184 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2012/07/10(火) 21:49:18.24 ID:gwEUj9Zc
美智子皇后陛下は邦楽の心得がない。
それで昭和天皇の御世には肩身が狭かった。

昭和天皇御還暦奉祝会では山田・入江両侍従が謡曲「高砂」で前座、
高松宮両殿下は雅楽「越天楽」をなさった。
宮様が龍笛、妃殿下が雅楽の御琴。
ピアノ独奏は東久邇宮信彦様。(東宮両殿下はチェロ・ピアノ二重奏)
皇后陛下、宮家妃殿下の方々6名で歌われた謡曲「猩々」
美智子妃殿下は加わらず。

香淳皇后陛下の御還暦奉祝会でも
「越天楽」「黒田節」
日本最古の民謡を女官8名が御縫お召のかいどり姿で歌ったなどなど。

高松宮妃は「越天楽」の琴は山田流と違うので
宮内庁楽部の指導の下、猛練習をなすった。
泥縄だったと書いておられるが、やはり素地があるからなんとかなった。

美智子妃は陰で母親の教養云々と陰口をたたかれ悔しい思いをした。
もともとおっとりしっとり弾くタイプではないのでオクの役人にうるささを注意され、
逆上してアメリカ側に言いつけた。
皇后になってからも数年は思うように弾かせてもらえなかったとしばしばサロンで愚痴っていた。
それほどピアノが弾ける、というのは妃殿下→皇后のアイデンティティにかかわる重要事であった。