※毎日新聞
電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が過労自殺して25日で5年になった。母幸美さん(57)が代理人の弁護士を通じて手記を公開した。「最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。失った苦しみは一生癒えることはありません」と思いをつづっている。全文は以下の通り。【矢澤秀範】
◇
まつりの5年目の命日によせて 高橋幸美 2020年12月25日
「こんな富士山のある田舎で育ったのは、今思えば、幸せだったのかもしれないな。お母さんと弟とカニを捕まえたり、ホタルを見に行ったり、川で泳いだり……」とまつりが語ったのは、亡くなる2、3カ月ほど前のことでした。
まつりが亡くなって今年で5年目のクリスマスを迎えました。
最愛の娘、生きていたら29歳です。
まつりはいつも「お母さん、お仕事終わったの」と電話してくれました。東京に行くと駅まで迎えに来てくれて「お母さん大好き」とぎゅっと抱きしめてくれました。まつりの笑顔が私の幸せ、生きる希望でした。いつかの誕生日のように「お母さんおめでとう」と突然帰ってきてくれることを夢見ています。
でも、私が仕事帰りに向かうのは娘のお墓です。どんなに娘を思っても、二度とまつりを抱きしめることはできません。
娘のベッドには小さい頃のパジャマとお人形とぬいぐるみ。娘の眠る赤い箱の前には、小さい頃遊んだオルゴールの宝石箱。母の日の手紙。きらきらのアクセサリーや口紅。娘が可愛がっていた猫の「ももちゃん」。たくさんの娘の残した大切な娘の息遣いと一緒に、私は5年間なんとか生きてきました。
「死んだ子の年を数える」と言いますが、嘆いても仕方のないことだとわかっていても、最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。最愛の娘を失った苦しみは一生癒えることはありません。
5年前、まつりは確かにこの世界に生きていました。
「こんなにつらいと思わなかった」
「休職か退職か自分で決めるからお母さんは口出ししないでね」と言ったまつり。「会社のいろんな人に相談したからもう大丈夫になったはず」と11月に私に言ったのに、徹夜労働や深夜勤務は続いていました。
2015年12月25日クリスマスの朝、入社後わずか9カ月、24歳になったばかりの人生を終わらせました。
私は駆けつけた警察で娘の自殺の原因を尋ねられた時「仕事が原因です」とすぐに答えました。
「電通に入社しなければ、あの部署に配属されなければ、娘は自ら命を絶つことはなかったのだ」と後悔はつきません。
娘は「文章力や発想力、コミュニケーション能力を発揮したい。早く自立して母に仕送りをしたい」と年収が高いと評判の電通を就職先に決めました。
私は電通の激務の評判や過去に過労自殺があったことを知り、とても心配でした。でも娘は「私は大丈夫。ハングリー精神でいろんな困難を乗り越えてきたんだから」と言いました。
しかし長時間労働や異常な上下関係やハラスメントは、あんなに健康で明るく向上心の強かった娘をも、あっという間に「うつ病」に追い込んだのです。
「これ以上耐えられない。この会社でキャリアを積むことは考えられない。辞めよう」と考えていたのに、責任感の強い娘は頑張っているうちに、「苦しい、つらい、死にたい」と考えるようになり、「死んでしまったら苦しみから逃れられる」と自分で気付かない間に正常な判断ができなくなったのです。
「残業するなと言われるのに、新人は死ぬほど働けとか言われて意味分からない。この会社おかしい」
「今週10時間しか寝ていない」
「生きるために働くのか、働くために生きるのか分からなくなってからが人生」
「これが続くなら死んだ方がよっぽど幸せなんじゃないかとさえ思う」
2016年10月私が娘の過労自殺を公表した当時、これらの娘のSNSは多くの働く人の共感を呼びました。過労死問題は連日、テレビや新聞やネットニュースで取り上げられ、その後、日本中の多くの職場で長時間労働やハラスメントを無くす動きがおこりました。企業は優秀な学生を採用するために社内の働き方の改善に努めました。
以下全文はソース先で
12/25(金) 0:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/39014b3c5c2ba076e8432c4d9b62a7ee6433b062
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/12/24/20201224k0000m040215000p/9.jpg
