>>59 >>81
フィリピンはかなり抵抗したぞ。

米比戦争の際の死者数


アメリカ軍
兵力 12万6000人 アーサー・マッカーサー司令官(ダグラス・マッカーサーの親父)
死者(軍人) 4196人

フィリピン独立革命軍 
兵力 8万人
死者(軍人)1万2000人〜2万人
死者(民間人)20万〜150万人(10歳以上は全員殺せ!との米軍方針)


日本は明治維新の際、列強の艦隊との戦闘で一体何人の武士が戦死した?
(まあ、これは、欧米列強とのそこまでの大戦争を回避できた事が大きいが。)


特に、モロ等の山岳民族は、刀で切り込み突撃をしたが、モロの男達はとても勇敢で、
38口径のアメリカ製の拳銃弾を何発喰らっても倒れないほど屈強だった。
そこで、彼らを一発で殺戮する為に、アメリカ軍は1911年、45口径の拳銃(M1911)を開発した。


ちなみに、当時、日本の民間人(と、一部の軍人)は、フィリピンの独立運動を支援したりもした。
一部の人(武士崩れが多かった?)は、軍艦や武器弾薬を送ったりもしている。
http://hiramayoihi.com/Yh_ronbun_dainiji_philindepenthtm.htm


しかし、当時の日本政府は、フィリピンの独立運動には冷淡だった。
総理大臣桂太郎と、元フィリピン総督で国務長官のタフトの間で結ばれた、
桂=タフト協定(1905年)

この協定で、日本はアメリカのフィリピン領有を黙認するのと引き換えに、
朝鮮半島に対する日本の領有権を、アメリカの後ろ盾で認めさせた。

これがあるから、アメリカ政府は日本の朝鮮領有を非難できないし、
日本政府もまた、アメリカのフィリピン領有を非難できなかった。