withnews2021/06/04
https://withnews.jp/article/f0210604005qq000000000000000W07n10801qq000023126A
かつてはオタク界隈で使われることが多かった「推し」という言葉。生涯をかけてお金と時間を費やすイメージが強いですが、Z世代(1996〜2012年生まれ)では「推ししか勝たん」など、普段使いの言葉になっています。かつては「変わった人」と思われがちだった何かに熱中すること≠ェ、なぜ、ポジティブに受け止められているようになったのか。そこには、「自分」を表明することで保つアイデンティティーと、そこでつなぎとめようとする「共同性」がありました。
■「推し」はいつ誕生し、どう変容したのか
もともと「推し」という言葉が使われはじめたのは、 1980年代のアイドルブームだったといわれています。当時、いわゆる「オタク界隈」での「推し」が、現在の一般化した「推し」に変容するきっかけとなったのは、モーニング娘。からAKB48にかけてのアイドル界の変化です。
2000年ごろの「推し」は、モーニング娘。のファンの間では、主に2ちゃんねると呼ばれる匿名ネット掲示板で日常的に使われていました。そして、モーニング娘。のファンだった指原莉乃さんや柏木由紀さん自身がアイドルになったことで、アイドル側にも「推し」を使うカルチャーが生まれました。さらに、「推し」がより世間的に認知された決定打は、2009年から2018年に行われていたAKB選抜総選挙(以降、AKB総選挙)です。
ニッセイ基礎研究所の研究員・廣P涼さんは、AKB総選挙がテレビ中継されたことが「推し」を大衆化させたと分析します。「『推す』『推される』という意識はAKB総選挙が社会現象化する前からファンとアイドルの間で醸成されていきました。AKB総選挙の4回目からはテレビ中継が入り、視聴率も20%前後を記録するなど、『推し』文化が大衆化するようになってきました」
AKB総選挙は、ファンとアイドルの中で使われる言葉だった「推し」を、アイドルに興味のない層にも広く知らしめることになったのです。この頃のメディアにとって「誰を推すか?」という命題や、総選挙的なシステムは「重要な関心事になっていた」と廣Pさんは指摘します。
「システムに興味を持ち、かつ『推し』という言葉を使おうとするメディアは、『推し=好きなもの』として聞く街頭インタビューを行うこともありました」そのことが、「『推す』と言う行為を浅くした」といいます。「メディア側が『推し』を(アイドルに限らない)『好きなもの』と再定義したことで、オタクを簡単に名乗れるようになりました。そのことが、『推し』や『オタク』という言葉の陳腐化つながったのです」と廣Pさんは話します。
■Z世代はオタクをどう見ているのか
それでは、「推し」はZ世代(1996〜2012年生まれ)の中でどのように受け入れられていったのでしょうか。今年34歳の私は、かつて世間が抱いていた「オタク」のイメージは、必ずしも良いものだけではなかったように記憶しています。
それゆえ、オタク界隈が発祥の言葉をZ世代があまり抵抗感なく使っているようにみえる現在を少し不思議に思っていました。そんな私の疑問に対して廣Pさんは、「抵抗感はない」と言い切ります。
「オタクという言葉は、1983年ごろから出てきた言葉です。『お宅も?』のような使われ方をするところが語源で、当時は現在ほど大衆向けにはなっていなかった漫画やアニメを大人が消費するのはおかしいという風潮がありました」「そして、1988年から1989年あたりには、宮崎勤事件(4人の幼女を誘拐・殺害した事件)で犯人の『オタク性』を強調するような報道があるなどし、オタクは社会性がないとか引きこもりだとか印象付けるようなレッテルが成立してしまい、必ずしも良い印象とは言えませんでした」
ところが、1996年から2012年生まれのZ世代は「その頃のレッテルを知らない」と廣Pさんは指摘します。
2005年ごろにやってきた秋葉原ブームでは、「電車男」(小説は2004年主出版、ドラマ化は翌2005年)やAKB48が話題になり、「その頃はすでに秋葉原が観光地として成立し、オタクは『ユニークな人たち』という捉えられ方に変化していった」。つまり、メディアが作り出した「オタク像」が、この頃には「メディアによってリブランディングされていった」(廣Pさん)のです。
その後も、深夜アニメの需要が高まったり、Kis-My-Ft2のメンバー宮田俊哉さんをはじめとした著名人がテレビでオタクを公言するようになり、BL系文化も広がっていくなどしたことで「オタクと一般消費者との境目が薄くなっていく傾向がありました」。
