各国で注目される選挙が近づくたびに必ず耳にする言葉がある。ポピュリズムだ。大衆迎合主義とも訳され、批判する文脈で使われる。でも、大衆が決めるのは民主主義の基本のはず。大衆に迎合して決めたら、なぜだめなのか?

 「今日はみなさんの一日。米国はみなさんの国です」

 今年1月の就任演説で、米国のトランプ大統領はそう語り、国民の団結を訴えた。選挙戦でトランプ氏はツイッターで虚実ない交ぜの情報を発信するなどして関心を集め、既存の政治に不満や怒りを抱く人たちの心をつかんで支持を拡大。民主主義のダイナミズムの成功事例にも見えるのだが、ポピュリズムの典型例として批判も根強い。

 ポピュリズムの特徴は、極端に単純化した争点を掲げる、大衆の欲望を読んで「敵」を見つけて攻撃する、などが挙げられる。「みなさんの国」と語ったトランプ氏も他の集会では「市民の団結が重要だ。他の人たちはどうでもいい」と発言。「みなさん」に含まれない市民はかなりいるようだ。

 評価は難しい。仏大統領選に立候補している右翼・国民戦線ルペン党首は、「今の政治は民衆を侮りすぎている」とポピュリストを自任。危うさは残るが政治と民意をつなぐべき政党が役割を果たさない時、ポピュリズムが議会政治のゆがみをただすと評価する専門家もいる。

 固有名詞としてのポピュリズムの起源は、19世紀末、米国南部や西部で盛り上がった農民運動から結成された人民党(ポピュリスト)だ。急速な工業化を背景に、農産物の価格が下落。その結果、生活が困窮した人たちが自由放任だった市場経済に対して適切な介入をするよう政府に働きかけた。忘れられていた農民らの声を政治のチャンネルにつないだのが、この場合のポピュリストだ。1896年の大統領選で影響力を発揮するほど勢力を拡大させたが、2大政党の一翼、民主党が訴えを組み込み、政党としては消滅した。

 民主主義の古典リンカーンのゲティズバーグ演説の一節はポピュリストが語る「団結」と似ているようにも読める。結局、ポピュリズムは歴史的に成功したと認められれば、民主主義になるということなのか。

 森政稔・東大教授(政治思想史)は民主主義思想の歴史的な発展を踏まえると、「ポピュリズムは民主主義とは違うものと考えるべきだ」と語る。

 ルソーが『社会契約論』で語ったように、民主主義の基本には人民主権という考え方がある。だが、現代の民主主義はさらに進み、主権を持つ「我々」の内部にはいろんな人がいることに気づいている。その「違い」を守る仕組みを含めて民主主義と考えるというのだ。米国の公民権運動やベトナム反戦運動の展開を踏まえ、デモやNPO活動など選挙以外の手段で、私たちは民意を「表現」し、民主主義をよりよいものにアップデートしようとしてきた。

 「選挙は民主主義の回路の一つに過ぎない。それを絶対視し、民意を聞けば『何でもできる』と語るポピュリストは実は古いタイプの政治家です」

 閉塞(へいそく)した政治にポピュリズムしかないと考えるのは、政治の刷新どころか後退なのだ。

続きはWebでどうぞ
http://www.asahi.com/articles/ASK4G7RMXK4GUCVL01Y.html

2017/4/23 11:27 配信 朝日新聞