今回は、文書が存在しないかのごとくの印象操作が

松野の記者会見で行われたということ。

松野文部科学大臣によれば、

「存在はするのかもしれないが、 確認はできなかった。」とのこと。

これは、文書が存在する可能性がある。

今回の文科省の言い訳の理屈としては、

「事実としては寄付はしたのだが、寄付をした記憶がない」

というのと同じ言い訳構造。

これは事実としては文書が存在したということですねw