■皇統が双系継承と認識されていた証拠

岡部政久が政定を婿養子とした件について
 「漢國にては。女の血系をば。系ともなき如く云めれど。皇國は神世よりして。女の系をも系と立て。へだつる事なきぞ。
 神随なる道なる。そは掛巻くも畏き。天皇の御大祖の。女神に御坐すをもて知るべし。但し。是につきて心得べき事
 あり。そは家の女子に聟とりて繼たるは。然る事なれど。家の男子娵を迎へたるは。尋常の事にて。右の道理とは異
 なり。思ひ混ふべからず」 (玉襷 九之巻) 平田篤胤

皇統男系説は、明治時代の男尊女卑思想の影響で生まれた謬説。
江戸時代以前に男系継承と認識されていた形跡はない。