【東京都】自画撮り・JKビジネス「絶対、やっちゃダメ」 被害防止へ都がサイト開設6/16 [無断転載禁止]©2ch.net
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配信先、産経ニュース、2017.6.17 12:57更新 http://www.sankei.com/life/news/170617/lif1706170016-n1.html 女子高生らの接客を売りにする「JKビジネス」や、インターネットで知り合った相手にだまされたりして、自分の裸の写真などを送ってしまう「自画撮り」など青少年の性被害を防ごうと、都は16日、危険性を情報発信するウェブサイトを開設した。 都では7月から、JKビジネスで18歳未満の接客を禁じる条例が施行されるほか、都の協議会は5月、画像の送付を勧誘する行為を禁止する条例改正を求める答申をまとめている。情報発信することで、中高生自身にも改めて注意を促す。 サイトでは、JKビジネスで対応した客がストーカーになるといった被害事例や、ネット上に写真が流れれば完全には消せないことなどを紹介。女子高生に人気のあるモデルでタレント、藤田ニコルさん(19)が「絶対、やっちゃダメ」と訴える。また、都内全高校生にリーフレットを配布する。 小池百合子知事は同日の定例会見で、「性被害から自分自身の身を守る力を身につけてほしい」と述べた。 >>1 生理が始まったような少女と加齢臭オヤジが結婚していた時代なんてお前の脳内にしか存在しないんだよロリコン!等と 20代以降の結婚適齢期の男性を罵倒する児ポ法/未成年者誘拐罪等の支持者の主張は本当なのだろうか? 明治25年青森県統計書(近代ライブラリコマ27)の現住結婚者年齢ノ對照を見てみる事にしよう。 妻年齢15歳未満 ├夫年齢15歳未満:7組 ├夫年齢15-19歳:220組 ├夫年齢20-24歳:139組 ├夫年齢25-29歳:20組 ├夫年齢30-34歳:3組 ├夫年齢35-39歳:1組 ├夫年齢40-44歳:1組 ├夫年齢45-49歳:0組 └合計:391組 妻年齢15-19歳 ├夫年齢15歳未満:5組 ├夫年齢15-19歳:1020組 ├夫年齢20-24歳:1822組 ├夫年齢25-29歳:707組 ├夫年齢30-34歳:229組 ├夫年齢35-39歳:62組 ├夫年齢40-44歳:19組 ├夫年齢45-49歳:2組 └合計:3866組 妻年齢20-24歳 ├夫年齢15歳未満:0組 ├夫年齢15-19歳:62組 ├夫年齢20-24歳:423組 ├夫年齢25-29歳:438組 ├夫年齢30-34歳:166組 ├夫年齢35-39歳:100組 ├夫年齢40-44歳:30組 ├夫年齢45-49歳:1組 └合計:1220組 妻年齢25-29歳 ├夫年齢15歳未満:0組 ├夫年齢15-19歳:7組 ├夫年齢20-24歳:32組 ├夫年齢25-29歳:149組 ├夫年齢30-34歳:144組 ├夫年齢35-39歳:77組 ├夫年齢40-44歳:43組 ├夫年齢45-49歳:21組 └合計:473組 妻年齢30-34歳 ├夫年齢15歳未満:0組 ├夫年齢15-19歳:0組 ├夫年齢20-24歳:9組 ├夫年齢25-29歳:15組 ├夫年齢30-34歳:88組 ├夫年齢35-39歳:56組 ├夫年齢40-44歳:63組 ├夫年齢45-49歳:22組 └合計:253組 この表を見ると、昔は【10代の少女と20代以降の年上の男性の性的関係は一般的】だった事がわかるね。 また昔は20を過ぎたら年増女と言われた様に、20代以降の女性の年間結婚数は10代の少女よりも少なかった事がわかるね。。 児童ポルノ法や淫行条例、未成年者誘拐罪、雇用機会均等法等がいかに自然の法に反する歪な性的関係を若者に強要しているのかが良くわかるね。 クソ見辛い近代ライブラリから苦労して文書化したこの表を見れば、何が今の少子高齢化の原因なのか、一目瞭然だね。 687 yうぇてwt もう未成年の女一匹残らず全員逮捕して成人するまで刑務所ぶちこんでおけよ邪魔くせえ >>1 昔の子供は10代で結婚をしていたけど売春なんてしてないんだよロリコン!等と 正しい知識に基づいて話す良識的な男性を罵倒する児ポ法支持者の主張は本当なのだろうか? 戦前の売春に関する内務省の統計調査を見てみる事にしよう: 「...昭和6年末現在の私娼窟における私娼の年齢を調べた。 20歳以上25歳未満の者が最も多く、その数は4268人、全数の3割5分を占めて居る。 ...【第二位は18歳以上20歳未満の者、その数2325人、全数の1割9分に当たって居る。】 第三位は25歳以上30歳未満の者であって、2310人、全数の1割9分に当たる。... 【第四位は18歳未満の者、その数2120人であって全数の1割8分に相当する。】... 第五位は30歳以上35歳未満の者であって、852人居る。... 第六位は35歳以上の者であって、僅かに306人、全数の3分である。」 公娼と私娼、内務省警保局 編 この統計を見ると、昔は売春婦の4割近くを10代の少女が占めている事が分かるね。 また約2割もの売春婦が18歳未満であった事が分かるね。 またしても、児ポ法・未成年者誘拐罪の支持者の嘘が明らかになってしまったね。 「まさに息を吐く様に嘘をつき、事実を捻じ曲げる。」それが警察、裁判所、日本ユニセフや産経新聞などの 犯罪者=児童ポルノ法・未成年者誘拐罪の支持者なんだ。 騙されない様に注意しようね。 etwtew >>1 18歳未満の子供は身体の発達が未熟だから出産すれば死ぬ事になる等と言う児童ポルノ法カルトの主張は本当だろうか? 2010年から2014年の合計妊産婦死亡率を見てみよう。 2010年-2014年合計出生数 14歳以下の妊婦:248 15歳から19歳の妊婦:65361 20歳から24歳の妊婦:488660 25歳から29歳の妊婦:1450399 30歳から34歳の妊婦:1850317 34歳から39歳の妊婦:1122483 40歳から44歳の妊婦:210229 45歳以上の妊婦:4983 2010年-2014年合計死産数(自然死産+人工中絶) 14歳以下の妊婦:459 15歳から19歳の妊婦:12911 20歳から24歳の妊婦:19731 25歳から29歳の妊婦:25308 30歳から34歳の妊婦:30347 34歳から39歳の妊婦:25924 40歳から44歳の妊婦:9498 45歳以上の妊婦:543 2010年-2014年合計妊娠・分娩・産褥を死因とする死亡数: 14歳以下の妊婦:0 15歳から19歳の妊婦:0 20歳から24歳の妊婦:9 25歳から29歳の妊婦:29 30歳から34歳の妊婦:67 34歳から39歳の妊婦:73 40歳から44歳の妊婦:16 45歳以上の妊婦:22 2010年-2014年合計妊産婦死亡率: 14歳以下の妊婦:0 15歳から19歳の妊婦:0 20歳から24歳の妊婦:1.77 25歳から29歳の妊婦:1.96 30歳から34歳の妊婦:3.56 34歳から39歳の妊婦:6.35 40歳から44歳の妊婦:7.28 45歳以上の妊婦:398.11 調べる時間が無いため、集計期間が短いが、少なくとも18歳未満の子供は出産すれば必ず死ぬかのような 児童ポルノ法カルトの主張が全くの出鱈目である事がわかる。 また18歳未満の子供は帝王切開しなければ死亡するなどという荒唐無稽な主張もあったが、 帝王切開手術がまだ日本に伝来していなかった時代にも12〜17歳前後で無事に出産している事例はいくらでもある以上、 児童ポルノ法カルトの主張は明らかな嘘である事がわかる。 なお、リバタリアンは児童ポルノ法カルトに年齢別の帝王切開の割合や自然分娩の死亡率を検証する為のソースを 提示する様に求めたが児童ポルノ法カルトは情けない勝利宣言をして逃亡した。 子供の出産は危険だとか心身が未熟等と主張する警察の犯罪者共と児童ポルノ法カルトの主張はその他の彼らの主張と同じく 完全な嘘で出鱈目であり、インチキに過ぎないと証明された。 統計は少なくとも大部分の人間が初潮を迎え妊娠する様になる年齢においては殆どの子供が無事に出産する事が出来る事を示す。 勿論死ぬ時は死ぬだろうがそれは大人の女も同じである。うぇいぇwてwt >>1 男と女は権利においては平等であるが、能力や役割においては平等に作られていない。 男性は女子供を養い教え導く役割を果たす様に作られている。 女性は男性の性欲に奉仕し子供を産み育てる役割を果たす様に作られている。 女は男の真似をして外で働く必要はない。女は子供を産んで家で赤子と戯れていれば良い。 性的役割を否定し、男と女を能力や役割において平等なものとして扱おうと言う男女平等主義は自然の法に反しており、 必ず破滅的な結果を引き起こす。 生物として当たり前の性的役割を拒絶して人間社会の存続を脅かす警察やヒューマンライツ・ナウ等の異常ながん細胞を 取り除き、人類社会を救う為にミーゼス研究所等の厳格なリバタリアン組織に寄付してリバタリアン運動を支援しよう! ewtwtwet >>1 児童ポルノ法カルトはよく18歳未満の出産は危険性が高いとか、心身が未熟である等と言うよね。 けれども、まともなリバタリアン哲学を学んでいる人なら、これは全く誤った思い込みに過ぎないと分かる。 このような主張は特定の年齢や身体的な成長と衰退の何らかの特徴を危険性や心身の発達の評価基準として 受け入れた場合だけ導き出される事が出来る結論である。 けれども、実際には、水が温かいとか冷たいとか判断する為の客観的な基準が存在しないのと同じ様に 出産の危険性が高い、或いは低い、心身が未熟であるとか成熟しているとか判断する為の 客観的で永久不変の尺度は存在しない。 勿論、人は20度の水は14度の水よりも相対的に温かいと言う事が出来る様に、 14歳の出産は20歳の出産よりも相対的に危険である、或いは14歳は20歳よりも 相対的に心身が未熟であると言う事が出来るかも知れない。 しかし、人はこの事実から20度の水は温かいとか、14歳の出産は危険性が高い、或いは心身が未熟である等と言う 結論を導き出す事は出来ない。 なぜなら「14度の水温や20歳の出産、或いはその他何らかの年齢や身体の成長と衰退の状態を水の温かさや出産の危険性の高さ、 心身の未熟さを判定する為の客観的で永久不変の基準であると考える必要はどこにも存在しない」からである。 従って、ある人は彼の好む価値尺度に従って20度の水は冷たいと判断するかも知れないし 別の人は14歳や或いは10歳や16歳の出産の危険性は十分低い、或いは14歳、16歳、10歳は 十分成熟していると判断するかも知れない。 それはそれぞれの個人の心理的な性質に依存する主観的な評価に過ぎない。 wっとぇtw >>1 人間の権利の概念は全ての人間は同一の権利を享受すると言う事を含意している。 しかしもし親が子供を支配し奴隷化する権利を持つならば、その時は全ての人間は同一の権利を享受する事は出来ない。 従って、親の監護権などと言うものは人間の権利として存在する事は出来ない。 児ポ法・未成年者誘拐罪等の支持者は子供達は知識や経験、判断力が不足しており、 それ故に、自己決定能力を持たないので、人間ではなく、人間の権利を享受しないと主張する事によって この明白な概念的矛盾を逃れようとする。 しかしながら、この主張は人が自由意思を持つと言う本源的事実と両立しない。 人の行動及び意思決定は彼自身の個性に基づいており、その他のいかなる外部の原因によっても決定される事は無い。 何を基準に不足或いは十分と判断するのかについての線引きの恣意性と主観性の問題を脇に置いて、 知識や経験、判断力の不足などを所与としても、それらの要素が子供達の行動にどのような影響を与えるかは それぞれの子供の個性に依存している。それらの要素は決して子供達の意思や行動を決定しない。 それ故に彼の知識や経験、判断力がどうであれ、全ての子供達は自己決定を行う能力を持つ。 