【航海】“竹のいかだ”で台湾から沖縄へ 3万年前の航海 来月実験 [無断転載禁止]©2ch.net
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およそ3万年前、人類がどのように今の台湾から沖縄に渡ったのか検証している国立科学博物館などのグループが、去年、沖縄県で行った「草の舟」による実験航海に続いて、今度は来月中旬に台湾で「竹のいかだ」による実験航海に挑戦することになりました。
人類史を研究している国立科学博物館などのグループは、去年7月、十分な道具もなかったとされるおよそ3万年前の状況を想像して造った「草の舟」で、沖縄県の与那国島から西表島までのおよそ75キロの実験航海に挑戦しましたが、舟が潮に流されたため、全体の半分以上の区間で自力での航海を見合わせ、伴走船に引かれることになりました。
こうした結果を受けて、グループでは実験航海の進め方を改めて検討し、24日、東京・上野の国立科学博物館で記者会見を開いて、新たな方針を明らかにしました。それによりますと、今度は来月中旬に台湾で、現地に自生する竹を使って長さ10メートル、幅80センチの5人乗りのいかだを造り、実験航海に挑戦するということです。
グループでは、台湾の東海岸を出発して黒潮の一部がかかる海域を渡り、およそ30キロ沖合にある島を目指すことにしていて、少なくとも10時間はかかると見込んでいます。
グループによりますと、竹のいかだは草の舟に比べて、切断したり曲げたりする加工が難しい一方で、浮力が大きく、スピードが出る可能性があるということです。
グループの代表を務める国立科学博物館の海部陽介さんは、「竹のいかだで、どれだけ浮力が得られるか、そしてどれだけスピードが出るかを知りたい。十分な道具もなかったと見られる3万年前の人たちがどうやって黒潮を乗り越えることができたのか、その手がかりをつかみたい」と話しています。
5月24日 20時28分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170524/k10010993651000.html?utm_int=news-culture_contents_list-items_001
画像
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170524/K10010993651_1705241941_1705242028_01_02.jpg 地形も海流も3万年の間に変わってるだろ
この実験意味あるのか? >>282
今の研究方法だと何か出てきたものをこじつけでもなんでも、理由付けしていくやり方。
そこでしか人類は誕生しなかったのか?
なぜそこで人類が誕生して、他のところで誕生しなかったのか?
それから現在まで人が増えることは可能なのか?可能ならどうしてか?
希少野性動物の絶滅とかからは、ほぼ不可能な話になるけど何か要因があったのかもしれない。
もしくは人類の知識すべてのことが間違っているみたいな。
研究、楽しいw あの顔の濃さだぞ、沖縄と台湾や中国韓国の大多数のアジア人とは民族がまるで違うだろ
アイヌとも似ているし、もともとの古い日本列島人だろ そもそも南方ルート説は正しいのか
日本人の基礎になる人たちは本当に南からやって来たのか >>262
それかなり最近の話だぞミクロネシア等へのオーストロネシア人移住者の話だろ。
具体的数値で書くと約6千〜5千年前台湾を出発した彼等は3千4百年前メラネシア諸島に到達し
ラピタ文化を創造する、次いでポリネシアに千2百年前に到達、直後に北上してハワイ到達
7〜8百年前(13世紀だな)ニュージーランド、イースター島から南アメリカ大陸到達ね。 >>289
別に一つに限る話じゃないし
一つのルートを検討する >>289
日本人の基礎って概念は無いよ、
日本人は北から南からやってきた人の混血で生成したってのが常識。 >>291
ハワイやイースター島なんて、一番近い陸地から最低でも30日以上航海しないとたどり着けない島に、
能動態に航海したとは到底思えないんだけどな。
漂流して流れ着いた話じゃないだろうか。 日本に渡って沖縄や隼人みたいな南方系縄文人になった人達か >>292
>>1は前提と根拠と勘がおかしい。
実力なのか、研究以外の何かがあるのか
これからの研究テーマである。 >>289
陸地からのアクセスは、人間が能動的に日本を目指して動かないと到達できないけど、
南方ルートの場合、漂流して黒潮に乗れば自動的に日本列島に漂着する可能性があるからな? 移り住んだような時代って
遭難して嵐や海流で偶然たどり着いたって感じだろ
大航海時代のように