電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24歳)が過労自殺して25日で5年になった。母幸美さん(57)が代理人の弁護士を通じて手記を公開した。「最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。失った苦しみは一生癒えることはありません」と思いをつづっている。全文は以下の通り。【矢澤秀範】
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まつりの5年目の命日によせて 高橋幸美 2020年12月25日
「こんな富士山のある田舎で育ったのは、今思えば、幸せだったのかもしれないな。お母さんと弟とカニを捕まえたり、ホタルを見に行ったり、川で泳いだり……」とまつりが語ったのは、亡くなる2、3カ月ほど前のことでした。
まつりが亡くなって今年で5年目のクリスマスを迎えました。
最愛の娘、生きていたら29歳です。
まつりはいつも「お母さん、お仕事終わったの」と電話してくれました。東京に行くと駅まで迎えに来てくれて「お母さん大好き」とぎゅっと抱きしめてくれました。まつりの笑顔が私の幸せ、生きる希望でした。いつかの誕生日のように「お母さんおめでとう」と突然帰ってきてくれることを夢見ています。
でも、私が仕事帰りに向かうのは娘のお墓です。どんなに娘を思っても、二度とまつりを抱きしめることはできません。
娘のベッドには小さい頃のパジャマとお人形とぬいぐるみ。娘の眠る赤い箱の前には、小さい頃遊んだオルゴールの宝石箱。母の日の手紙。きらきらのアクセサリーや口紅。娘が可愛がっていた猫の「ももちゃん」。たくさんの娘の残した大切な娘の息遣いと一緒に、私は5年間なんとか生きてきました。
「死んだ子の年を数える」と言いますが、嘆いても仕方のないことだとわかっていても、最愛の娘が生きた24年間の一瞬一瞬をひと時も忘れることなどできません。最愛の娘を失った苦しみは一生癒えることはありません。
5年前、まつりは確かにこの世界に生きていました。
「こんなにつらいと思わなかった」
「休職か退職か自分で決めるからお母さんは口出ししないでね」と言ったまつり。「会社のいろんな人に相談したからもう大丈夫になったはず」と11月に私に言ったのに、徹夜労働や深夜勤務は続いていました。
2015年12月25日クリスマスの朝、入社後わずか9カ月、24歳になったばかりの人生を終わらせました。
私は駆けつけた警察で娘の自殺の原因を尋ねられた時「仕事が原因です」とすぐに答えました。
「電通に入社しなければ、あの部署に配属されなければ、娘は自ら命を絶つことはなかったのだ」と後悔はつきません。
娘は「文章力や発想力、コミュニケーション能力を発揮したい。早く自立して母に仕送りをしたい」と年収が高いと評判の電通を就職先に決めました。
私は電通の激務の評判や過去に過労自殺があったことを知り、とても心配でした。でも娘は「私は大丈夫。ハングリー精神でいろんな困難を乗り越えてきたんだから」と言いました。
しかし長時間労働や異常な上下関係やハラスメントは、あんなに健康で明るく向上心の強かった娘をも、あっという間に「うつ病」に追い込んだのです。
「これ以上耐えられない。この会社でキャリアを積むことは考えられない。辞めよう」と考えていたのに、責任感の強い娘は頑張っているうちに、「苦しい、つらい、死にたい」と考えるようになり、「死んでしまったら苦しみから逃れられる」と自分で気付かない間に正常な判断ができなくなったのです。
「残業するなと言われるのに、新人は死ぬほど働けとか言われて意味分からない。この会社おかしい」
「今週10時間しか寝ていない」
「生きるために働くのか、働くために生きるのか分からなくなってからが人生」
「これが続くなら死んだ方がよっぽど幸せなんじゃないかとさえ思う」
2016年10月私が娘の過労自殺を公表した当時、これらの娘のSNSは多くの働く人の共感を呼びました。過労死問題は連日、テレビや新聞やネットニュースで取り上げられ、その後、日本中の多くの職場で長時間労働やハラスメントを無くす動きがおこりました。企業は優秀な学生を採用するために社内の働き方の改善に努めました。
以下全文はソース先で
12/25(金) 0:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/39014b3c5c2ba076e8432c4d9b62a7ee6433b062
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/12/24/20201224k0000m040215000p/9.jpg