>>651続き
広島に落とされたのがウラン型、長崎に落とされたのがプルトニウム型です。
 ニューメキシコ州アラモゴードで世界初の原爆実験に成功したのが広島投下1か月前の1945年7月16日であり、これはプルトニウム型です。
 アメリカはウラン型の原爆実験をしていないのです。

 1938年12月にナチス・ドイツの科学者オットー・ハーンとシュトラスマンは、世界初の原子の核分裂を発見します。
 1940年3月、世界最初の実験原子炉がベルリンのダーレムに設置されました。
 当時のナチスの原子核研究は、アメリカをはるかにしのいでいたようです。
 1940年6月、ドイツ軍がパリ入城時にジョリオ・キュリー博士の「原子核研究装置」を没収。
 さらにドイツ軍は、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグを攻撃し
地球上のウラン産出地域を占領したので、ウラン資源がアメリカ側に渡ることもなく原爆の製造条件はすべてドイツの手に独占されていました。

 なぜアメリカは日本に2つのタイプの原爆を投下したのでしょうか。
 しかも先に投下したウラン型の原爆は実験すらしていません。
 ドイツと戦っている段階でアメリカは原爆投下目標地点を日本と決めていました。
 科学者らはナチスを潰すために原爆開発に協力したのに、
それがなぜドイツではなく日本なのかと抗議しましたがアメリカ政府はこの抗議を無視します。