目的をもってたどり着いたのとは違うと思う >>294
ヤ・ラ・セw
電波少年もあったなぁ。
イモトもありだけど、水曜どうでしょ?も捨てがたい。 神話なんかは南方系のがあるから人は来てたろうけど、この実験はないわ まあ南方から流されてきたと考えると自然なんだが
どうなんだろうね
アイヌ人と本州人と沖縄人がいるわけだけど >>302>>303
それだと男女同時に遭難する必要がある。
繁殖するとなると、それなりの人数。
草舟が個別に遭難して有り得ない確率で偶然同じ場所に辿り着いたのか、それとも多人数乗っていた大型船だったのか。
色々考えるだけで楽しい歴史ロマン。 3万年前にはもう沢山の人間が日本にいるから
このルートは一つの道でこれが全部じゃないよ 台湾の先住民はポリネシア系なのが確定してるし北へ移動なんて
ルートはあり得んだろ。言語的繋がりもゼロ。 3万年前の地形とか、海流とかって
考慮に入ってるんだよねキット >>312
現在とそこまで変わらない
北上ルート取るだけなら大して問題にならないかと >>311
なんでやねんソイツ等台湾から拡がってったんやど? >>309
漁をするのに夫婦で船に乗るとか、あるいは小島が点在しているインドネシアとかフィリピンのようは場所で、
近隣の島に引越しをしようとして漂流するとか珍しくないよな。
特に、帆船は一人では操縦できないから、複数人で乗組むのが普通。
今でも、ミクロネシアとかポリネシアとかでは家族で漁をしているよ。 でも台湾とかの遺伝子見ると日本と全然違うんだよね
ルートとしては可能性薄いんじゃないかね >>313
3万年も前の海流やらが正確に判るなら、
今の海流の状況から、>>1の失敗なんか
予測できそうなもんだがなあ・・・ >>315
なるほどね。
そうなると草舟ではなくて、少なくともサイズがボートやヨットクラスのものになるかも。
俺が着目しているのは、縄文時代のお墓。
このお墓には棺があって、棺とは現在でも舟を表すミニチュア。
土偶やそのあとの時代の埴輪などもミニチュアとして解釈すると、3万年前だとそれなりの舟が既にあったのではなかろうかという仮説。
そうなると日本に来た最初は現在の常識よりも遡ることになるから、どうなんだろう?のセルフ疑問。 朝鮮から日本は遭難したんだよな
台湾と沖縄は距離は近いのに遺伝子的だと遠いんだよねえ
交流はなかったじゃないのかな オセアニアの先住民とか天体観測を基にした航海術で数百km離れた島に行商してたし 鮫とか多いらしいし下手な船だと危険だと思うんけど
台湾と沖縄が遺伝子的に見て遠いのに船の実験って何の意味があるんだ? 日本の男性のY染色体は周りの国々とかなり違う様相を呈してるからな
かなり早い段階に日本に来てそのまま維持されてると考えられる
それこそ北海道や樺太が大陸と繋がってた10数万年前に陸路で来てるのが大半なんじゃないのかね >>324
陸地が繋がっていたんだから歩いてきたと考える方が現実的だよね >>318
草舟っていっても、葦のような草を束ねて作る船は小さくはないよ。
1940年代にノルウェーの人類学者ヘイエルダールがポリネシアに自生している植物で
作ったコンティキ号という帆イカダで、原始的な船と南太平洋の大航海が可能か
試した実験があったんだけど、それほどの8000km近い航海が可能だった。
コンティキ号のサイズは長さ14m、幅8m程度。
古代エジプトでも、パピルスを束ねて作った全長30m以上もある船で紅海や地中海沿岸を
航海していたことがわかっている。
パピルスの船は防水性がないので、次第に水を吸って重くなって沈んでいくんだけど、
木材なんかに比べて紐で縛り上げただけで結構簡単に大きな船が作れるという特徴がある。
あと、船体に穴が開くと浸水して沈む現在の船と違って、葦そのものに大きな浮力が
あるので、船体穴が開いたってまったく沈まないという特徴もあって、
それなりに長い航海が可能だった模様。 同じように釜山から航海してほしい。
どちらが日本にたどり着くか。日本のルーツの解明になる。 >>327
日本最古級の人骨が沖縄から主に発見されてるから
台湾→沖縄ルートを検証してるんだぞ
沖縄より古い人骨が九州北部あたりから出なきゃそもそも半島ルートは問題にもならん >>326
今回は竹イカダだからw
それでも小さいから。
ヨットクラスって言葉が小さく思える語弊になってしまったかも。
フィート単位になるから、イメージしたサイズより大きいと思うよ。
まあ、棺から推測はしっかりした舟が日本にはあったとなるかな。
どこからか伝わったものか、独自に開発したものかは現状だとわからないけど。 >>326
コンティキ号は現地人の伝承の船の再現じゃなかったっけ?
