当時の事情を考えれば、数百人の犠牲者が出たことは、
やむを得ない部分もあるだろう。


『蛇を吊し煙で燻べ家主をいやがらせて立退料四万円余をせしめた/鮮人連の組織的恐喝』 大阪朝日 1926/11/14
『悪辣な鮮人の家主泣かせ/新進会長が仲に入って立退料六千円を取る』 福岡日日1926/12/2
『家賃を払はぬ鮮人に明渡し判決(飾磨郡津田村)』 神戸又新日報 1927/12/6
『立退料目あてに借家を渡り歩く/内地人を手先に使った家主泣かせの鮮人』 大阪毎日 1928/10/4
『封印を破って勝手に住み込む/家賃払はぬため明渡しを執行された男(飴行商)』神戸又新日報 1929/8/23
『家賃を払はぬ鮮人追ひ出されて暴行/大挙して空家に押入る(林田)』 大阪毎日1930/2/26
『貸家へ無断で住み家具一切を薪に/立退料をうけ高架下を追はれた乱暴な韓国人十名(須磨)』 神戸又新日報 1930/10/22
『風采と巧言で偽り/鮮人の借家荒し/立退料取りの常習/湊川署に元兇検挙さる』神戸新聞 1931/6/6
『「借りた以上はおれのもの」/替玉を住せて立退料を/被害各方面に及ぶか(武庫郡精道村)』 神戸又新日報 1931/12/3
『家主泣かす悪鮮人の群/替玉使って家を借り、立退料を恐喝』 神戸新聞1932/2/27
『立退料ばかり二千余円/鮮人を手先に使ふ/うるさい借家人(林田)』 神戸又新日報 1932/3/20
『悪鮮人の借家戦法/目指すは立退料/囮を使って巧みに家主泣かせ/同時に二組検挙さる』 神戸新聞 1932/8/31
『僅か一ヶ月に四軒から立退料/ペテン師鮮人の凄腕/悪運つき芦屋署へ検挙』 神戸又新日報 1932/12/17
『家主泣かせの「糞小路」の鮮人長屋/家賃を払はず立退きにも応ぜぬ/市で善後策を協議(林田)』 大阪毎日 1934/7/26


密航鮮人に苦しめられていた戦前の日本人↑