齋藤飛鳥はなぜ唯一無二の存在になり得たのか? 卒業を前に、乃木坂46に残した功績を紐解く

乃木坂46の齋藤飛鳥が、最新シングル“ここにはないもの”の活動をもってグループから卒業する。年内いっぱいで乃木坂46のメンバーとしての活動を終えたのち、翌2023年に卒業コンサートの開催が予定されている。

乃木坂46を代表する人物である齋藤は現在、日本の女性アイドルシーンにおいて最も著名なポップアイコンの一人といえる。広範な社会的認知を得ていく2010年代後半以降の乃木坂46は時折、他者との普遍的な共鳴を主題にしたシングル楽曲を発表してきたが、そのうちの一つ“Sing Out!”(2019年)で群舞の中心を預かる齋藤のパフォーマンスはまさに、近年の彼女が背負う立場の大きさを象徴的に示している。

齋藤が乃木坂46の一員として過ごしたこの11年間は、日本のグループアイドルシーンが興隆をみせ、変遷を経ながらやがて社会に定着していく期間でもあった。その流れを牽引した立役者であるAKB48の「公式ライバル」として、乃木坂46は2011年に結成される。当代随一のモンスターグループの名を拝借しつつも、初期の乃木坂46はまだオリジナルのアイデンティティーを確立しておらず、今日から振り返れば組織全体が模索期にあった。そのなかで年少メンバーだった齋藤自身も、シングル表題曲の選抜メンバーではない、いわゆる「アンダーメンバー」としての期間を少なからず過ごす。

乃木坂46が『NHK紅白歌合戦』に初出場するのは結成から4年が過ぎた2015年のこと。同年に選抜メンバーに定着した齋藤は、翌2016年夏に“裸足でSummer”で初めてシングル表題曲のセンターポジションを務める。さらに2017~2018年の『日本レコード大賞』2年連続受賞などを経てグループの社会的な影響力も強くなり、対外的に高い知名度を獲得するメンバーが幾人も育っていく環境下で、齋藤も乃木坂46の顔としてキャリアを重ねてきた。

グループが大きくなっていく一方、直近の数年はともに乃木坂46の礎を築いてきた1期生、2期生メンバーの多くが卒業し、メンバー構成が大きく転換する時期を迎えている。必然的にグループ内における齋藤の立場もより重要なものになっている。もとより、ポピュラーなグループの中心に立つことは、無数のまなざしを向けられあらゆる毀誉褒貶(きよほうへん)を引き受けることと不可分である。折にふれて齋藤が紡ぐ言葉には、そうした自身やグループの社会的立場をいくぶん冷静に俯瞰するような趣がある。それは「乃木坂46の顔」として世間と対峙し続ける彼女が、自然に身につけてきた視野の一端ではあるのだろう。しかしまた、それは単なるドライさや達観を示すものではない。落ち着いた言葉選びやスタンスは一貫しながらも、彼女の振る舞いには乃木坂46への深い愛着や矜持がしばしば強く滲む。

乃木坂46の歴史のすべてに立ち会い、グループに対する俯瞰と愛着とを示しながらセンターを担う齋藤は、いまや唯一無二の境地にある。その彼女の気高さがパフォーマンスにおいて顕著にあらわれるのが、先述の“Sing Out!”でもみられるソロダンスである。グループ在籍中ラストシングルとなる“ここにはないもの”のミュージックビデオでも、銀座線渋谷駅のホームを舞台にした齋藤のソロダンスがハイライトの一つとして用意されている。乃木坂46という共同体のなかで育まれてきた、齋藤飛鳥という演者の軌跡が集約されたワンシーンといえる。

ファッション関連以外にも。特有の存在感で新たな可能性を開拓
そもそも、齋藤が11年間在籍してきた乃木坂46とはどのような演者たちを育み、いかなるクリエイティブを積み重ねてきたグループなのだろうか。

まず際立つのは、俳優業やモデル業など多くの分野への越境、そしてそれぞれのジャンルで足場を築いていくメンバーや出身者たちの姿である。メジャーのフィールドで活動するアイドルの場合、いくつもの分野にアクセスして自らの適性を探り当てたり、アイドルと多分野とを架橋したりといった活動そのものは珍しくない。そのなかでも乃木坂46は、初期から意識的にそれぞれのジャンルと長らく関係を切り結びつつ、多方面に演者を輩出してきた。

早くから大劇場ミュージカルに居場所を求めてきた生田絵梨花や、ファッション方面へアクセスする旗手として雑誌モデルなどへの道を切り開いた白石麻衣らは、その象徴的存在である。
※以降出典先で

齋藤飛鳥はなぜ唯一無二の存在になり得たのか? 卒業を前に、乃木坂46に残した功績を紐解く
https://www.cinra.net/article/202212-saitoasuka_iwmkrcl
2022.12.26 Mon