霧社事件(むしゃじけん)は、1930年10月27日に台湾で起こった
台湾原住民による日本時代後期における最大規模の抗日暴動事件。

暴動の直接の原因といわれているのが、1930年10月7日に日本人
巡査が原住民の若者を殴打した事件である。

日本側は大砲や機関銃、航空機、毒ガス弾(ルイサイト)などの近代
兵器を用いて暴動部族を制圧した[6][7]。味方蕃の戦闘員たちに対して
は敵蕃の首級と引き換えに懸賞金が支給された。懸賞金の対象は蜂起
勢の壮丁のみならず、婦女子まで含まれていた[8]。この措置は同族間で
の凄惨な殺し合いを助長したとされる[9]。
戦闘の中で、700人ほどの暴徒が死亡もしくは自殺、500人ほどが投降した。
特にモーナのマヘボ社では壮丁の妻が戦闘のなかで全員自殺する事態と
なった[11]。 一方、鎮圧側の戦死者は日本軍兵士22人、警察官6人、
味方蕃21人であった
昭和天皇までもが事件の根本には原住民に対する侮蔑がある、と漏らした[

戦後、台湾を統治した蒋介石・国民党政権は徹底的な
日本否定を行いました。
そして「霧社事件」を、「日本の圧政に対する抗日運動を
した英雄的活動」と讃え、蜂起の指導者たちにも
「抗日英雄」の称号を与えました。
そしてさらに、霧社にあった日本人の殉難記念碑を破壊し、
蜂起の参加者らを抗日英雄として讃える石碑まで建てたのです。

台湾側の言い分だと強姦もあったと
日本の警察官たちは、原住民の女性を強姦したり、弄びました。
しかし、原住民の泰雅族社会は「女性の貞操が非常に大事と
いう観念」を持っていたため、日本警察に対する恨みは次
第に深まってゆきました。

正直慰安婦よりもでかい爆弾で海外に大きく知られたら
国益損なうと思う