(以下リンク先で)
https://withnews.jp/article/f0210604005qq000000000000000W07n10801qq000023126A
かつてはオタク界隈で使われることが多かった「推し」という言葉。生涯をかけてお金と時間を費やすイメージが強いですが、Z世代(1996〜2012年生まれ)では「推ししか勝たん」など、普段使いの言葉になっています。かつては「変わった人」と思われがちだった何かに熱中すること≠ェ、なぜ、ポジティブに受け止められているようになったのか。そこには、「自分」を表明することで保つアイデンティティーと、そこでつなぎとめようとする「共同性」がありました。
■「推し」はいつ誕生し、どう変容したのか
もともと「推し」という言葉が使われはじめたのは、 1980年代のアイドルブームだったといわれています。当時、いわゆる「オタク界隈」での「推し」が、現在の一般化した「推し」に変容するきっかけとなったのは、モーニング娘。からAKB48にかけてのアイドル界の変化です。
2000年ごろの「推し」は、モーニング娘。のファンの間では、主に2ちゃんねると呼ばれる匿名ネット掲示板で日常的に使われていました。そして、モーニング娘。のファンだった指原莉乃さんや柏木由紀さん自身がアイドルになったことで、アイドル側にも「推し」を使うカルチャーが生まれました。さらに、「推し」がより世間的に認知された決定打は、2009年から2018年に行われていたAKB選抜総選挙(以降、AKB総選挙)です。
ニッセイ基礎研究所の研究員・廣P涼さんは、AKB総選挙がテレビ中継されたことが「推し」を大衆化させたと分析します。「『推す』『推される』という意識はAKB総選挙が社会現象化する前からファンとアイドルの間で醸成されていきました。AKB総選挙の4回目からはテレビ中継が入り、視聴率も20%前後を記録するなど、『推し』文化が大衆化するようになってきました」
AKB総選挙は、ファンとアイドルの中で使われる言葉だった「推し」を、アイドルに興味のない層にも広く知らしめることになったのです。この頃のメディアにとって「誰を推すか?」という命題や、総選挙的なシステムは「重要な関心事になっていた」と廣Pさんは指摘します。
「システムに興味を持ち、かつ『推し』という言葉を使おうとするメディアは、『推し=好きなもの』として聞く街頭インタビューを行うこともありました」そのことが、「『推す』と言う行為を浅くした」といいます。「メディア側が『推し』を(アイドルに限らない)『好きなもの』と再定義したことで、オタクを簡単に名乗れるようになりました。そのことが、『推し』や『オタク』という言葉の陳腐化つながったのです」と廣Pさんは話します。
■Z世代はオタクをどう見ているのか
それでは、「推し」はZ世代(1996〜2012年生まれ)の中でどのように受け入れられていったのでしょうか。今年34歳の私は、かつて世間が抱いていた「オタク」のイメージは、必ずしも良いものだけではなかったように記憶しています。
それゆえ、オタク界隈が発祥の言葉をZ世代があまり抵抗感なく使っているようにみえる現在を少し不思議に思っていました。そんな私の疑問に対して廣Pさんは、「抵抗感はない」と言い切ります。
「オタクという言葉は、1983年ごろから出てきた言葉です。『お宅も?』のような使われ方をするところが語源で、当時は現在ほど大衆向けにはなっていなかった漫画やアニメを大人が消費するのはおかしいという風潮がありました」「そして、1988年から1989年あたりには、宮崎勤事件(4人の幼女を誘拐・殺害した事件)で犯人の『オタク性』を強調するような報道があるなどし、オタクは社会性がないとか引きこもりだとか印象付けるようなレッテルが成立してしまい、必ずしも良い印象とは言えませんでした」
ところが、1996年から2012年生まれのZ世代は「その頃のレッテルを知らない」と廣Pさんは指摘します。
2005年ごろにやってきた秋葉原ブームでは、「電車男」(小説は2004年主出版、ドラマ化は翌2005年)やAKB48が話題になり、「その頃はすでに秋葉原が観光地として成立し、オタクは『ユニークな人たち』という捉えられ方に変化していった」。つまり、メディアが作り出した「オタク像」が、この頃には「メディアによってリブランディングされていった」(廣Pさん)のです。
その後も、深夜アニメの需要が高まったり、Kis-My-Ft2のメンバー宮田俊哉さんをはじめとした著名人がテレビでオタクを公言するようになり、BL系文化も広がっていくなどしたことで「オタクと一般消費者との境目が薄くなっていく傾向がありました」。
(以下リンク先で)