人は自由意思と唯一無二の個性を持つので、ある子供の行動と意思決定は必ず彼自身に帰属する。 その反対、子供達の意思や精神の作用が外部の原因によって一様に決定されていると見る事は 人の個性を無視した歪んだ決定論の導入である。 児童ポルノ法・未成年者誘拐罪等の支持者達の、そして社会主義的な理論の誤りは全ての人間が外部の刺激に対して 同一の反応を返す均一的で無個性なロボットの様に扱われている事である。 このような仮定を真実として前提とした時だけ、子供達の意思は外部の原因に決定され、彼等の幸福と利益は客観的に測定され比較され、 決定される事が出来る。その時だけ、ある人の幸福や利益は主観的な評価ではなく科学的な事実の問題になる。 しかし明らかにこれは事実ではない。現実の子供達はロボットの様に均一的な存在ではない。 彼等は多かれ少なかれ異なる個性を持つ。そしてそれ故に彼らの意思は外部の原因により決定される事は出来ない、 彼ら自身以外の誰も彼らの幸福や利益について直接的に知る事も感じる事も出来ない。 そして将来の何らかの時点において、ある子供の性的な行為に関する考えが変化するかどうか、 もし変化するとしてもどのように変化するかは全く分からない以上、 性的な行為に従事した子供達が将来、子供の頃の性的体験を誤りであったと考えるとは限らない。 ある子供は10代のうちに年上の男性とセックスして子供を作り家庭に入った方がそうでない場合よりも幸福な人生を送れたかも知れないし ポルノ女優や娼婦の才能があってポルノに出演したり売春でもしていた方が幸福だったかもしれない。 従って、子供と性行為に従事する男性が子供達の判断能力の未熟さに付け込んでいる等と言う児ポ法カルトの主張は全く誤った思い込みに過ぎない。 また児童ポルノ法・未成年者誘拐罪等の支持者達はしばしば、性産業で働く子供達は教育を受ける機会を奪われている等と主張する。 しかし子供達の個性と関心、適性を無視した画一的な教育を全ての子どもに押し付ける学校教育は 自由意思を持つ個性的な人間を教育する為に適切ではない。それは均一的な品質の家畜を飼育する方法である。 自由意思を持つ人間に適した真に有益な本物の教育は学校の外側の現実社会において彼ら自身の個性や関心、好みに沿って 自由に生き、働き、学び、遊び、愛し合う事により受け取る事が出来る。 かくして、リバタリアンの人権理論はいかなる例外も認めずに文字通りに全ての人間に等しい権利を認める。 そしてそれ故に唯一の本物の正しい「人権」理論なのである。 リヴァイアサン中央集権国家が存在しない自然的社会、家族的社会、リバタリアン社会においては 親達は子供達が彼らの家や土地に留まる事を望む限りで、彼らの家の所有者として 子供達に彼らの家の利用ルールを定める権利を持つ事が出来るに過ぎない。 物理的に親の家から離れる事が困難な幼少期を脱した子供達は彼自身の所有者として 彼らの親の家から立ち去り、売春等をして働き一人で生きていくか、別の大人の所に逃げ出す権利を持つ。 そうする事を暴力的に妨害する事は子供達に対する本物の人権侵害であり、恐るべき虐待と搾取である。 twetwetw >>1 マスコミが政府のプロパガンダ機関と成り下がっている日本では殆ど伝えられる事がありませんが、 リバタリアン運動は既に全米で500万人近くの人々が参加しており、 至る所でリバタリアンの共同体が構築されています。 更にまたイギリスやその他の欧米諸国においても犯罪国家の卑劣な人権侵害に対する 組織的な抵抗運動が始まっています。 我々リバタリアンはまず最もリバタリアン運動が勢力を広げているアメリカにおける革命を成し遂げ、 国連本部ビルを爆破解体し、その後にイギリスやその他の国の人々を犯罪国家の支配から順次解放していくであろう。 この世界規模の革命運動を推進し、警察や日本ユニセフ、ヒューマンライツ・ナウ、産経新聞等の犯罪者を殺害し 我々の身体と財産への自然権を取り戻そう! wてっtwt >>1 日本のメディアが欧米の声を紹介する時、これは欧米全体の意見であるなどと騙されない様に注意しよう。 彼らは自分達に都合の良いカルトとそれに騙されている無知で馬鹿な愚か者の声を 欧米全体の意見であるかのように見せかけて居るだけにすぎない。 負けているのに勝った勝ったといっていた大本営発表の頃から何も変わっていないのが日本のメディアだ。 児童ポルノ及び児童買春を全力で弁護するリバタリアン運動は全米で候補者を立て500万人以上の人々が支持する 全国的な運動に拡大しているが、日本のメディアはこのような体制に不都合な事実は決して紹介しない。 twtwetwe >>1 リバタリアン倫理の下では、子供との性的行為は何ら悪い事であるとは考えられないので 我々リバタリアンの家族では娘が初潮を迎えて妊娠出来る様になるや否や信頼出来るリバタリアンの男性を宛てがい、 性行為に従事させ、初潮を迎えてから閉経するまで出産可能な全ての期間、繰り返し子供を出産させる事が出来る。 勿論、リバタリアン倫理のもとでは近親相姦は完全に合法であるので、 身近に信頼出来るリバタリアン男性が居ないならば、自分で自分の娘を孕ませても構わない。 そして生まれた子供をリバタリアンとして教育し、自分と同じようにする様に教え込む事で 我々はねずみ算式に勢力を拡大する事が出来る。 この戦略を遂行するに当たって、我々は何ら自己犠牲的な行為を必要としない。 あなたは単純に本能的な欲求に従い、若い少女達と性的行為に及び、自らの遺伝子を継承する子孫を増やすだけで良い。 このようにリバタリアンは最低でも18歳まで性行為に従事出来ない宗教を信仰するカルト集団よりも 遥かに早い間隔で子供を再生産する事が出来るので、 長期的に見て、我々が人口の多数派になり日本国政府の犯罪者共に勝利する事は確実である。 日本の潜在的なリバタリアン男性諸君、君もリバタリアン運動に参加し、どんどん若い少女とセックスして子を孕ませよ! twtetwt >>1 子供達は人間である、そして人間としての全ての権利を持つ。 我々は政府に子供を補導して保護したり、児童労働を禁止したり、義務教育を負わせる事などによって、 子供達が彼ら自身の選択に従って働いたり学んだりする自由を侵害する権限を授ける全ての法律に反対する。 我々があらゆるその他の人工的に定義された人間の下位分類に向けられた政府の差別に反対する様に、 我々は全ての法的に作り出されるか是認される子供達の差別や優遇に反対する。 我々はまた夜間外出、喫煙、飲酒、その他の成人なら犯罪と考えられない子供の行為を禁止する全ての法律の廃止を支持する。 我々は更に少年法や少年裁判所制度を廃止し、子供達に彼らの犯罪の完全な責任を負わせる事を支持する。 合衆国リバタリアン党、1990 National Platform of the Libertarian Party. 合衆国リバタリアン党は全ての人間の平等な自己所有権を根本原理として奉じるアメリカで三番目の規模を持つ政党である。 自発的に性的な行為に参加する子供達は、例えそれが私達にとって個人的に不快であるとしても、そうする権利を持ちます。 若干の子供達は若干の大人達が喫煙や飲酒し過ぎるのと同じように、お粗末な選択を行うでしょう。このような事は人生の一部です。 私達が児童ポルノを違法化する時、子供出演者に支払われる価格は上昇し、親達が子供達の意に反して彼らを使用する為の誘因は増加します。 メアリー・ルワート、Libertarian Short Answers to the Tough Questions. メアリー・ルワートは合衆国リバタリアン党の政治家、倫理学者、博士研究員である。 彼女は長年に渡って合衆国リバタリアン党の全米代表委員会のメンバーであった。 一体なぜ子供達は彼ら自身の性的選択を決定する権利を認められるべきではないのだろうか? 客観的に言って、一体なぜ性的選択は彼ら自身の家族の一員との関係を含めるべきではないのだろうか? 合理的に言えば、一体なぜ彼らが選択したいと思うや否や子供達は自由意思に基づく 取引から得られる人生の果実の全てを享受すべきではないのだろうか? 全ての人が子供の性行為や近親相姦から不快感を被ると考える合理的な理由は存在しない。 リチャード・スローマン、Children’s Rights and Incest Decriminalization. リチャード・スローマンは合衆国リバタリアン党の政治家、作家である。 彼は合衆国リバタリアン党廃止主義者幹部会の議長であり、指導的なリバタリアン活動家の一人である。 とぇいぇwてw >>1 誰が本物の犯罪者なのか?自由、犯罪、奴隷制の正しい哲学的定義: ”自由”とはある個人の彼自身の身体と彼の正当な物質的財産の所有権が侵害されていない状態である。 別の人の財産を盗む人は別の人の頭を殴る人が行う様に被害者の”自由”を侵害し制限している。 ”自由”と無制限の所有権は同一歩調を取る。 他方で、..."犯罪"とはある人の身体や物質的な財産の所有権に対する侵略の行為である、 犯罪は暴力の使用による、ある人の財産に対する、そしてそれ故に彼の自由に対する侵害である。 "奴隷制"(自由の反対)は奴隷が自己所有権を少ししか持たないか全く持たない状態である、 彼の身体及び彼の生産物は暴力の使用によって彼の主人により系統的に搾取されている。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 子供は知識や経験、判断能力が不足しているので、自己決定能力や同意能力が無いと言う類の児ポ法支持者の詭弁を正面から粉砕する為に: その用語「意思の自由」が言及する事は人にある決定、ある選択を行わせる考えがその他の全ての考えの様に 外部の「事実」によって「生じる」のでもなければ、現実の状況を「映す」のでもなく、そして 我々がその他の全ての事象において、ある結果を明確な原因へと帰属する様な方法においてそれらを帰属する事が出来る 何らかの解明可能な外部の要素によって「一意」に決定される事はないと言う事実である。 人の行動と選択の特定の事例に関して言われる事が出来る唯一の事はそれが彼の個性に帰属していると言う事である。 我々はいかにしてある人の個性、言い換えれば、彼が生まれつき持っていた全てと、経験した全てによって形成されている物としての人と新しい経験の出会いから、 具体的な考えが結果として生じ、個人の行動を決定するのかを知らない。 我々はいかにしてこのような知識が獲得される事が出来るのかを推量する事さえ出来ない。... ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、The Ultimate Foundation of Economic Science. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 財産所有権は色々ある権利の中の一部?!権利の概念すらまともに理解出来ていない児童ポルノ法カルトの無知を示す引用: リベラルは言論の自由などの"人"権の為に"権利"の概念を保護し、その一方で私有財産に対する概念を否定する事を望む。 けれども、反対に、"権利"の概念は所有権としてだけ意味を持つ。同時に所有権ではない人権は存在しないだけでなく、 また前者の権利は所有権がその基準として使用されない時、それらの絶対性と明確性を失い、曖昧で脆弱なものになる。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 qうぇrちゅいおp >>1 児ポ法/未成年者誘拐罪支持者などによる子供の利益の主張を完全論駁する際に役立つ引用: 支払われた価格(引き受けられた費用)の価値と達成された目標の価値との差を利益と呼ぶ。この根源的な意味において、利益は純粋に主観的である。 それは行動する人間の幸福の増加である、それは測定される事も計量される事も出来ない心理的現象である。 