小林よしのり

内閣法制局の人事と同じく、またしても官邸の言いなりになる人事を断行して、独裁色を強めてきた。
天皇陛下を徹底的に首相の下に置いて、管理しようとしているのだろう。

もはや「臣下」でも何でもない。
かつて東条英機にしろ、吉田茂にしろ、「臣下」という意識は強烈に持っていたが、
あいにく安倍首相にとっては、天皇を臣下にしたいという野望の方が強いようだ。

「国民主権」が行き過ぎた政治家や自称保守派は、天皇の政治利用しか考えなくなる。
天皇が自らの主体性を発揮すると、暴走だと言い募り、憲法違反の疑いありと、天皇批判を始めるのだ。

だがここで断言しておくが、天皇は「公」の体現者である。
私利私欲で暴走することは絶対にない!
特に今上陛下の場合は、そんな人物ではない。

政府こそが「私」に埋没し、国家の「公」を崩壊させる危険が見えてきたときだけ、
天皇は主体性を発揮する。
それを「暴走」と言う者は、そもそも「公」が見えていないからである。

8月8日の玉音放送のお言葉を再読せよ。すべて「公」に繋がっている。
「疲れたから自分だけでも退位させてくれ」と仰っているわけではないのである。
国民は「お可哀そう」で留まっていてはいけない。