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古来、日本は中国から多くのモノを取り入れたが、

その中で、断固として受け入れなかったモノが3つある。
 @宦官 A科挙 B纏足

@とBはさておき、Aの科挙においては、現在、普通に「入試制度」として取り入れられている。
そして、その「入試制度」は、まさに民主国家として公平に国民の才能を社会の用として役に立てるに最良なものと考えられてる。

実は、それは勘違いである可能性が高いのだよな。
たとえば、幕末から明治に多くの偉人が登場し、激動の国運を支え続けているが、
それら偉人の多くは、もちろん「科挙」に類するもので社会の上層に浮かび上がったのではない。

彼らは、坂本竜馬を含め、文字通り、自らの才覚で厳しい実社会の荒波を乗り切って、上に上がって行ったのだ。
とても、一介の机上の知識で「試験」にパスして上にノシ上がったのではない。

その、地に足のついた明治の偉勲は、日清・日露の大戦を乗り切り、日本をたちまち国際社会の一等国にしてしまった。
ところが、それら偉臣が去り、その後に登場した「科挙制度(入試制度)」によって世に登場した日本のリーダー層は、
案の定、昭和の敗戦へと日本を滅ぼしてしまったのである。

そして、その波乱の昭和時代を自分の才覚で乗り切った人間が、戦後の日本の復興に大貢献することになる。
ところが、戦後教育で、明治期の科挙(入試)制度に勝る「受験体制」に突っ走った日本は、
今また、明治後半から昭和にかけての大失敗を犯そうとしてるのである。

たとえば、敗戦後の復興で、地に足のついた企業の創業者達(松下幸之助、石坂泰三その他)が去り、
現在の一流大学で役員を占められた多くの大企業が凋落へと向かいつつある。

要するに、現在の「科挙制度」は、国家発展に役に立つモノではなく、
その弊害が、たちまち「イジメ問題」に直結してると言える。

「入試制度」と「イジメ」は、一見無関係と思われガチだが、
動物生態学においても、或る群れが何等かのストレスを受けると群れの弱者が虐待され排除されることは観察で明らかとなっている。
古来日本が、絶対に取り入れようとしなかった「科挙」を廃止し、望むべきは、大学に進学したい生徒をすべて入学させ(その時点で、大学の公平化がなされる)
欧米のごとく、卒業に厳しい審査を設けるようにすべきだろう。

おそらく、そういう形で、「イジメ」は消滅するハズだ。

    ※話は別になるが、
     免許を取るための自動車学校には、内気な人間や逆にゴロツキ染みた者など
     いろんなタイプの人間が集まるが、もちろん、イジメは一切起きない。
     それどころか、その授業中は、皆、食い入るように教師を見ている。
     それは、その学校の目的が、明瞭になってるからだろう。
     入学したい者は全員入学でき、「一定の基準の知識」を獲得した者は、速やかに卒業できるからだ。