感じられる不安の除去には程度が存在するが、ある満足がどのぐらい別の満足を上回っているのかは感じられる事しか出来ない、 それは客観的な方法で確定される事も決定される事も出来ない。価値判断は測定をしない、それは程度の尺度で並べ、順位付ける。 それは選好の序列と順序を表しているが、測定と計量を表さない。それには序数しか用いる事は出来ず、基数は使えない。 いかなる価値の計算について話す事も無駄である。計算は基数においてだけ可能である。二つの状態の価値評価の間の差は完全に心理的で個人的である。 それは外部世界へ投影出来ない。それは個人により感じられる事しか出来ない。それはその他の人に伝えたり、教えたりする事は出来ない。 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、Human Action. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 誰が本物の搾取者なのか?: 強制的な干渉は強制される個人または集団が干渉者によって強制されている事を自発的に行う事はないと言う事を意味する。 ある事を述べる様に、または述べない様に強制される人、または干渉者や第三者と交換する様に、或いはしない様に強制される人は 暴力の脅迫によって彼の行為を変えさせられたのである。それ故に強制される人は干渉の結果として常に効用を減少させられる。... 経済科学の発展以前、人々は交換と市場を他方の犠牲で一方が利益を得る物と考える傾向があった。...経済学はこれが誤りであると示した。 なぜなら市場では交換する両方の当事者が利益を得るからである。それ故に、「市場では搾取等という物は有り得ない」。 しかし利益の固有の対立の命題は暴力を行使する国家やその他の何者かが市場に干渉する時は常に真実である。 なぜならその時、「干渉者は効用を失う被干渉者の犠牲で利益を得る」からである。 マレー・ロスバード、Man,Economy,and State. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 児童ポルノ法は何を引き起こすのか? 児童労働禁止法は労働力の供給を制限する事により、経済の生産を低下させ、これ故に社会の全ての人の生活水準を低下させる事に繋がる。... 総人口は減少しないが労働人口は減少する。 労働人口が減少する一方で消費者人口は減少しないままなので、一般的な生活水準は低下する。 児童労働禁止法は率直な禁止やある子供が雇われる事が出来る前に”就労許可証”や様々なお役所仕事を要求する形式を取るかもしれない、 そして後者は部分的に前者と同様の効果を引き起こす。児童労働禁止法はまた義務教育法により強化される。 ある子供が一定の年齢まで公立学校や国家に認可された学校に通学する様に強要する事は彼の雇用を禁止し、 成人労働者を子供との競争から保護するのと同じ効果を持つ。 しかしながら、義務教育は彼や彼の両親がその他の方法を好む時に学校教育を受け入れる様に強要し、これ故に これらの子供達に更なる効用の損失を押し付ける。 マレー・ロスバード、Power and Market: Government and the Economy. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 qうぇrちゅいおh 秋葉なんかでたまに散歩してるの見るけど客も女の子も強者すぎない? 人目があるのに性風俗営業、利用できるなんてさ 顔出しだし客のほうは性的嗜好まで丸出しなわけだし ネットで晒されるかもしれないのによくできるなと驚く >>1 ある人は彼自身にとって極めて重要な問題に関して、そしてその他の誰も彼の様に利益を持たないか、 持つ事が出来ない事に関して誰かの言葉を受け入れるか、誰かの権威に屈する義務はない。 もし彼がそうするとしても、彼はその他の人々の意見は同意出来ないとわかるので、 その他の人々の意見に安全に依拠する事は出来ない。 ...有徳や悪徳の問題は殆どの場合に何らかの単独の行為それ自体の本質的な特徴の問題ではなく、 程度の、つまり、ある行動が行われるべき範囲の問題である。 有徳と悪徳の問題はそれ故に、地球に住む様々な個人の精神、身体、状況の多様さと同じぐらい様々で、 それどころか無限である。そして長年の経験はこれらの問題の無数を未解決のままにしている。 それどころか、それらのいずれも解決していると言われる事は殆ど出来ない。 この意見の無限の多様性の最中に、どんな人や集団が何らかの特定の行動や行動の過程に関して、 "我々はこの実験を試みて、それに関わる全ての問題を決定している、 我々は我々自身の為だけではなく全ての人々の為にそれを決定している、 そして、我々より弱い全ての人々に対して、我々は我々の結論に従って行為する様に彼らを強制するだろう、 我々は誰かによる更なる実験や調査を、その結果、誰かによる更なる知識の獲得を被らない"と言う権利を持つのだろうか? 誰がこれを言う権利を持つ人々なのか?確実にそのような人々は存在しない。 このような事を本当に述べる人々は恥知らずな詐欺師と圧制者のいずれかである、 その人達は知識の進歩を止め、そして彼らの同胞の精神と身体に対する絶対的な支配を奪う、 そして、それ故に直ちに最後の最後まで抵抗される事になる、 或いは彼らは全くの哀れみや軽蔑以外の何らか対価への権利を授けられる為には彼ら自身の脆弱さに関して そしてその他の人々に対する彼らの真の関係に関して、余りにも無知である。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 もし利益が主観的な物であるならば、社会的な法益を尤もらしく比較衡量し、公共の福祉を算出して見せる黒衣の詐欺師共の詭弁についてはどうか?: 奇妙な事に、功利主義は道徳性、善い事はそれぞれの個人にとって純粋に主観的であると仮定している一方で、 他方ではこれらの主観的な欲望は社会の様々な個人に渡って足したり引いたり、測ったりする事が出来ると仮定している。 それは個人の主観的な効用と費用は”社会全体の効用”や”社会全体の費用”に達する為に足したり引いたり測定される事が出来ると 仮定しており、それにより功利主義者が所与の社会的政策への賛成や反対を助言する事を許している。 現代厚生経済学はとりわけ”社会的費用”や”社会的効用”の概算、そして正確な定量的概算と言われる物にさえ至る事に慣れている。 しかし経済学は我々に道徳原理は主観的であると言う事ではなく、効用と費用が主観的であると言う事を、 つまり、個々の効用は純粋に主観的であり序数的である、そしてそれ故に、”社会的”効用や費用の概算に達する為に それらを足したり比較する事は全くの誤りであると言う事を正確に伝えている。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 えうkぎおlj ちゃんと客としてのマナーを守れよお前ら意地汚いことをするんじゃないJKビジネスを守れ 淫行糞ガキには罰則がないからだろ 逮捕とか懲役とか罰金つけろよ 高校無償化するならついでに高校全寄宿制で隔離すればいいんだよ 親から引き離して自立心養えるしニート対策にもなって一石二鳥 勿論スマホを与えない IT教育は学校でPC使わせとけばいい んなことまでやらなきゃダメだと思うなら、 もうカメラの設置や所持を免許制にするべきじゃね? 監視カメラ設置者に対して政府で「オレの話を聞け」する場合、 どういう話をするのが適切か、 いっぺん議会と政府と警察とでやっとけ、と思うし >>1 売春して働かざるを得ない子供は政府に税金で支援させればいい等と主張する「頭の悪すぎる」 児ポ法カルトの主張がなぜ上手く行かないかを説明する引用: 課税の全ての形式は個人が最初の占有から、生産から、或いは契約から受け取る事を期待出来る収入の減少を意味する。 これらの活動は消費及び或いは娯楽に使用される事が出来た希少な手段、少なくとも時間と自分の身体の使用を必要とするので、 それらを行う機会費用は上昇させられる。 占有し、生産し、契約する限界効用は低下させられ、そして消費と娯楽の限界効用は増加させられる。 従って、前者の役割から抜け出し後者の役割に移る傾向が存在するだろう。 それ故に、価値があるけれどもまだ消費されていない資産を占有者と契約者を含むその用語のより幅広い意味においてそれらの生産者から それらを生産していない人々へと強制的に移転する事により、 課税は生産者の現在の収入と彼らの現在考えられる消費の水準を減少させる。 更に、それは価値のある資産の更なる生産の為の現在の動機を減少させ、 そしてそれ故にまた将来の収入と将来の利用可能な消費水準をより低くする。 課税は生産的な努力に対するいかなる効果も伴わない消費の処罰であるだけではない、 それはまた将来の収入と消費の支出を提供し増加させる唯一の手段としての生産に対する攻撃である。 将来に向けられた価値の生産的な努力と関連付けられた現在の価値を低くする事により、 課税は実効的な時間選好率、言い換えれば、元々の利益の割合を上昇させ、 従って、生産と供給の期間の短縮に導き、その日暮しの生活の存在の方向に人類を押す避けられない影響を及ぼす。 十分に課税を増加させるだけで、あなたは人間を野蛮な獣の水準に落ちぶれさせるだろう。 ハンス・ヘルマン・ホッペ, The Economics and Ethics of Private Property. ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 人は支払いを受け取る前にまず働かなければならない。 反対に、殺人、暴行、強姦、強盗、窃盗、侵入窃盗等の特定の犯罪活動はこのような自制を必要としない、 侵略者への報酬は具体的で即座の物であるが、その犠牲、考え得る処罰は将来的であり不確実である。 結果として、社会の時間選好率が上昇した場合、特にこれらの侵略的な行動の形式の頻度が上昇する事が予期される。 ハンス・ヘルマン・ホッペ, Democracy, the God that Failed. ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 えいぇwてtwt 子供たちの方がこの先なにをやって生きてゆかねばならんのか、わかってるね。 芸を見せるか自分を見せるか。 そういうので金稼いでるのは芸能人やろw なら先ずお前らがやめろとwアホなんか 真面目にがっこ通ってお勉強しても、この先はもう仕事は無いで。 日本人は売春ばかりしてるからね それで朝鮮人を慰安婦にしてたしクズすぎ >1 子供は後悔する可能性があるので彼らの自由を奪われるべきである等と言う児ポ法/未成年者誘拐罪の支持者の致命的な自惚れを理解する為に: 人間行動の存在から導き出される別の根本的な意味合いは将来の不確実性である。 これはその反対は完全に行動の可能性を否定するので必ず真である。 もし人が将来の出来事を完全に知っているならば、彼は決して行為しないだろう。 なぜなら彼のどんな行動もその状況を変える事は出来ないからである。 従って、行動の事実は行為者にとって将来は不確実であると言う事を意味する。 この将来の出来事に関する不確実性は二つの基本的な源泉から生じる、 つまり、人間の選択行為の予測不可能性、そして自然現象に関する知識の不十分さである。 人は全ての自然現象の将来の進行を予測できるほど十分に自然現象を理解していない、 そして彼は将来の人間の選択の内容を知る事は出来ない。 全ての人間の選択は目的に達する為の最も適切な手段に関する評価と考えの変化の結果として継続的に変化する。 無論、これは人々は将来の進行を見積もる為に最善を尽くさないと言う事を意味する訳ではない。 それどころか、全ての行為者は手段を用いる時に、彼が彼の望む目標に達する様に見積もる。 しかし、彼は決して将来についての確実な知識を持たない。 全ての彼の行動は必ず将来の出来事のコースに関する彼の判断に基づいた憶測である。 