むしろ「共謀罪」といい続けたマスコミと報道に恐ろしさを感じた

まず「テロ等準備罪」という罪を新設してそれを罰するために
「組織犯罪処罰法」を改正するというのが今回の構図だった
好むと好まざるとにかかわらず「テロ等準備罪」という名称の罪を新設するのが客観的な事実だ
それなのに「共謀罪」という呼び方に拘り続けたマスコミと報道

客観的な事実より自分たちの正義感を優先するマスコミと報道の
不遜な独善を目の当たりにして背筋が凍る思いがした

かつてオウム真理教はポアと称して殺人を繰り返していたが
彼らはそれが人類の救済になるから正しい行いだと思っていた
典型的な確信犯だった
これが独善の終着駅だ

今回「共謀罪」と呼ぶことが社会正義だと考えて独善に走ったマスコミと報道
彼らは独善と確信犯が同じ線上にあるということをどれだけ意識していたのか
もし微塵も意識していなかったのならとても恐ろしいことだ

自らの正義感に強い確信を持つマスコミと報道ほど恐ろしく危険なものはない

客観報道はどこへ行ったのか