こいつらは現地の植物で船を作ったハズだから随分と違うと思う。 海水面が下がって地続き或はほぼほぼ地続きの時代には島伝いに人が散らばって行って
海水面が上がって島が離れ離れになった時期には東支那海に流されて潮の勢いに任せて漕いだら周辺のどっかしらに散らばったって
既に見込まれて居る現状で島伝いに行こうとする動機が今一つ解らんw その頃大きな空飛ぶ翼竜が生きてて人間を運んできたんだよ ただ最近良く聞く稲の伝播の南方ルートとかではこっち方向の航路が必要だな >>332
関係がないも何も、日本人のDNAは半島由来の割合が結構ある。それは否定できない。
確かに渡来が大陸、台湾より遅いかもしれない。
壬辰倭乱の際に連行された時のDNAが最多だろう・・・・ やっぱ、当時は島と島の間に島があって距離短かったんじゃね?
地殻変動でところどころ沈んで現代に至る 竹はしなるからかなりの数を束ねないと海じゃ草舟と同じ状態になるだろうな
しかしそれだけ太く束ねなきゃ為らないって事は現代人が想像する紐綱じゃ無くて籐蔓でも充分候補に為り得るって事だな 遣唐使の時代でも直接大陸に行くルートで遭難しまくってるからなぁ 画像見た何だよ独自設計ってw
まあしなったらしなったなりにこんな感じ↓で好い感じかも知れないなw
https://www.youtube.com/watch?v=alfBqzy6eFc >>338
それ正確には半島由来じゃなくて大陸由来な 壬申の乱でどうして半島から人を連行して来るんだよ
バカが
何も知らん癖に適当な事ばっか言ってんじゃねぇよアホが 多くの陶工が日本に連れていかれたのは歴史的事実だろうが。
それがその後の陶器の発展につながった。少し調べればわかるぞ馬鹿倭猿 あほか
だから半島の人間の連行とやらと壬申の乱と何の関係があるんだよアホが
何も知らんバカが良く吠える お前そもそも壬申の乱が何だか知らないだろ?