不確実性の遍在は人間行動において絶えず存在する誤りの可能性を導入する。 マレー・ロスバード、Man,Economy,and State. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 我々自身やその他の人々の将来の価値判断に関する我々の予想やこれらの価値判断へと行動を適合させる為の 手段に関する予想が正しいかどうかを事前に知る事は出来ない。 この将来の不確実性は人間の状態の主要な特徴の一つである。それは人生と行動の全ての現われに付き纏う。 人は彼の支配を超えた力に翻弄される。彼は彼が彼を害すると考える物事を可能な限り回避する為に行為する。 しかし彼はせいぜい狭い範囲内でしか成功する事は出来ない。 そして彼は彼の行動がどのぐらい探し求められた目的を成し遂げる事が出来るのかを事前に知る事や、 もしそれを成し遂げたとしても、後で振り返ってみた時、彼自身やそれを見ているその他の人にとって、 彼が行動に従事した当時、彼に開かれていた選択肢の間で最善の選択であったかどうか知る事は決して出来ない。... ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、The Ultimate Foundation of Economic Science. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 全ての人はその他の人々の侵略から彼の身体及び財産を保護される事を願う。 しかし誰も彼自身から彼の身体或いは財産を保護される事は望まない、 誰かが彼自身を害する事を望むのは人間本性それ自身の基本的な法に反している。 彼は彼自身の幸福を促進する事、そして何が彼自身の幸福を促進出来るか、 そして促進するかについて彼自身で判断する事を願うに過ぎない。 これは全ての人が望む事である、そして人間としてそうする権利を持つ事である。 そして我々は皆我々の知識の不完全から多くの誤りを犯し、そして必然的に犯すに違いないけれども、 これらの誤りはその権利に対する反論にはならない。 なぜならそれらは我々が必要とし、求めており、その他の方法で得る事が出来ない知識を我々に与える事に役立つからである。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 ryeuerey >>1 子供は後悔する可能性があるので彼らの自由を奪われるべきである等と言う児ポ法/未成年者誘拐罪の支持者の致命的な自惚れを理解する為に: 人間行動の存在から導き出される別の根本的な意味合いは将来の不確実性である。 これはその反対は完全に行動の可能性を否定するので必ず真である。 もし人が将来の出来事を完全に知っているならば、彼は決して行為しないだろう。 なぜなら彼のどんな行動もその状況を変える事は出来ないからである。 従って、行動の事実は行為者にとって将来は不確実であると言う事を意味する。 この将来の出来事に関する不確実性は二つの基本的な源泉から生じる、 つまり、人間の選択行為の予測不可能性、そして自然現象に関する知識の不十分さである。 人は全ての自然現象の将来の進行を予測できるほど十分に自然現象を理解していない、 そして彼は将来の人間の選択の内容を知る事は出来ない。 全ての人間の選択は目的に達する為の最も適切な手段に関する評価と考えの変化の結果として継続的に変化する。 無論、これは人々は将来の進行を見積もる為に最善を尽くさないと言う事を意味する訳ではない。 それどころか、全ての行為者は手段を用いる時に、彼が彼の望む目標に達する様に見積もる。 しかし、彼は決して将来についての確実な知識を持たない。 全ての彼の行動は必ず将来の出来事のコースに関する彼の判断に基づいた憶測である。 不確実性の遍在は人間行動において絶えず存在する誤りの可能性を導入する。 マレー・ロスバード、Man,Economy,and State. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 我々自身やその他の人々の将来の価値判断に関する我々の予想やこれらの価値判断へと行動を適合させる為の 手段に関する予想が正しいかどうかを事前に知る事は出来ない。 この将来の不確実性は人間の状態の主要な特徴の一つである。それは人生と行動の全ての現われに付き纏う。 人は彼の支配を超えた力に翻弄される。彼は彼が彼を害すると考える物事を可能な限り回避する為に行為する。 しかし彼はせいぜい狭い範囲内でしか成功する事は出来ない。 そして彼は彼の行動がどのぐらい探し求められた目的を成し遂げる事が出来るのかを事前に知る事や、 もしそれを成し遂げたとしても、後で振り返ってみた時、彼自身やそれを見ているその他の人にとって、 彼が行動に従事した当時、彼に開かれていた選択肢の間で最善の選択であったかどうか知る事は決して出来ない。... ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、The Ultimate Foundation of Economic Science. ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは現代リバタリアン運動に多大な影響を与えたオーストリア=ハンガリー帝国出身の経済学者である。 リバタリアン運動の中心的な指導者であるマレー・ロスバードは彼の弟子である。 全ての人はその他の人々の侵略から彼の身体及び財産を保護される事を願う。 しかし誰も彼自身から彼の身体或いは財産を保護される事は望まない、 誰かが彼自身を害する事を望むのは人間本性それ自身の基本的な法に反している。 彼は彼自身の幸福を促進する事、そして何が彼自身の幸福を促進出来るか、 そして促進するかについて彼自身で判断する事を願うに過ぎない。 これは全ての人が望む事である、そして人間としてそうする権利を持つ事である。 そして我々は皆我々の知識の不完全から多くの誤りを犯し、そして必然的に犯すに違いないけれども、 これらの誤りはその権利に対する反論にはならない。 なぜならそれらは我々が必要とし、求めており、その他の方法で得る事が出来ない知識を我々に与える事に役立つからである。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 安価ミス >>1 我々は皆我々自身と我々の周りの全ての事を知らない世界に生まれる。 我々の性質の基本的な法により、我々は皆、幸福に対する欲求と苦痛に対する不安により絶えず駆り立てられている。 しかし我々は我々に幸福を与え、そして苦痛から我々を救う事に関して、学ぶ為の全ての物を持つ。 我々のうち二人として肉体的、精神的、或いは感情的に、或いは結果として幸福の獲得と不幸の回避の為の肉体的、 精神的或いは感情的必要条件において全く同じ人は居ない。 それ故に、我々の誰も別の人の為の幸福と不幸、有徳と悪徳に関するこの欠く事のできないレッスンを学ぶ事が出来る者は居ない。 それぞれの人は彼自身の為にそれを学ばなければならない。 それを学ぶ為には、彼は必ずそれら自身を彼の判断に委ねる全ての実験を試みる為に自由でなければならない。 彼の実験の幾つかは成功し、そしてそれらは成功したと言う理由で有徳と呼ばれる、 その他は失敗し、そしてそれらは失敗したと言う理由で悪徳と呼ばれる。 彼は彼の成功からと同じ様に彼の失敗から、そして彼の所謂有徳からと同じ様に彼の所謂悪徳から多くの知恵を集める。 双方はどのように幸福が獲得され、苦痛が回避されるのかを彼に示すだろう彼自身の性質、 そして彼の周りの世界、そしてお互いに対する彼らの適合や非適合の知識の獲得に必要である。 そして、彼が彼自身の満足の為にこれらの実験を試みる事を許される事が出来るのでない限り、 彼は知識の獲得から、そして結果として、彼の人生の偉大な目的と義務を追求する事から抑圧される。 ライサンダー・スプーナー、Vices Are Not Crimes:A Vindication Of Moral Liberty. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 児童ポルノの所持はプライバシー権の侵害等と言うバカげた児童ポルノ法の支持者の主張に関してはどうか?: 言論の自由に対する”人権”の場合同様に、自分の財産を侵略から保護する権利を超えたプライバシーへの権利等と言う物は存在しない。 ”プライバシーへの”唯一の権利は自分の財産がその他の誰かにより侵略される事から保護する権利である。 簡潔に言えば、誰もその他の誰かの家に泥棒に入る権利や誰かの電話線を盗聴する権利を持たない。 盗聴は何らかの曖昧で漠然とした”’プライバシーへの権利’の侵害”の為ではなく、 それが盗聴されている個人の所有権の侵害であると言う為に適切に犯罪である。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 ewytewtew >>1 誰が真に有益な本物の教育を受け取る機会を子供達から奪っているのか?: 教育は一生続く学習過程である、そして学習は学校だけでなく人生の全領域で行われる。 子供が遊ぶか、親や友達に聞くか、新聞を読むか、仕事で働く時、彼や彼女は教育を受けている。 形式的な学校教育は教育過程の僅かな部分に過ぎない、そして本当は形式的な教育の科目、 特に高度で体系的な科目の為に適切であるに過ぎない。 基本的な科目、読み書き計算、そしてその結果は家や学校の外側で容易に学ばれる事が出来る。 更に、人類の偉大な栄光の一つはその多様性、それぞれの個人はユニークな能力、関心、 そして才能を持つユニークな存在であると言う事実である。 この領域に能力も関心も持たない子供達に形式的な学校教育を押し付ける事は 子供の心と精神を犯罪的に歪める事である。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 ...指導の最善の種類は個別指導であると言う事は明白である。 一人の教師が一人の生徒を指導するコースは明らかに間違いなく最善の種類のコースである。 人間の潜在的な可能性が最大の程度まで開発出来るのはこのような条件の下においてだけである。 一人の教師が多くの子供達を指導するクラスにより特徴付けられる形式教育は非常に劣ったシステムである。 それぞれの子供は関心と能力においてその他の子供から異なっているが、 教師は一度に一つの事だけしか教える事が出来ないので、 全ての学校のクラスは一つの統一的な型にその指導の全てを流し込まなければならないと言うのは明白である。 どうやって、どんなペース、タイミング或いはバラエティで教師が指導するかに関わらず、 彼は子供達の一人一人に暴力を振るっている。 全ての学校教育は不適切な統一性の画一的な方法にそれぞれの子供を無理やり押し込む事に関係する。 マレー・ロスバード、Education: Free and Compulsory. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 qwtwtqwt 今は知らんがツイッターにJSJCがくぱぁー画とかオナ動画載せてやる奴たくさんいたけど18未満にスマホ持たせるなよ >>1 現代の豊かな先進国の経済条件においてしか維持できない児童福祉政策を子供の権利などと主張する児ポ法カルトの不条理に関して: "権利"とは哲学的に言って、人間と実在の性質に深く組み込まれている物、どんな時にも全ての時代において保護され、 維持される事が出来る様な物でなければならない。自分の生命と財産を守る、自己所有の"権利"は明らかにその種の権利である、 それはネアンデルタール人にも近代のカルカッタにおいても現代の合衆国においても適用されることが出来る。 このような権利は時代や場所と無関係である。 