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横浜における目撃者の談話からその一端を見ておきたい。

「一日の大地震に続く大火災に辛ふじて身を以て免れた私は
何等かの方法でこの悲惨極まる状況を知らしめたいと焦慮したが
大崩壊に続くもうかには遺憾ともすることが出来ず、
二日迄絶食のままで諸所を彷徨した(略)交通機関の全滅は元より徒歩さへも危険極まりない。

況んや不逞の鮮人約二千は腕を生んで市中を横行し、略奪を擅にするは元より、
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婦女子二三十人宛を拉し来たり随所に強姦するが如き非人道の所行を白昼に行ふている。
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これに対する官憲の警備は東京市と異なり、軍隊の出動もないので行き届かざること甚だしく、
ついには監獄囚人全部を解放し看守の指揮によりてこれが掃蕩に当たらしめたので大戦闘となり、
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鮮人百余人を斃したが警備隊にも十余人の負傷を生じた模様である。

以上の如き有様なので食料飲料水の欠乏は極に達し、
然も救援の何ものもないので生き残った市民の全部は天を仰いで餓死を待つばかりである」
(大日本石鹸社専務:細田勝一郎談「河北新報」大正十二年九月五日)

「事務長は「陸上は危険ですから御上陸なさることは出来ない」といふ。
何故危険かと問へば「鮮人の暴動です。
昨夜来鮮人が暴動を起し市内各所に出没して強盗、強姦、殺人等をやって居る。
古都に裁判所付近は最も危険で鮮人は小路に隠れてピストルを以て通行人を狙撃して居るとのことである。
若し御疑あるならば現場を実見した巡査を御紹介しましやう。」といふ。」
(「横浜地方裁判所震災略記」バリー丸船内、部長判事長岡熊雄)

(「関東大震災 朝鮮人虐殺の真相」より)
戒厳令発令
こういった状況の中、日本国民を守るために、政府は漸く戒厳令を敷いた。
戒厳令下で、不穏な動きをするものを厳しく捕らえるのは、よもや当たり前のことである。

後藤新平は、不逞鮮人襲撃のニュースを敢えて掲載することを止めて
彼等の暴動が後の昭和天皇に向けられることからお護りした
台湾総督府で民生長官を務めた後藤新平が内務大臣になり、
当時まだご結婚されていなかった摂政宮(後の昭和天皇)の御身を案じ、
終わることなく起きる朝鮮人暴動を沈静化させる意味で、
一斉に朝鮮人の襲撃に関する情報が新聞などが書かれることをストップさせた。

朝鮮人による暴動があったと新聞が書くことで、日本人の自警団が朝鮮人に対する報復が苛烈を極める。
それにより、更に朝鮮人(または其の背後にいる、社会主義者たち)の暴動が摂政宮に向かうことを恐れたのだ。

実際、それ以後、新聞からは「朝鮮人襲来」の類いの記事は抑えられ、
逆に日本人に向けても、「朝鮮人いい人」キャンペーンが始まったという。
現実にあった朝鮮人襲撃のニュースを報道せず、事態を沈静化させたという手法そのものは、
その当時としては仕方が無かったかもしれないが、それにより、
朝鮮人が暴動を起こしたという確固たる事実が消えてしまったのだ。