笑わせてくれる 壬申の乱・・・672年
壬辰倭乱・・・1592年(日名・文禄の役) 沖縄で相次いで人骨発見!のナゾ
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-499180.html
沖縄県内では、1万6千年以上前の旧石器時代の人骨が10カ所の遺跡で見つかっている。全国では、旧石器時代の遺跡が1万カ所以上あるにもかかわらず、沖縄以外で人骨が発見されているのは静岡県浜松市の浜北人(約1万4千〜1万8千年前)だけとされる。
日本列島はアジア大陸の北東から南西に弧状に連なっているが(洪積世)においては大陸と陸続きであったと考えられている。
シベリア大陸(北方列島・中国・朝鮮半島)
を経由して、日本列島に到達した、
「マンモス・ヘラジカ・ナウマン象・オオツノジカ」の化石が出土。
大陸伝いに人類が日本列島・琉球列島に到達していてもおかしくない。
今から1万〜2万年前の洪積世末期には、陸地の隆起や陥没が繰り返されて、日本列島は大陸から「完全に分離」されて、現在の日本列島が形成されたと。
洪積世には人類は存在しなかったとの学説だが、そのため、旧石器時代は存在せず、縄文文化が日本における最初の文化だと考えられていた。
しかし、1946(昭和21年)に群馬県の岩宿で関東ローム層から剝片石器発見。
続いて全国各地から土器をともなわない打製石器が相次いで発見される。
「日本における旧石器時代文化」の証明になる。
近年では浜北人が約1万8000年前、港川人が約1万8000年前、山下洞窟人が3万2000年前と認定されている。
別に数十キロ船で来る必要がない時代に来てたかもしらん。散歩しながら 日本の稲が半島に無いDNA持っていて江南由来のDNAを持ってると言うのが分かったからな
江南から直接のルートがあると言う考えは説得力があるな 古代沖縄と南方の関係であってアジア的に見れば日本は関係ない
尖閣から北方四島は日本の概念と古代アジア人や南方系人の動きは関係ない Y染色体を見ると大昔に来た人間がそのまま維持された形だな
逆に大陸は後から来た人間達に塗り替えられている 台湾人は北方系の人が多く移住してるが沖縄人は南方系が多いのでい違って当然
寧ろ台湾人は沖縄人より本土日本人に近い、国際道りで観察するとよくわかる 日本の警察も支配層の紐付きです。人を追い詰め、不幸にし、社会を悪化させる為にある組織です。戦後から
何も変わっていないどころか悪化しているのが今の日本です。
警察やマスコミが好んで用いる「晒し」「村八分」こそ、本物のいじめ問題です。それを「犯罪者」のレッ
テルで正当化する様は学校のいじめ以下。市民の自尊感情・人権意識を傷つける手法の常套は奴隷化政策の
一環です。市民がいじめを恐れ黙ってる状態は北朝鮮のような「平和」です。
家宅捜索の人権侵害 特高体制は現代も脈々と続いてます。市民側が監視・捜査の反撃をして警察がどれだけ
の人権侵害行為をしてるか思い知らせましょう。
家宅捜索の人権侵害 特高体制は現代も脈々と続いてます。市民側が監視・捜査の反撃をして警察がどれだけ
の人権侵害行為をしてるか思い知らせましょう。
市民から強奪を働き、市民いじめばかり行い、反社会勢力の最大手を守っている警察。市民には反撃の権利が
あります。私は警察署や警官が襲撃されても因果応報だと思います。よくも街中を堂々と徘徊出来るもんです。
睨みつけるくらいの事は遠慮無くしてください。
刑務所・取り調べ・拘留・市民の捜査・家宅捜索・入管。日本の警察やそれに準ずる組織の人権意識の無さ
は他国と比較しても酷い有り様です。人を粗末に扱う行為こそ犯罪の生産に繋がります。 つかこの計画聞いてたけど一回失敗してんだな
前失敗したからもっと強化とか最終的にエンジンとか積みかねないなw 人類学で一番支持されている
「二重構造論」
現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-231707.html
人骨に見られる時代的な差。具体的には縄文人と海渡系弥生人の形の違い。
北海道のアイヌと沖縄人の見た目の類似性、本土集団と異なる事を上手く説明出来る。
しかも伊江島の人骨に持つミトコンドリアDNAは、沖縄の現代人にあるだけじゃなく、日本列島の現代人にも広く共有されている。
だがしかし?
大陸の東海岸から南北3千キロ。
最近行われている古人骨のDNA分析から、この定説をひっくり返す結果がでている。
北海道で縄文時代から近世の集団のミトコンドリアDNA解析では、北海道の先住民族アイヌ人は、単純に縄文人直系というわけではなく、オホーツク文化人の遺伝的影響を強く受けて成立してたことが分かってきてきる。
琉球列島集団の成立は?