しかし"仕事への権利"や"一日三度の食事"への権利や"12年の学校教育"への権利は同様に保障される事は出来ない。 ネアンデルタール人の時代や近代のカルカッタにおいて存在出来なかった様に、このような権利は存在出来ないと考えられないだろうか? 現代の産業的な条件においてだけ満たされる事が出来る物として"権利"を話すことは少しも人間の自然的権利について話すことではない。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 少なくとも千年以上に渡って、日本人は集団カルトの中で最も純粋な利他主義を教えられている。 "自分が望む様に生きる為の権利のアイディアは日本人の精神の中に入る事は出来ない。... そこでは人の時間や努力は排他的に彼自身のものと考えられる事はない。 彼が生きる権利は集団に仕える彼の意志に依存している。...個人は集団の為に完全に犠牲にされる。... 集団内の全てのメンバーは彼の仲間のメンバーの行動を注意深く監視しなければならない。... クラス活動、集団の利益、社会的影響は最重要になる。 そして生徒達が洗脳される支配的な哲学はいかなる普遍的或いは永久的な道徳的価値や基準も存在しないとする"道具主義"の哲学である。 生徒達の最も印象的な結果は"道徳的自由の恐るべき欠落"である。証拠も論理も彼らが育てられている靄まで届く事はない。... 彼らは"私はあなたに同意しない"と言うかもしれない、しかし彼らは反対の為の理由を与える事は出来ない。 彼らは全く説得されないが彼らは反論において主張を提示する事は出来ない。 言い換えると、考える事を求められた時、彼らは唯一の権威としてクラス、集団、 "社会的流行"を受け入れる様に訓練されているので、そうする事が出来ない。... ある答えは正しいか誤りであると言う本質的なアイディアは曖昧にされる、そしてその仕事それ自身が無意味なものに見えるようにされる。 このようにしてあらゆる方法において幼少期において知性と個性の開発の為に適切に向けられる 人間のエネルギーの自然的はけ口は抑えられ、蝕まれる、そして学習の目的はそれ自体で真である事を 学ぶ事でもなければこのような知識を用いて独立性を開拓する事でもなく、恣意的な権力に阿り服従する事になる。 イザベル・パターソン、The God of the Machine. イザベル・パターソンはアメリカのジャーナリスト、政治哲学者、対日研究家、文学批評家である。 彼女は合衆国の日本化=社会主義化を批判し、現代リバタリアン運動に大きな影響を与えた。 yewteqtet マンコの自撮りや男とハメて気持ち良くなってから、バラすと脅せば大金になる。しかも、自分は決して罰せられない。 痴漢冤罪もそうだが、こんなうまいビジネス、止める訳ない。 >>1 日本の教育全体はまだ西洋の教育と殆ど全く反対の伝統的な方針に基づいて行われている。 西洋では、道徳的訓練の抑圧的な部分は幼少期に行われる。 我々は可能な限り早く人がしなければならない事や人がしてはならない事と言った倫理を教える事が重要であると考える。 その後に、より多くの自由は認められる。 良く育てられた子供は彼の将来は彼の個人的な努力と能力次第である事を理解させられる、 そして大部分において、彼自身の責任で行動する事を許され、必要と思われる時に時折、助言や忠告が行われる。... 西洋の教育の目的は個人の能力と個性を開発し、独立した力強い個人を作り出す事である。 日本の教育は常に殆ど反対の方針に基づいて行われている、そしてその表面的な見せかけにも拘らず、 まだ行われている。 その目的は決して独立的に行動する様に個人を教育しない事、そして集団に従属する様に、 言い換えれば、硬直した社会に適合する様に彼を訓練する事である。 西洋の教育の間の制限は幼少期の間に存在する、そしてその後に徐々に緩められていく。 日本の教育における制限はより後に始まる、そして徐々に締め付けられていく。... 学校において訓練は始まるが、最初の頃は殆ど訓練と呼べないほど非常に軽い物である。 ...存在する全ての制限は主に彼のクラスの一般的な意見により子供に行使される。... その支配的な力は常にクラスの感情である。 中等学校にもなると、生徒達は手に負えなくなる。クラスの意見は教師自身が屈しなければならないほどの力を獲得する、 そしてそれを落ち着けようとする教師の試みは彼を失職に追い込むほどである。... 学校生活を制限するのは決して個人による集団の支配ではなく、集団による個人の支配である。 その力は恐るべきものである。 意識的にせよ無意識にせよクラスの感情を害した生徒は突然孤立する事になるだろう。 ラフカディオ・ハーン、Japan: An Attempt at Interpretation. ラフカディオ・ハーンはアメリカのジャーナリスト、対日研究家、民俗学者である。 彼の著作は日本の社会構造を理解する為の重要な文献の一つと考えられている。ywyeweyew >>1 要するに、全ての子供は彼が生まれてそれ故にもはや彼の母親の身体内部に含まれなくなるや否や独立した存在であり、 可能的な成人であると言う理由で自己所有権を所有すると言う事になる。 それ故に親が彼を不具にして、拷問して殺す事により彼の身体に対して侵略を仕掛ける事は必ず不正であり侵害である。 他方で、"権利"の概念自体は誰も適切に干渉する事が出来ない個人の行動の領域を定める"消極的な"ものである。 それ故に誰も積極的な行動を行う様に誰かを強いる"権利"を持つ事は出来ない、 その場合にはその強制は、強制されている個人の身体や財産の権利を侵害する。 こうして、我々はある人は彼の財産に対する権利(言い換えれば、彼の財産が侵害されない権利)を持つと述べる事が出来るが、 我々は誰かは"生存賃金"に対する"権利"を持つと述べる事は出来ない、 それは誰かがこのような賃金を彼に提供する様に強いられると言う事を意味する、 そしてそれは強制されている人の所有権を侵害するからである。 結果として、これは、自由社会においては、誰も別の誰かの為に何かを行う為の法的義務を負わされる事は出来ないと言う事を意味する、 なぜならそれは前者の権利を侵略するからである、 そしてある人が別の人に対して持つ唯一の法的な義務はその他の人の権利を尊重する事である。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 彼の年齢に関わらず、我々は逃げ出す為の、そして彼を自由意思に基づいて受け入れる新しい養親を見つける為の、 或いは彼自身で自立して生きていく事を試みる為の絶対的な権利を全ての子供に認めなければならない。 親達は帰ってくる様に子供を説得する事を試みる事が出来るが、彼らを連れ戻す為に暴力を用いる事は 全く容認し得ない子供達の奴隷化であり彼らの自己所有権に対する侵略である。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 eyweyywey >>1 自然的財産理論によれば、一度生まれた子供はその他の全ての人と同じぐらい彼自身の身体の所有者である。 これ故に、子供は物理的に侵略されない事を期待出来るだけでなく、また彼の身体の所有者として、 子供はとりわけ一度彼が物理的に彼の両親から逃げ出す事が出来る様になったならば 彼らの下から去る権利を持つ、そして彼を取り戻す為の彼らの考え得る試みを拒否する権利を持つ。 Hans-Hermann Hoppe、A Theory of Socialism and Capitalism. Hans-Hermann Hoppeは現代のアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 子供達が彼らの親達の家で暮らす間、親達は子供達の自己所有権を侵害しない範囲で その家の継続的な使用に関する条件、例えば門限時間等を定める権利を持つ。 他方で子供達は彼らの親達の家を離れるか逃げ出す事への絶対的な権利を持っている、 子供達が彼らの親達の家から離れたか逃げ出したならば、その他の人の権利を侵害しない範囲で間違いを犯す権利を含む、 その他の全ての人に適用される物と全く同じ正義の原理が彼らに適用されなければならない。 ウィリアムソン・エヴァ―ス、The Law of Omissions and Neglect of Children. ウィリアムソン・エヴァ―スは現代のアメリカ合衆国の代表的な自然法哲学者、教育学者の一人である。 彼はスタンフォード大学フーヴァー研究所とインデペンデント研究所の主任研究員である。 もし子供が大人になる唯一の方法が彼自身の意思によって親から自立し、大人としての地位を確立する事であるならば、 その時は親はこの選択を妨害する権利を持たない。従って、親は子供が彼らの家から去る事を禁止する事は出来ない。 親は子供が彼らの家に留まる限りにおいてその子供に対してその他の権利と義務を持つだけである。 親が子供の自立を妨げる事は許されない。そうする事は子供が大人になる過程を否定する事である。 ... 子供との労働契約は彼の年齢、経験不足等を考慮した場合、本当に自由意思に基づいていると言えるのだろうか? その答えは、イエスである。彼らの親の家を去り自立する事を試みる事が出来る全ての個人は 自由意思に基づく契約を結ぶ事が出来るまで十分に成熟している。彼はもはや子供ではないのである。 その反対の答えは我々が理解する様に、子供が自立して彼自身の運命を切り開き大人になる事を禁じる事である。 ウォルター・ブロック、Defending the Undefendable. ウォルター・ブロックはアメリカ合衆国の経済学者である。 彼はルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所の主任研究員であり、北米の代表的なリバタリアン指導者の一人である。 eyueyey >>1 全ての人は彼自身の身体に対する所有権を持つ。その他の誰も彼の身体に対する権利を持たない。 彼の身体の労働及び彼の手の作業は適切に彼のものであると言って良い。 自然が提供していた、自然のままの状態から取り除いたものが何であれ、 彼は彼の労働をそれに混ぜ合わせ、彼自身のものである何かをそれに結合し、 それを彼の財産にする、それは彼により自然のままの共有状態から取り除かれている、 それはこの労働によりその他の人々の共有の権利を排除する様なそれに付加された何かを持つ。 この労働者の議論の余地のない特性である労働の為に、 彼以外の誰も一度結び付けられたものに対する権利を持つ事は出来ない。 ジョン・ロック、Two Treatises of Government. ジョン・ロックはイギリスの自然法哲学者、医師である。彼の自然権のアイディアは現代のリバタリアン人権理論に大きな影響を与えた。 理性が我々に伝える様に、全ての人は生まれながらにして自然的に平等であり、彼らの身体への等しい権利を持つ... 全ての人は彼自身の身体を所有する権利を持つ。彼の身体の労働と彼の手の働きは適切に彼自身の物であり、 彼以外の誰もそれを所有する権利を持たない。 そしてそれ故に、彼が何かを自然のままの共有状態から取り除いた時、彼はそれに彼の労働を混ぜ合わせ、 そしてそれを彼自身の物にする様な何かを付け加え、それによってそれを彼の財産にすると言う事になる。 ...そしてもし全ての人が彼自身の身体と財産への権利を持つならば、 彼はまたそれらを防衛する権利を持つ...そして彼の身体と財産への全ての攻撃を処罰する権利を持つ。 エリシャ・ウィリアムス、The essential Rights and Liberties of Protestants. エリシャ・ウィリアムスはアメリカ合衆国の自然法哲学者、牧師、イェール大学の四代目学長である。 ueyeyweywe >>1 全ての人々は生まれながらにして自由である、自由は彼らが創造主から受け取った贈り物であり、 彼らは同意により自由を譲渡する事は出来ない、彼らが犯罪によりそれを奪われる事はあるかもしれないが。 ...そして誰も彼の子孫の人生と自由、宗教や獲得した財産を譲り渡す事は出来ない、 彼の子孫は彼自身と同じ様に生まれながらにして自由である、 そして彼の邪悪で馬鹿げた取引により束縛される事は出来ない。 ジョン・トレンチャード、Liberty proved to be the unalienable Right of all Mankind. ジョン・トレンチャードはイギリスの法律家、著述家である。トマス・ゴードンと共に出版したケイトーの手紙によって ロック派の自然権理論を広め、現代リバタリアン運動に大きな影響を与えた。 純粋自由の体制、つまり、リバタリアン社会は所有権原が”再配分”される事の無い社会として説明される事が出来る、 要するに、彼の身体や有形の財産の所有権がその他の誰かに妨害されたり侵害されたり干渉される事の無い社会である。 しかしこれは社会的な意味において、絶対的自由は孤立したクルーソーによってだけでなくまたどんなに複雑であるか 高度であるかに関わらずあらゆる社会の全ての人により享受される事が出来ると言う事を意味する。 なぜならもしクルーソーの様に、彼の”自然的”に所有する彼の身体と有形の財産の所有権が その他の人々による侵害や妨害を免れているならば、全ての人は絶対的自由を享受しているからである。 そしてもちろん、自由意思に基づく交換の社会では、それぞれの人はクルーソーの様な孤立においてでなく また文明、調和、社会性、及び彼の同胞との財産の交換を通じた巨大により大きな生産性の環境において絶対的自由を享受出来る。 従って、絶対的自由は我々が文明の出現の為に支払われなければならない代価として失われる必要はない、 人は生まれながらにして自由である、そして鎖に繋がれる事は決して必要ではない。 人は自由と豊富、自由と文明を成し遂げる事が出来る。 マレー・ロスバード、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 uewyweyey AIの発達が人間の仕事を奪うと聞くと暗澹たる気持ちにもなるが、 「アタシいい女よ!」と魅せることに注力する、生き物としてあるべき姿に戻れる時代になってきたと思えば暗くも無い。 ただ、為政者、知識人( )にAI化後の社会ビジョンがない、まったく示さないのはホントあきれる。 >>1 2ちゃんねる動物園へようこそ。 ここではロリコン気持ち悪い!キチガイ!等の幼稚な感情表現や 何ら根拠や証拠を伴わない主観的な思い込みしか書き込む事は出来ません。 具体的な根拠や証拠を提示して児童ポルノ法や未成年者誘拐罪等を批判する事は埋め立て扱いで規制されて居ます。 では引き続きワオ!ガルル!と同じ知性の劣化した猿の無意味な喚き合いをお楽しみください! yeewyeywy 自ら進んでやってる事でもなーんでも女が被害者w いい加減にしろって 世の中糞みたいな女あふれてるよ たとえ未成年でもね バカな女がいるかぎり被害者はこれからも増えるだけw JKは需要がある事を知ってるからやってるだけ 夕暮れ族と同じなのに男だけ悪者ってのは司法が悪い 自分で撮影して送ったりお金をもらっているのに ”被害者”ってとこからどうにかしないと何ともならんと思うよ >>223 むしろ条例レベル、警察の末端職質レベル(男性のみ)と法内法外問わずでやりすぎたため 結果的にカメラを持たない男性が増えてカメラメーカーの業績が傾いたという皮肉 ttps://news.nifty.com/article/domestic/society/12151-12746/ それより盗撮禁止を呼びかけろよ 俺がガキの頃はやたら「ネチケット」という言葉を聞かされて、個人情報をアップするなんて恐くてできなかった 最近のガキはネットリテラシーが欠如し過ぎ でも文科省のトップクラスはJK遊びしていたんでしょ? そのへんは東京都としては、どう弁解するん? 日本の公務員・警官ほど嘘ぱちでドスケベは珍しい下等おもうのだが…。 児童ポルノ製造者はJKの方だろ 警察はなにやってるんだ >>1 アホみたいな法律があるが、むしろ何がダメなんだ? お互い合意の上のWINWIN関係だろ? 妊娠と病気だけ気を付けた上でリベンジポルノとかに罰則を与えればいいだけだろ? むしろ、こうやって、隠そうとするから脅されたりするんじゃねーか? OKにしてオープン化すれば、強制的にやらされてる人間は被害として出しやすいだろ? 本気で本当の被害者を救いたいならオープン化するべき >>1 リバタリアン教義の自然権の根拠、つまり、どのような形にせよ、現在及び過去の大多数のリバタリアンにより採用されている根拠に移る事にしよう。 "自然権"はより大きな"自然法"の構造の中に組み込まれても居る政治的哲学の基軸である。 自然法理論は我々は二つ以上の、実際には、膨大な数の実在物の世界で生活する、 そしてそれぞれの実在物は人の理性により、そして彼の感覚認識と知的能力により調査される事が出来る個別的な特性、 個別的な"性質"を持つと言う洞察に基づいている。 銅は個別的な性質を持っており一定の方法で振る舞う、そして鉄、塩、その他等もそうである。 それ故に、人類は彼を取り巻く世界、そしてそれらの間の相互作用の方法がそうである様に明記出来る性質を持つ。 不適切な簡潔さで言えば、それぞれの無機的及び有機的な実在物の活動はそれ自身の性質により、 そしてそれが接触しているその他の実在物の性質により決定される。 具体的に言うと、植物と少なくとも下等動物の振る舞いは彼らの生物学的な性質や恐らく彼らの"本能"により決定される一方で、 人の性質はそれぞれの個人は行動する為に、彼自身の目的を選びそれらを成し遂げる為の彼自身の手段を用いなければならないと言うものである。 無意識的な本能を所有しないので、それぞれの人は彼自身と世界について学び、価値を選ぶ為に彼の精神を用いて、 原因と結果について学び、そして彼自身を維持し彼の人生を進める為に合目的的に行動しなければならない。 人は個人としてしか考え、感じ、評価し、そして行動する事が出来ないので、彼は学び、選び、彼自身の能力を開発し、 そして彼の知識と価値観に基づいて行動する為に自由であると言う事はそれぞれの人の生存と繁栄の為に絶対に必要になる。 これは人間の性質の欠く事の出来ない通り道である、そして暴力を用いる事によりこの過程を妨げる事、 そして損なう事は彼の生命及び繁栄の為に人の性質により必要である事に深く反していく。 人の学習及び選択に対する暴力的な干渉はそれ故に大いに"反人間的"である、それは人の必要の自然法を犯す。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 wertyuiojgg >>18 やめたまえ。 もう彼女では散々やっただろう >>1 Wikipedia脳のバカの為の若干の認識論哲学の説明: ミーゼスは合理主義哲学者により伝統的に公式化されていた制限を踏まえて経済学的命題は二つの必要条件を満たさなければならないと言及する。 第一に、それはそれらが観察に基づいた証拠から引き出されるのではないと論証する事が可能でなければならない、 なぜなら観察に基づいた証拠はそれらが偶然そうである事を明らかにする事が出来るだけだからである、 つまり、なぜ物事がそれらが現存する方法でなければならないのかを示す事はその中に何も存在しないからである。 その代わりに経済学的命題は必ず内省的な認識に、対象を知っているものとしての我々自身に関する我々の理解に基づいていると示されなければならない。 第二に、この内省的な理解は自明の本質的な公理として若干の命題を生み出さなければならない、 これはこのような公理が心理的な意味で自明でなければならないと言う意味ではない、 つまり人はそれらに関して直接的に感じていなければならないと言う意味やそれらの真理性が心理的な確信の感覚に依存すると言う意味ではない。 反対に、彼の前のカントと同じ様に、ミーゼスは例えば木の葉っぱは緑であるとか私は6フィート2インチである等の若干の観察に基づいた真実を発見する事よりも このような公理を発見する事は通常より多く骨が折れると言う事実を強調する。 むしろ、それらを自明の本質的な公理にする事は、それらを否定する事を試みる際に、人は既にそれらの正当性を前提としていると言う理由で、 誰も自己矛盾に陥る事無しにそれらの正当性を否定する事は出来ないと言う事実である。 Hans-Hermann Hoppe,The Economics and Ethics of Private Property. Hans-Hermann Hoppeはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 立論は浮遊する命題から成るのではなく希少な資源の使用を必要とする行動の形式であると言う事に、 そして更にある人が命題の交換に従事する事により選好を証明するその資源は 私有財産のそれらであると言う事に注意しなければならない。 何しろ、もし自分の物理的な身体の排他的な使用を行う権利が既に前もって推定されていなかったならば、 誰も何も提案する事は出来ない、そして誰も論争的な手段により何らかの命題から説得される事は出来ない。 人は言われている事について異議を唱えるかも知れない一方で、少なくとも意見の相違が存在する事に関してはまだ同意する事が可能であると言う 命題の交換の代表的な特徴を説明するのはこの自分自身の身体に対するお互いの相互に排他的な支配の認識である。 そして同様に、このような自分自身の身体に対する所有権は先験的に正当化されると言われなければならないのは明白である。 どんな内容であれ何らかの規範を正当化する事を試みる人は誰でも単に"私はこれこれしかじかを提案する"と述べる為に 既に彼の身体に対する排他的な支配の権利を前提としなければならない。 そしてそれ故に、このような権利に異議を唱える人は誰でも、そう主張する人は既に彼が異議を唱えている その規範自体を暗黙の内に受け入れていると言う理由で、実践的な不一致に陥る事になるだろう。 更に、もし自分の身体の他に開拓行為を通して、言い換えると、その他の誰かがそうする前にそれらを使用する事により その他の希少資源を自分の物にする事を許されていなかったら、そしてもしこのような資源、 そしてそれらに関する排他的支配の権利が客観的で物理的な条件で定義されていなかったら、 少しの間でも立論を維持する事も自分の主張の命題の力を当てにする事も等しく不可能であるだろう。 もし誰も彼自身の身体を除いて、全く何も支配する権利を持たないとしたら、 その時は我々は皆死ぬので規範を正当化すると言う問題は単純に存在しないだろう。 なので、生きていると言う事実の為に、その他の物に対する所有権は妥当である事が前提とされなければならない。 さもなければ生きている誰も主張する事は出来ない。 Hans-Hermann Hoppe、The Ultimate Justification of the Private Property Ethic. Hans-Hermann Hoppeはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 fgiukhjhk >>1 リバタリアンは主観的な価値判断を客観的事実の如く絶対化している等と主張する児ポ法カルトの藁人形攻撃は妥当なのだろうか?: 私が提案している事は倫理学の完全に価値自由な体系である。私は完全にである意見の領域に留まっており、 そして"である"から"べき"を引き出す為の試みはどこにもない。 私の主張の構造はこれである、つまり、(a)正当化は命題の、或いは論争的な正当化である(先験的に真のである意見)、 (b)議論は私有財産倫理の承認を前提とする(先験的に真のである意見)、 (c)私有財産倫理からの逸脱は論争的に正当化される事は出来ない(先験的に真のである意見)。 