戦後憲法の守護神だった宮澤俊義は、
新憲法なんて絶対認められないと猛批判してたのに、
GHQに呼び出し食らって密談した後、
突然、熱烈な新憲法擁護に転換して、
宮廷革命論をぶち上げた
GHQから金銭支援を受けたんじゃないかと見てるんだが、
天皇への精神的服従がそうさせてたのが大きいようだ
ということは現憲法というのは明治憲法が生み出した奇形児だろう

あの世代は、例えば教科書裁判の家永三郎がそうだったそうだが、
乗車してる電車が皇居に近付くと、深々とお辞儀をして通りすぎんだそうだ
先輩の乗る阪急電車にお辞儀する宝塚学生みたいなもんだ


幣原は天皇が呼び戻した人物
天皇は憲法9条だけでなく、
日本国内への米軍基地の無制約の展開を支持するなど、
吉田茂ですら引くほどの対米従属ぶりだった
日本の核カードも無効にしてしまった
靖国問題も、敗戦指導者であるいわゆるA級戦犯合祀に問題があったことは確かだが、
それでも昭和天皇が参拝途絶させなければ、
国内的に靖国参拝批判が主流になるこは無かったはず
今の日本がこんな風になってることの責任のかなりが昭和天皇にある


2016/08/15
「9条は幣原首相が提案」マッカーサーが憲法調査会の高柳会長に宛てた書簡に明記された史料を発見・・・「押しつけ憲法」否定★7
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1471271293/


2009年3月21日 (土)
ロッキード事件L…昭和天皇の極秘指令と田中角栄逮捕の関係
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-4838.html
平野貞夫『ロッキード事件「葬られた真実」』講談社(0607)は、ロッキード国会の最大の謎は、
前尾繁三郎衆院議長の「核防条約」承認への異常な執念だったという。
前尾は、昭和56(1981)年7月7日、亡くなる約2週間前に、平野氏に神田の割烹で、核防条約に突っ走った理由を説明する。

前尾議長によれば、両院議長裁定までやって国会を正常化したのは、核防条約のためだった。
前尾は、国会報告の内奏で天皇陛下に面談するたびに、核防条約のことを聞かれていた。
昭和天皇は、外国の元首と会うとかならずといっていいほど、核防条約のことが話題になり、気にしていたのだった。
唯一の被爆国として、署名しないまま放置している核防条約について、心を痛めていたのだ。

この昭和天皇の想いに報いるため、前尾議長は核防条約を成立させるため、衆院を解散させないと腹を括った。
4月20日までに審議を正常化させ、会期終了日の5月24日までに30日間の余裕を与えて自然成立を狙ったのだ。
そのために最大の懸案事項は、ロッキード事件だった。
前尾議長は、直接あるいは間接に、田中角栄にいったん政界から身を退くように伝えた。
しかし、田中角栄はそれを了承しなかった。

前尾議長の国会正常化への執念が、両院議長裁定となって、解散風を止めてしまった。
それは結果的に、ロッキード事件の方向性を、田中逮捕に転じさせることになった。
平野氏によれば、核防条約の成立は、田中角栄の逮捕の上に成り立っていたということになる。
つまり、核防条約承認を求める昭和天皇の「極秘指令」が、結果として田中角栄を逮捕する道筋をつけた、というわけである。

昭和天皇の「極秘指令」
平野 貞夫 (著) 出版社: 講談社 (2004/4/11)
https://www.amazon.co.jp/dp/4062123703/