最近、伊江島のナガラ原第3遺跡から出土した、縄文時代後期から晩期に相当する(貝塚時代前期の人骨3体のミトコンドリアDNA解析をした。
この3体のミトコンドリアDNAは東北や北海道の縄文人と同じタイプだったが、詳しく分析すると、系統が1万年以上前に別れた系統だった。
弥生時代・平安時代に相当する(貝塚時代)の遺跡からは、現代の沖縄人に通じるDNAが検出されるが。
その中には、弥生時代に日本列島に入った来たと思われるタイプも解析。
一般的に、琉球列島に本格的な農耕が入るのは、貝塚時代の終わり頃。(10世紀以降
農耕開始期より前に本土人と共通のDNAが存在するのは、弥生時代以降の農耕民の拡散を説明出来なくなる。
東北から沖縄の離島に同じDNAもったわんぱくども来ている訳だが?
コイツらわいてでたのか?? となる不思議
>>352 >>352
浜北人は14000-18000年前だからほぼ縄文人(新石器時代人)但し人種的にはアボリジニと類縁で
縄文人とは縁遠い。
沖縄の港川人が20,000-22,000年、山下洞人が36,000年前だが測定の信頼性は低い。
石垣の白保根田原洞穴では1,300-2,300年前、4,000年前、8,500-9500年前、16,000-18,000年前
そして20,000-25,000年前の人骨が出土している。 >>367
は文章の挿入箇所の間違い港川人の復元像がアボリジニとそっくり
(叔父とも体格から顔立ちまでそっくり(^o^)) つか骨格だの人相だのなんて生活習慣で大きく変わる
江戸時代の将軍と町人の顔がもう別の生物レベルで違ってるのも知れてる
同じ時代の同じ町に暮らしてても生活で骨格から別物みたいになるくらい変わる
個人差だってあるしね
平井堅だの草刈正雄だの阿部寛だっているんだらからねw
これが「縄文人だ!弥生人だ!」とかチャンチャラおかしい >>367
浜北人は14000-18000年前だからほぼ縄文人(新石器時代人)但し人種的にはアボリジニと類縁で縄文人とは縁遠い。
>>368
は文章の挿入箇所の間違い港川人の復元像がアボリジニとそっくり
浜北人と港川人は類縁なのかじゃないのか?
時代的には合致するが?
縄文人とは違う人種と言いたいのか?
サッパリ分からん? 偶然たどり着く的なのではないのか
竹の筏では流れ任せでしかない
大波でばらけてしまう事もあるだろうし どうしても日本人の起源を南方にしたい連中がいるんだろうな。
ネトウヨみたいな奴らだ。 >>370
昔はシベリアと樺太、北海道が長い間陸続きだし
そこから来て温かくなったころに東北に定住してる感じかもね
縄文時代の三内丸山とかもあるわけだし
実は東北がちょうどいい気候の時代だったと >>374
だって日本人の顔結構ベトナム人とかにそっくりだもん >>333
コンティキ号は伝承だったか資料をもとにだったか、自分たちで再現したんだよね
潮にのるまで海軍に引っ張ってもらったり、学説も否定されたけどコンティキ号の話は好きだな 沖縄で発見された旧石器人種
山下町第一洞人 3万6000年前
ピンザアブ洞人 3万年前
白保田原洞人 2万6000年前
ゴヘズ洞人 後期更新後期
大山洞人 後期更新後期
港川人 2万2000年前
下北原洞人 1万8000年前
サキタリ洞人 1万6000年前
港川人は、縄文人よりもオーストリア先住民・ニューギニアの集団に近い事が分かっている。
大陸どころか、南洋から来とるやろ? 黒潮に乗れば自然と日本に流れ着くんじゃないのか。
朝鮮からは海流を横断する形になるんで無理だよ。 >>378
台湾の原住民は漢民族とは顔つきが違う
もっと南方の顔つきだ >>381
漢民族は台湾を外界しとったやね。
(土人が住む人の住むところじゃない)と
ルソン・フィリピン・イドネシアあたりから
陸続きの時代に流入して来たんやろ?
その遠縁にオーストリア大陸があるから、原住民が北上して台湾・琉球列島の土着人になったと考えるのが普通や。
大陸側・日本九州移入はそのあとだと思うわ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています