0001砂漠のマスカレード ★2021/03/13(土) 11:00:11.10ID:nnyJWzFM9
豊かさを求めた上京者が、日本で最も貧困という皮肉
コロナ禍以前は、孤独・孤立による寂しさの問題は、過疎化が進み限界集落も出てきている地方の問題と考えていた人も多いのではないだろうか。しかし、私は東京などの都会においても並行して数十年かけて深刻化していたと見ている。しかも、とても皮肉な形で。
1月に国土交通省が発表したデータが、私の懸念をいみじくも裏付けることになった。都道府県別の中間世帯(所得の上位40〜60%)の月単位の可処分所得と基礎支出との差額で豊かさを順位づけしたところ、東京都は全国42位で、通勤時間で失われる機会費用を差し引くと、何と最下位だったのだ。1位は三重県の23万9996円、2位の富山県23万7390円、3位の山形県23万7202円に対し、47位の東京都は13万5201円と三重県の6割にも届かない。
昭和の高度成長期以来、私たちの先人は豊かさを求め経済成長を追求してきた。かつての若者の多くは、地方の閉塞感や人間関係の煩わしさを嫌い、仕事と収入が得られる東京を目指してきた。こうして人口の東京一極集中が進み、若者は富と自由を手にして、衣食住に必要なモノはもちろん、レジャーから家事・育児・介護まで何でもサービスとして買える便利な生活を手に入れた。
しかし東京で働く地方出身者の増加は、核家族化・一人世帯の増加を意味することになった。親戚づきあいや近所づきあいからは解放されて自由ではあるけれど、地方では地域や親族の助け合いで済んでいたことにまでお金がかかる生活を送らざるを得なくなったといえる。
バブル崩壊以降、給与は頭打ちどころか減少傾向となり、一方で控除される税や社会保険料負担は激増してきた。給料は田舎で働く人たちより多いはずなのに、なぜか生活が苦しい――平成の30年間にそう感じる人が増え続けることになった。
私自身、地方から東京に上京してきたかつての若者の一人であったため、こんな感慨を強く抱くようになっていた十数年前、沖縄県の離島に旅をすることがあった。沖縄に暮らす知人を通じて、島の祭りに参加し、夜は波打ち際の砂浜で宴会だ。島に暮らす人たちと交流する中で不思議に思ったことがある。
島にはこれといった産業も仕事もないため、世帯あたりの月収が10万円ちょっとというのに、なぜか皆さん明るく楽しそうだったことだ。海風に吹かれながら泡盛を酌み交わした島の人は私の疑問にこう答えてくれた。
「この島の平均世帯月収は12万〜13万円です。でも、十分に豊かな暮らしです。お年寄りの家の窓が壊れたといえば、近所の働き盛りの人が修理する。朝6時にドンドンと門が叩かれ、近所のおじいやおばあが「畑で取れた野菜だよ」と運んでくれる。この島では、お金に換算できない経済が回っているんですよ」
頭をガツンと殴られたような思いがした。私たちは何を目指して東京に集まりあくせくと働いてきたのだろうか、と。本当の豊かさは大金を稼ぐことではなく、人と人のつながり、ぬくもりを感じることなのだと確信もした。
もっとも、お金があれば、友だちと飲みにも遊びにも行ける。故郷に帰省すれば、親や兄弟姉妹、同窓生たちとも会える。旅をすれば、現地の人たちとも出会える。沢山稼いでいるから沢山使える。そう割り切れば、東京で働き稼ぐことの意味づけもできた。ところが、その東京で働き暮らす中間世帯が最も経済的貧困状況に陥っていたとは、皮肉どころか、もはや悲劇としかいいようがない。
私たちは懸命に経済的な豊かさを求めてきたはずが、経済的な豊かさを得ることは出来ないどころか、最も大切な心の豊かさまで失いかけていたのだ。大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授は、『人新世の「資本論」』(集英社新書)のなかで、現代人の悲劇をこう論じている。
「私たちのほとんどは、自分の手で動物を飼育し、魚を釣り、それらを捌くという能力をもっていない。一昔前の人々は、そのための道具さえも、自前で作っていた。それに比べると、私たちは資本主義に取り込まれ、生き物として無力になっている。商品の力を媒介せずには生きられない。自然とともに生きるための技術を失ってしまっているのである。だから私たちは周辺部からの掠奪によってしか、都市の生活を成り立たせることができない」
そんな想定しなかった危機が訪れているさなか、盆暮れ正月の帰省も寸断するコロナ禍が一気に追い打ちをかけ、「寂しさ」という現代病が悪化したのではないだろうか。
