関東大震災後の朝鮮人暴動事件は、単に反日的な朝鮮人テロリストによるものではなく、
背後に日本の皇室を廃絶し、日本を共産化しようとするソ連のコミンテルンの指令があったと考えられる。
この点は、虎ノ門事件を合わせて考えるとき、当時の国際事情が浮かび上がるだろう。
ロシア革命後、コミンテルンは日本の共産化を重大課題としていた。特に1918年のドイツ革命が共産化に至らず、
ヨーロッパにおける革命の展開が困難になっていたため、スターリンは日本革命の機会を虎視眈々と狙っていた。
関東大震災が起こるやコミンテルンは朝鮮人を指示して、皇太子を殺害し、革命を起こそうとしたが、失敗に終わった。
計画が失敗に終わったわずか約4か月後、同年12月27日に、虎ノ門事件が起こった。
この事件は、共産主義者・難波大助が皇太子を殺害しようとした事件である。
当時皇太子は摂政つまり天皇陛下の代行者だったから、万が一生命に係る事態となれば、わが国の混乱は必至だった。
虎ノ門事件は難波個人の犯行とされているが、大震災後の朝鮮人暴動事件と一連の事件ととらえるべき点は、
ともに共産主義による皇室廃絶・日本革命をめざす国際運動を背景にしたものだったことである。
ロシア革命から6年後、ドイツ革命から5年後という世界的激動の時期の出来事だった。
 当時の皇太子、すなわち後の昭和天皇は朝鮮人暴動事件、虎ノ門事件でまったく傷害を受けることなく、公務を全うされた。
昭和7年(1932)1月8日には、朝鮮人テロリスト、李奉昌(イ・ボンチャン)が手榴弾を天皇の行列に投げつけた桜田門事件が起こった。
この時も、昭和天皇は無事だった。
戦後、韓国では李を英雄として讃え、独立運動の義士として独立記念館で顕彰し、小学校歴史教科書に掲載して教えている。
李は1962年に韓国政府から建国勲章大統領賞を追叙され、1992年には、逝去60周年を記念する郵便切手が発行された。
李奉昌を称賛するのであれば、関東大震災で皇太子を殺害しようとした朝鮮人テロリストも賞賛すべき対象ということになるだろう。
朝鮮人暴動事件を「関東大虐殺」などと喧伝しようと図るのは、単なる反日ではなく、日本そのものの破壊を謀る極めて危険な動機があるものとして警戒すべきである。

※※※韓国・民団の創設者は、関東大震災で皇太子暗殺を謀り
大逆罪で服役したテロリスト、朴烈です。
これは民団が決して日本人には知られたくない事実です。
これが知られると、民団が発足当初からテロリスト集団とバレてしまうからです。
日本人はこのことも併せて覚えておきましょう。