それ故に全ての社会主義者倫理に対する私の反駁は純粋に認識的な物である。 ロールズやその他の社会主義者がまだこのような倫理を提唱する事が出来ると言う事は全く的外れである。 1+1は2であると言う事は誰かがそれは3であると述べる可能性を排除する事や人は1+1は3を その土地の算術法にする事を試みない筈であると言う訳ではない。 しかしながらこれは1+1はまだ2であると言う事実に影響を与えない。 これとの厳格な類推で、私はロールズやその他の社会主義者が述べる事は何であれ虚偽であると証明する事を主張する"だけ"である、 そして全ての知的に優秀で正直な人々によりこのようなものとして理解される事が出来る。 それは無能であるか不誠実で邪悪な人がまだ存在する事が出来る、 そして真実と正義に対して勝ってさえ居る事が出来ると言う事実を変える訳ではない。 ハンス・ヘルマン・ホッペ,The Economics and Ethics of Private Property. ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 ghb,jk,m >>1 全ての理論は仮説的な物に過ぎないので絶対的な真実等と言う物は存在しない等という時代遅れの実証主義に逃げ込む 児童ポルノ法カルトに止めを刺す引用はこちら: 全ての科学的説明は仮説的であると言う実証主義の主張は自滅的である。... "反証"或いは"確認"と言われる事が出来る前提条件は不変性原理、つまり、観測可能な事象は原理的にそれらが作用する方法において 不変で時間により変わらない原因により決定されると言う信念である。 不変性原理が妥当であると仮定される場合だけ再現への失敗から最初の仮説に伴う何らかの誤りが存在すると言う結論が得られる、 そしてその時だけ成功を収めた再現は実際に確認として解釈される。 明らかにこの不変性原理は経験に基づいてもいなければ経験から得られるわけでもない。 出来事を接続する観測可能な繋がりは存在しないだけでなく例えもしこのような繋がりが存在したとしても、 経験はそれが時間により変わらないのかどうかを明らかに出来ない。 不変性原理は経験によって反証される事も出来ない、なぜならそれを反証すると思われるかもしれない全ての出来事、 例えば何らかの結果を再現する事への失敗はあたかもある特定の種類の出来事が 別の特定の種類の出来事の原因ではなかったと言う事を経験が示しているかのように 最初から解釈される事が出来るからである。 けれども、その作用する方法において時間と無関係であると分かる別の出来事の集合が 実際に発見されるかもしれないと言う可能性を経験が排除出来ない限り、不変性原理の妥当性は反証される事が出来ない。 それにも関わらず、経験から得られる訳でもなければ反証される事が出来るわけでもないけれど、 不変性原理は経験が孤立した論理的に接続していない物ではなくお互いに確認するか反証するものとして 見なされる事が出来る為の論理必然的な前提条件以外の何物でもない。 これ故に、実証主義はこのような論理的に関連した経験の存在を仮定するので、 それは現実性に関する非仮説的な知識の存在を仮定すると結論されなければならない。 それは実際に時間により変わる事無く作用する原因が存在すると仮定しなければならない、 そしてそれは経験はそれを恐らく証明する事も反証する事も出来ないにも関わらず これが本当であると仮定しなければならない。 再び実証主義は首尾一貫しない矛盾した哲学であるとわかる。 ハンス・ヘルマン・ホッペ,The Economics and Ethics of Private Property. ハンス・ヘルマン・ホッペはアメリカ合衆国を代表する自然法哲学者、経済学者、社会学者の一人である。 彼はドイツでユルゲン・ハーバーマスに師事し、その後にアメリカ合衆国でマレー・ロスバードに師事した。 wertyuiodfghj 被害者が誰なのだか、全く分からない 一体どこの誰が困っていて禁止しているんだ? 非道徳的って理由なら、つまりは宗教上の理由によるものなのか >>249 女はマンコの画像をとられたがるっていう事実があるからね。 AVも取られたい女を大量に見てるし。 全員嫌がるっていう証明もされてないのにそこから話が始まるのがおかしいしな 脅迫された場合なら分かるけど自分の石手ったなら自己責任でいいじゃん 高校生以上にもなってやっていい事と悪い事の区別もつかないのかよ >>1 物事の真偽や自然法則に一定の法則や原理など存在しない?!アリストテレス以前の相対主義に逆行する児ポ法カルトを反駁する引用はこちら: ...ある物事は真であるか偽であるかのいずれかであると判断する人は間違っており、 真でもあり偽でもあると判断する人が正しいのだろうか? もし後者が正しいならば、彼らは何の意味があってある物事の性質はこれこれしかじかであると述べているのだろうか? そしてもし後者が正しくないが、その他の方法で判断する前者よりも正しいとすれば、 既に一定の性質が存在している、そしてこれは真であり、同時に偽である事はないだろう。 しかしもし全てが偽でもあり真でもあるならば、このような状態に置かれた人は何事も意味のある事を話す事も述べる事も出来ないだろう。 なぜなら彼は肯定と否定を同時に述べるからである。 そしてもし彼が判断する事無しに、何事も分別する事無く、思考しかつ思考しないならば、 彼と植物の間にどんな差異が存在するのであろうか? さて、かくして、このような立場を主張する人々やその他の人の誰一人として本当にこの立場を信じている者はいないと言う事は明白である。 と言うのも、なぜある人は彼がメガラへ歩いて行かなければならないと考える時、彼はメガラの方角に歩いて行き、家に留まらないのだろうか? なぜ彼はある早朝に泉や断崖に遭遇した時、そこに飛び込まずに避けて通るのか? 明らかに、彼は泉や断崖に落ちる事は良い事でもあり良くない事でもある等とは考えないからではないだろうか? それから明らかに、彼はある物事は良い事であり、他方は良くない事であると判断している。 そしてもしこれが真であるならば、彼はまたある物は人間であり、別の物は人間ではないと判断し、 ある物は甘く、別の物は甘くないと判断しなければならない。 なぜなら彼が水を飲み、人を見る事を望ましいと考える時、全ての物事を同様に求めたり判断している訳ではないからである。 けれどももし同じ物が人間であり人間ではないのであれば、彼はそうするべきである。 しかし、上述したように、明らかにある物を避け別の物を避けない人は誰も居ない。... アリストテレス、Metaphysics. アリストテレスは古代ギリシャ最大の哲学者である。彼の哲学は西洋世界に絶大な影響を与え、 リバタリアニズムは彼の哲学から多くの影響を受けている。edhjggyjhmgg >>210 補導されて保護観察食らってるけど 保護司の爺ちゃんにマンコ(^ω^)ペロペロさせてるよ お小遣いももらってる >>1 啓発活動は前川レポートを待ってからだろJK 覚醒剤もやっちゃダメなんて標語が多いけど やっる人を見つけたら通報して! 売ってる暴力団を見つけたら通報して! に変えてくれないかな こんな事麦価やってるから少子化に歯止めが掛からないんだよ 覚醒剤販売暴力団見つけたら通報してるけど 通報してたらやろうと思う人は減ると思う 通報推奨の標語作って使ってよ おっぱい見せてくれる子たまにいるよね 乳首チュパチュパしたら、誰にも言っちゃダメだからね とか言われてマジ萌える 知識がないから、ネットに流れて取り戻せないのが理解できないんだろうな 無料アプリにアップした画像なんかも、みんな何処かで保存されるんだぜ 脅されて送った画像もそうだよ。サーバーにみんな保存されてる >>277 大量に溢れ過ぎてるからどうでもいいんじゃないか? どうせすぐ老いるしな この無駄なほどの縛りは 多分だけど嫉妬から来てるんじゃないだろうか 放っておけば良いのに 綺麗な体を見られたいと云うのは自然な欲求だと思うがな。 フェミババアの嫉妬で法律作るなよ。 >>1 てか、自分で撮ってるのに「被害者」っておかしくないか? 送った方も罰すれば、それなりに減る可能性あるかもな 攻撃が最大の防御 死ぬ気でやるな殺す気でやれ 潰されるな通報で悪を潰せ いい加減、制服やめないのかな、日本は やめられない理由でもあるのかな まずは前川とプチエンのリストに乗ってる奴を全員捕まえろ と言いながら押収した児童ポルノを警察官がコピーして共有する国 >>1 もし一般に労働と個人が自由であるならば、その時は売春の自由も存在しなければならない。 売春は自由意思に基づく労働サービスの販売である、そして 政府はこのような販売を禁じたり制限する権利を持たない。 街路を歩きながらの取引のより過酷な面の多くは売春宿の違法化によりもたらされている。 長続きする売春宿は長期に渡り顧客の間の信用を育む事を願うマダムにより運営されていたので、 売春宿は高品質のサービスを提供し彼女らの"ブランドネーム"を築く為に競争していた。 売春宿の違法化はこれが常に伴う全ての危険と品質の一般的な低下と共に売春を不安定な存在である "ブラックマーケット"に追いやっているのである。 ... 暴力の使用から人々を守る事、彼らの身体や財産の暴力的な侵害から彼らを守る事が法的暴力の唯一の役割である。 しかしもし政府がポルノを違法化するとしたら、その時は政府それ自身が本物の無法者となる、 なぜならそれはポルノ媒体を製造し、販売し購入し或いは所有する人々の所有権を侵害するからである。 マレー・ロスバード、For a New Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 禁酒法が制定された時、全ての人は新しい道徳の時代の幕開けを予想した。 ビリー・サンデイは次の様に述べる、”スラムはまもなく記憶に過ぎなくなるだろう。 我々は監獄を工場にし、刑務所を貯蔵庫とトウモロコシ倉庫にするだろう。 男性は今や直立歩行し、女性は微笑み、子供達は笑うだろう。地獄は永遠に空室であるだろう。”... 現実は反対である。... アルコールを禁止する事は単にその生産と消費を”アンダーグラウンド”に追いやり、 そしてその双方を増加させると言う予想に反する効果を持った... 多くの人々はそれが違法になったと言う理由で、今まで以上に、或いは初めて酒を飲んだ。 ”人々は高い目的感覚で、あなたが今日殆ど見ない熱心な飲酒の種類で反抗的に飲んでいた。” 彼らが飲んでいた場所の一つは”潜り酒場”であった。例えば、ニューヨークのロチェスターでは、 禁酒法前の時代の500の認可された酒場は酒が違法化された時に二倍の潜り酒場に取って代わられた。 オールバニのイーグルストリートには18の潜り酒場が存在した、禁酒法前には3つの酒場しか存在しなかったのにである。... 禁酒法はまた蒸留酒を現在の麻薬の様に、遥かに強力にし、そしてアルコール依存症はより一般的になった。 禁酒法の11年後に、イギリスの著者G・K・チェスタートンは”アルコール依存症はそれが今日のアメリカを脅かしている様な厄災を脅かしていなかった。 16歳の少女達がダンスに行き、生のアルコール飲料を飲む事は普通ではなかった”と述べた。 アルコールにより誘導された死は現れ増加した。 ...相当の人々がアルコール飲料を飲んでいたが、彼らは違法な代物の製造や流通に関与せず、 それらの職種は我々の歴史において最も性質が悪く暴力的な悪党に委ねられた。 犯罪率は”大騒ぎの20年代”に急上昇した、その大部分は禁酒法が関連していた。 ルエリン・ロックウェル、The Economics of Liberty収録、ローレンス・リード、Would Legalization Increase Drug Use? ローレンス・リードはアメリカ合衆国の経済学者、Foundation For Economic Educationの代表である。 