3/13(土) 8:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2911823fba403033ad18f519eb7dc0ad1956949?page=1
コロナ禍以前は、孤独・孤立による寂しさの問題は、過疎化が進み限界集落も出てきている地方の問題と考えていた人も多いのではないだろうか。しかし、私は東京などの都会においても並行して数十年かけて深刻化していたと見ている。しかも、とても皮肉な形で。
1月に国土交通省が発表したデータが、私の懸念をいみじくも裏付けることになった。都道府県別の中間世帯(所得の上位40〜60%)の月単位の可処分所得と基礎支出との差額で豊かさを順位づけしたところ、東京都は全国42位で、通勤時間で失われる機会費用を差し引くと、何と最下位だったのだ。1位は三重県の23万9996円、2位の富山県23万7390円、3位の山形県23万7202円に対し、47位の東京都は13万5201円と三重県の6割にも届かない。
昭和の高度成長期以来、私たちの先人は豊かさを求め経済成長を追求してきた。かつての若者の多くは、地方の閉塞感や人間関係の煩わしさを嫌い、仕事と収入が得られる東京を目指してきた。こうして人口の東京一極集中が進み、若者は富と自由を手にして、衣食住に必要なモノはもちろん、レジャーから家事・育児・介護まで何でもサービスとして買える便利な生活を手に入れた。
しかし東京で働く地方出身者の増加は、核家族化・一人世帯の増加を意味することになった。親戚づきあいや近所づきあいからは解放されて自由ではあるけれど、地方では地域や親族の助け合いで済んでいたことにまでお金がかかる生活を送らざるを得なくなったといえる。
バブル崩壊以降、給与は頭打ちどころか減少傾向となり、一方で控除される税や社会保険料負担は激増してきた。給料は田舎で働く人たちより多いはずなのに、なぜか生活が苦しい――平成の30年間にそう感じる人が増え続けることになった。
私自身、地方から東京に上京してきたかつての若者の一人であったため、こんな感慨を強く抱くようになっていた十数年前、沖縄県の離島に旅をすることがあった。沖縄に暮らす知人を通じて、島の祭りに参加し、夜は波打ち際の砂浜で宴会だ。島に暮らす人たちと交流する中で不思議に思ったことがある。
島にはこれといった産業も仕事もないため、世帯あたりの月収が10万円ちょっとというのに、なぜか皆さん明るく楽しそうだったことだ。海風に吹かれながら泡盛を酌み交わした島の人は私の疑問にこう答えてくれた。
「この島の平均世帯月収は12万〜13万円です。でも、十分に豊かな暮らしです。お年寄りの家の窓が壊れたといえば、近所の働き盛りの人が修理する。朝6時にドンドンと門が叩かれ、近所のおじいやおばあが「畑で取れた野菜だよ」と運んでくれる。この島では、お金に換算できない経済が回っているんですよ」
頭をガツンと殴られたような思いがした。私たちは何を目指して東京に集まりあくせくと働いてきたのだろうか、と。本当の豊かさは大金を稼ぐことではなく、人と人のつながり、ぬくもりを感じることなのだと確信もした。
もっとも、お金があれば、友だちと飲みにも遊びにも行ける。故郷に帰省すれば、親や兄弟姉妹、同窓生たちとも会える。旅をすれば、現地の人たちとも出会える。沢山稼いでいるから沢山使える。そう割り切れば、東京で働き稼ぐことの意味づけもできた。ところが、その東京で働き暮らす中間世帯が最も経済的貧困状況に陥っていたとは、皮肉どころか、もはや悲劇としかいいようがない。
私たちは懸命に経済的な豊かさを求めてきたはずが、経済的な豊かさを得ることは出来ないどころか、最も大切な心の豊かさまで失いかけていたのだ。大阪市立大学大学院の斎藤幸平准教授は、『人新世の「資本論」』(集英社新書)のなかで、現代人の悲劇をこう論じている。
「私たちのほとんどは、自分の手で動物を飼育し、魚を釣り、それらを捌くという能力をもっていない。一昔前の人々は、そのための道具さえも、自前で作っていた。それに比べると、私たちは資本主義に取り込まれ、生き物として無力になっている。商品の力を媒介せずには生きられない。自然とともに生きるための技術を失ってしまっているのである。だから私たちは周辺部からの掠奪によってしか、都市の生活を成り立たせることができない」
そんな想定しなかった危機が訪れているさなか、盆暮れ正月の帰省も寸断するコロナ禍が一気に追い打ちをかけ、「寂しさ」という現代病が悪化したのではないだろうか。
3/13(土) 8:01
https://news.yahoo.co.jp/articles/a2911823fba403033ad18f519eb7dc0ad1956949?page=1