「破戒」 島崎藤村 (1906年)

『皆さんも御存じでせう。』と丑松は噛んで含めるやうに言つた。
『是(この)山国に住む人々を分けて見ると、大凡(おおよそ)五通りに別れて居ます。
それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶(ばう)さんと、それからまだ外に穢多といふ階級があります。
御存じでせう、其穢多は今でも町はづれに一団(ひとかたまり)に成つて居て、皆さんの履(はく)麻裏(あさうら)を造(つく)つたり、靴や太鼓や三味線等を製(こしら)へたり、あるものは又お百姓して生活(くらし)を立てゝ居るといふことを。
御存じでせう、其穢多は御出入と言つて、稲を一束づゝ持つて、皆さんの父親(おとつ)さんや祖父(おぢい)さんのところへ一年に一度は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。
御存じでせう、其穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物(くひもの)なぞを頂戴して、決して敷居から内部(なか)へは一歩(ひとあし)も入られなかつたことを。
皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出(おいで)になりますと、煙草(たばこ)は燐寸(マッチ)で喫(の)んで頂いて、御茶は有(あり)ましても決して差上げないのが昔からの習慣です。
まあ、穢多といふものは、其程卑賤(いやし)い階級としてあるのです。
もし其穢多が斯(こ)の教室へやつて来て、皆さんに国語や地理を教へるとしましたら、其時皆さんは奈何思ひますか、皆さんの父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんは奈何(どう)思ひませうか――
実は、私は其卑賤(いやし)い穢多の一人です。』
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https://www.youtube.com/watch?v=tZDod9vDIE8