wyっうぇyw >>1 法治国家の法律は強盗団の命令と何が違うのだろうか?: 世界の主要な政府の全ては消滅している政府だけでなく現在存在している政府もこの性格を持っている。 彼らは彼らの同胞の略奪、征服、及び奴隷化の為に同盟している単なる強盗の一団に過ぎない。 そして彼らが法律と呼んでいるものは彼らが彼らの組織に参加し維持する為に、 そしてその他の人を略奪し奴隷化し、そして略奪品の彼の同意した分前をお互いに確保する際に 共に行動する為に必要であると認められている様な取り決めに過ぎない。 これらの法律の全ては彼らの犯罪のより成功した遂行、そして彼らの略奪品の より平和的な分配の為に山賊、盗賊、そして海賊がお互いに結ぶ事が 必要であると認める取り決めが持たないのと同じように真の拘束力を持たない。 ライサンダー・スプーナー、Natural Law; or The Science of Justice. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 ...政府は人里離れた場所で人を待ちぶせ、道端から彼に襲い掛かり、彼の頭に拳銃を当てて、彼のポケットを探る訳ではない。 しかし強盗はそれでもやはり強盗である、そしてそれは遥かに卑劣で恥知らずである。 追い剥ぎは彼の行為の責任、危険、そして罪を彼自身だけで引き受ける。 彼はあなたのお金に対する何らかの正当な請求権を持つとか、彼はあなた自身の利益の為にそれを用いる意図がある等と言う振りをしない。 彼は強盗以外の何かである等と偽らない。 彼は単なる"保護者"に過ぎない、そして彼が彼らの意思に反して人々のお金を取る事は彼ら自身を十分保護する事が出来ると感じているか 彼の奇妙な保護システムを好まない判断力の未熟な旅人達を"保護"する為に過ぎない等と公言するほどの厚かましさを獲得した事はない。 彼はこのような公言をするには分別が有り過ぎる人である。 更にあなたのお金を取ったなら、あなたが彼に望む様に彼はあなたから去っていく。 彼はあなたの正当な"主権者"である振りをして、彼があなたに提供する"保護"の為に、 あなたの意思に反してその道であなたに付いて行く事に固執しない。 彼は彼に服従し仕える事をあなたに命令する事により、これを行う事をあなたに許し、それを行う事をあなたに禁じる事により、 彼がそうする為の彼の利益や喜びを見つける度に多くのお金をあなたから奪う事により、そしてもしあなたが彼の権力に異議を唱え、 或いは彼の要求に抵抗するならば、あなたに反逆者、売国奴、国家の敵と烙印を押し、無慈悲にあなたを撃ち殺す事によりあなたを"保護"し続ける事をしない。 彼はこれらの詐欺、侮辱、そして悪事で有罪になるには余りにも紳士的過ぎる人である。 要するに、彼はあなたから強奪する事に加えて、あなたを彼の奴隷にする事を企てない。 ライサンダー・スプーナー、No Treason. No. VI. The Constitution of No Authority. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。eerrtjg >>1 国家に対して税金を払わない事、侵略者の手の中にある、国家の財産を占有する事、 国家の命令に従わない事、或いは国家との契約を破る事は少しも不正でも不道徳でもある事は出来ない.... 犯罪者との契約を破る事は不正ではない。... 適切な政治哲学の見解からは、道徳的に言って、例えば、国家から"盗む"事は 犯罪者の手の中から財産を取り除く事である、そしてそれは使用されていない 土地を開拓する代わりに、個人が社会の犯罪的部門から財産を取り除くと言う事を 除けばある意味では財産を"開拓"する事である、つまり確実に善い事である。... それから、国家に対して嘘をつく事も、同様に一層道徳的で正当になる。 誰も強盗が自分の家に何か貴重なものが存在するかどうか尋ねた時に正直に答える事を 道徳的に要求されないのと同じ様に、誰も国家により尋ねられる同様の質問 、例えば、所得税申告書に書く時に正直に答える事を道徳的に要求される事は出来ない。 マレー・ロスバード 、The Ethics of Liberty. マレー・ロスバードは20世紀のアメリカ合衆国における代表的な自然法哲学者、経済学者、歴史学者である。 彼はリバタリアン運動の中心的な指導者の一人であり、20世紀で最も偉大なリバタリアン理論家、ミスター・リバタリアンとも呼ばれる。 最悪の政府の多くや大部分は最初に強制により、そして少数の人々により確立されるけれども、 多数派により支持されている時に生じると言う事は本当である。 しかしもしそうであるとしてもこの多数派は大部分は最も無知で、迷信を信じる、臆病で、 依存的で、卑屈で、堕落した人々、詐欺によって騙されている人々、誘導により堕落している人々、 権力、知能、富及び傲慢により呑まれている人々、そして政府を真に構成する少数派から構成される。 このような多数派は恐らく地球上の全ての国々の半分、或いは十中八九で発見される事が出来る。 彼らは何を証明するのか?彼らの現在の無知、奴隷状態、劣化、堕落、つまり、彼らを抑圧し、劣化させ、 堕落させている政府を支持すると言う単純な事実で最も良く描かれる様な無知、奴隷状態、劣化、堕落に 人々の大部分を零落させている政府そのものの専制と堕落以外の何も証明しない。 彼らは政府自身が正当であると言う事、或いはそれらはそれらの真の特徴を理解する人々により支持されるか、 或いは耐え忍ばれるべきであると言う事を何も証明しない。 それ故に単に政府が偶然多数派により支持されていると言う事それ自体はこのような政府が 支持されるべきか否かを知る為に証明される事が必要である様な事の何も証明する事はない。 ライサンダー・スプーナー、No Treason. No.1. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。うぇyうぇいぇwy >>1 憲法の上辺だけの支持者はその他の大部分の政府の上辺だけの支持者と同じ様に3つの分類で構成されている、 つまり、1.悪党、数が多く活動的な分類である、その人達は彼ら自身の強化や富の為に使用出来る手段を政府に見る。 2.愚か者、疑いなく大きな分類である、その人達のそれぞれは彼が彼自身の身体と彼自身の財産で行う事が出来る事を 決定する際に数百万人の中から一票を許されていると言う理由で、 そして彼はその他の人を強盗し、奴隷化し、殺害する際に同じ票を持つ事を許されていると言う理由で、 その他の人が彼自身を強盗し、奴隷化し、殺害する際に同じ票を持つ事が彼は"自由な人間"であり、 "主権者"である、これが"自由な政府"、"平等な権利の政府"、"地上で最善の政府"である等と想像する程愚かである。 3.政府の害悪に一定の審美眼を持つがどうやってそれらから抜け出せるかがわからない或いは 変化を作る仕事に真面目にそして熱心に彼ら自身を捧げるほど彼らの私的な利益を犠牲にする事を選ばない人達の分類である。 ライサンダー・スプーナー、No Treason. No. VI. The Constitution of No Authority. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 文明化された人々の間で実際の運用に持ち込まれているどの試みや見せ掛けも同意によりある政府を設立している、 そして強制による服従に残りの人々を保つ為に必要であるかもしれないぐらい多くだけの実際の同意を得ていると言う 主張ほど全ての種類の恥知らずで不合理で、嘘で、厚かましい、強盗、権利侵害、専制、そして極悪の多くを 具現化した事はない。このような政府は弱者に対する強者の共謀に過ぎない。 それが同意に基づいて居ないのは地上で最悪の政府が同意に基づいて居ないのと同じである。 どんな彼らの同意の代用品が多数派によって彼らの権利が滅ぼされ、実在から消し去られる少数派に提供されるのか? これが全てである:彼らの同意は推定される! つまり、これらの強奪者は彼らが奴隷化した人々は彼らの生命、自由、財産の全てをそれらに対する支配を 奪う人々の手の中に譲渡する事に同意すると恩着せがましく寛大に推定する! そしてこの彼らの同意の推定は実際の同意が与えられていない時に被害者の権利を救う為、 そして強奪者を正当化する為に十分である振りをする! 同様に追い剥ぎは旅行者が彼のお金を放棄する事に同意すると推定する事により彼自身を正当化する振りをするかもしれない。 同様に暗殺者は彼の犠牲者が彼の生命を放棄する事に同意すると推定する事により彼自身を正当化するかもしれない。 同様に動産奴隷の保持者は彼らが彼の権力と彼が彼らに実行する鞭と強盗に同意すると推定する事により彼自身を 正当化する事を試みるかもしれない。 その推定は単に少数派が奴隷である事に同意すると言う推定である。 ライサンダー・スプーナー、No Treason. No.2. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。ruewyye >>1 立法とは何か?それは彼らの力で服従させる事が出来るその他の全ての人々に対する絶対的で、 責任のない支配権の一人の人或いは人々の集団による仮定である。 それは彼らの意志や彼らのサービスにその他の全ての人々を服従させる権利の一人の人 或いは人々の集団による仮定である。 それはその他の全ての人々の全ての自然的権利、全ての自然的自由を徹底的に廃止し その他の全ての人々を彼らの奴隷にする為の、彼らが行える事、そして行えない事、 彼らが持つ事が出来る物、出来ない物、彼らがそうである事が出来る物、出来ない物をその他の全ての人々に恣意的に命令する為の権利の一人の人或いは人々の集団による仮定である。 要するにそれは地上から人間の権利の原理、正義の原理それ自体を追放し、そしてその場所に彼ら自身の個人的な意志、 愉悦、そして利益を定める権利の仮定である。 この全てはそれが負わせられる人々に対して義務である様な人間の立法等と言う物が存在する事が出来ると言う まさにその考えに関わっている。 ライサンダー・スプーナー、Natural Law; or The Science of Justice. ライサンダー・スプーナーはアメリカ合衆国の自然法哲学者、奴隷制廃止論者、及び起業家である。 wretkghkj >>1 2ちゃんねる動物園へようこそ。 ここではロリコン気持ち悪い!キチガイ!等の幼稚な感情表現や 何ら根拠や証拠を伴わない主観的な思い込みしか書き込む事は出来ません。 具体的な根拠や証拠を提示して児童ポルノ法や未成年者誘拐罪等を批判する事は埋め立て扱いで規制されて居ます。 では引き続きワオ!ガルル!と同じ知性の劣化した猿の無意味な喚き合いをお楽しみください! 女は馬鹿だから自分で判断する能力がないという前提でなら被害者というのは成り立つなw 障害者と一緒だよ、周りが悪い 自分からネットに投稿してる女の子とかいるよね あれ理解できないんだけど、見られると興奮したりするのか? 都民に大人気の都民ファースト都議会議員おときたさんは 来賓として呼ばれた運動会で撮った 女子小学生の名前を世界中にばら撒いていましたが。 > 危険性を情報発信するウェブサイトを開設した。 当事者のJC、JKはどうやってそのサイトにアクセスするの? ほんと、役人ってアホしかいないな。 「予算余ってるな、何かに使わなきゃ。」ってノリなんだろうな。 >>277 それ言うやつに聞きたいと思ってたが、その論法だと成人した後の方が容姿が変化しないのだからやばいんじゃねえの? 逆に、将来顔かたちや体つきが変わっちゃう子供の方が存在(同一性)が消えちゃうじゃんよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる