台国と同じ=邪馬台国は大和
↓
Eアメノタリシヒコが各地に一大卒を派遣して属国を監視=一大卒のいる九州は邪馬台国の頃から属国
と言う事が書いてある
最初から九州説も九州王朝も中国は微塵も頭にない
邪馬台国=大和朝廷と言うのも明白
0444名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:30:58.88ID:wYXaquqd0
>>442
だから何?としか言いようのないWebページを貼られても困ります。
方向が信用出来ないと言いたいなら、それなりの根拠を示していただきたいものです。
こちらはちゃんと示しています。 新唐書の歴代天皇を並べてみると分かりやすい
神代から日向三代=日向の筑紫城
↓
神武東征=ここから都が大和
↓
アメノタリシヒコ(用明天皇)の都=邪馬台国と同じ=神武以後なので大和
↓
桓武天皇=平安京
となっている
筑紫城云々はアメノタリシヒコの都ではない=邪馬台国ではないと言う事になる
当然、そうなると倭から日本への改称は壬申の乱であることが自明となり政権の交代などないと明確になる
むしろ新唐書にはハッキリと「邪馬台国は大和でその後の朝廷に繋がる勢力である」と中国は認識しているのが分かる
0446名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:32:50.23ID:sU+sUS1O0
>>443
新唐書の日本川の説明は嘘くさくて中国人は誰も
信じてないと書いてるだろ。
日本国とは白村江の戦いの後に筑紫倭国を併合した
元小国だよ。 >>444
方角が正しい根拠なんか示してないでしょ
方角が正しいか、日数が正しいか、なんて分からないんですよ ID:7vrijo0P0
旧唐書ループ
ID:wreA7nwX0
今度は、新唐書を曲解
ウンコを食べる統一教会
0449名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:37:47.33ID:R4jleS0G0
邪馬台国は北部九州
ただし同時期〜やや後に畿内により大きな国もあった
これでFAでしょ
獣神鏡が日本製確定した時点で畿内説は根拠ゼロやし
筑後地方で間違い無いと思うけどな。古代人がこんな米どころを見逃すはずが無い。
用明天皇(アメノタリシヒコ)の断定は日本側の記事を無視して中国側が独自の記録で書いている
↓
中国は日本の言い分関係なく独自の記録で精査して記載していると言うのが分かる
↓
日本側の隠蔽だの工作だの全く関係なく中国は日本の勢力が邪馬台国からずっと大和にあると断定している
↓
宋史になると改称についての記事は「自ら名を変えた」のみに変わったうえで「日本は小国だが王統は変わらない」と称賛している
中国は最初からずっと日本の勢力が大和にあると理解し、九州説も九州王朝も端から考えてもない
最初から謎なんてどこにもない
>>446
お前、旧唐書も新唐書も読んでないだろww
旧唐書の倭国伝も新唐書の倭国伝も、登場人物はすべて畿内大和朝廷の人しか出て来ないぞ
旧唐書の倭国も新唐書の倭国も畿内の大和朝廷だよ
大好きな旧唐書でも、九州倭国なんて影も形もないwww 0454名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:53:17.13ID:LTNp/P7T0
>>434
今日のどこでも委員会で継体天皇で王朝交代説は否定されていたな
というのは継体天皇の皇后が先代の姉妹の皇女で
別に継体天皇が覇権をとったわけでなく
男系皇族の中からいい人を見つけて跡を継がせた感じだから 大和政権を一言で言うと、民衆が物部、王が九州、墓が吉備と出雲の合体
これが大和政権
0456名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:55:43.15ID:gZ28yC9W0
0457名無しさん@1周年2019/02/10(日) 21:56:48.62ID:gZ28yC9W0
0458名無しさん@1周年2019/02/10(日) 22:00:38.80ID:vRgwYChn0
「簒奪」って、誰から?
無嗣断絶だったから、担がれたのに
>>430
しかし、おまえの書き込み読んだが凄いなw
魏志倭人伝に記載されていることは、あれもデタラメ、これもデタラメ
でも方角だけは信頼できる(キリッ
だから、邪馬台国は九州だ
こんな言い分に誰が納得するんだよw 0461名無しさん@1周年2019/02/10(日) 22:31:09.91ID:vRgwYChn0
ID:gZ28yC9W0
ID:7vrijo0P0
IDコロコロウンコ
「蘇我」ってなってる時点で臣下なんだよね
0462名無しさん@1周年2019/02/10(日) 22:36:05.72ID:sU+sUS1O0
>>453
お前は何を読んだんだよw
日本国は倭国の別種な
倭国は古の倭奴な
畿内は倭国とは無関係 0463名無しさん@1周年2019/02/10(日) 22:36:35.06ID:8hfOUdp20
>>453
畿内大和朝廷の人って、どうやって確認したの? ウンコ九州説は、確認せずに適当なこと書いてるけどね
若干一匹IDコロコロだけど
ウンコも食べるし