『新修大阪市史』第七巻  <抜粋>

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昭和二十年に入って「決号作戦」構想が具体化され始め、次いで本土決戦兵備が推進されたが、これに伴
って内地の陸軍統帥組織にも頻々とした改編が加えられた。まず、同年一月二十二日、内地・朝鮮・台湾
にある七個軍の閉鎖と八個方面軍・八個軍管区の臨時編成が下命され、二月十一日の編成完結と同時に、北海
道を除く内地の五個方面軍を内地防衛軍の戦闘序列に編入し、また各方面軍司令官に対し軍管区部隊に対す
る防衛指揮権を与えた。大阪では、従来の中部軍司令部にかわって、軍政と防衛を管轄する中部軍管区司令
部と純作戦軍としての第十五方面軍とが併置され、両司令官以下の幹部は兼任とされた。
(中略)
同年三月三十一日、防衛総司令部の復員と第一・第二総軍の臨時編成が下命され、北海道を除く本土地上
防衛軍を二分して、東海以東を第一総軍(司令部東京)、近畿以西を第二総軍(同広島)が統率することにし、
また防衛に関しては各軍管区部隊を指揮しうるものとされた(四月六日各総軍司令部令制定)。四月八日、第二
総軍の戦闘序列が発令され、同十五日をもって、第十五(大阪)・第十六(福岡)方面軍を隷下に編入、十八日
第二総軍司令部が広島において開設された。これと同時に、内地に九個軍の臨時編成が下命され、米軍の上
陸が予想される関東・九州方面に重点配備されたが、第十五方面軍隷下には六月十九日、第五十五軍(高知)
が編入された。六月十二日、中国・四国各軍管区司令部の臨時編成が発令され、九州決戦への対応措置とし
て、この二軍管区(司令部は旧広島・善通寺各師管区司令部を改編、司令官以下の幹部は第五十九・第五十五各軍司令部
と兼任)が中部軍管区から分設されたが、防衛・動員に関しては、引き続き中部軍管区司令官の区処を受け
るものとされた。これに伴って同月二十日、陸軍管区表がまたまた改正され、中部軍管区は大阪・京都の両
師管区に縮小された。
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