【供養】徳川連合軍が武田軍を破った“長篠の戦い”の戦死者を供養=『第28回設楽原決戦場まつり』が開かれました/愛知 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国時代に織田・徳川連合軍が武田軍を破った長篠の戦い(1575年)で死亡した兵士たちを弔おうと2日、新城市竹広の信玄塚などで「第28回設楽原決戦場まつり」が開かれた。両軍が市内の設楽原で全面衝突したのは旧暦の5月21日で、現在の暦に換算すると7月9日ごろという。
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引用ここまで。全文は下記よりお願いします
https://mainichi.jp/articles/20170704/ddl/k23/040/259000c >>1
なぜスレタイから連合軍の織田の方を消したんだ? 戦国時代でも農民は丘の上から
武士たちの闘いを見物してたんだよね
武士は一般人を攻撃したりしないし
戦地も荒野とか市外地を選んで
一般人を巻き込まないようにしてた
てかそれが当たり前だった
だのに真珠湾攻撃系の映画とか
病院を爆破して一般人を狙った
卑怯な日本軍が描写されてる
例え戦時であっても民間への攻撃は
国際法「ハーグ陸戦条約」で禁止されてたのに
関東周辺を円周上に爆撃して
民間人を逃がさないようにして空襲した
あの関東大空襲にはダンマリブサヨ(´・ω・`) 戦国最強の武田騎馬軍団を、織田鉄砲隊が三段撃ちで全滅させた戦いですね 武田の騎馬軍団はガセだけど、三段撃ちは本当。
ただ、織田信長が発明したものではない。ってだけ。 長篠の戦い、武田方大将勝頼だよな?
何故信玄塚なんだ? 古戦場で祭りって。。。
川中島や桶狭間、関ケ原あたりもそうだけれど
全く観光のネタがない自治体なんだなぁ
長久手はまぁ桜まつりの余興だろうしw >>4
それはどうしようもない
第二次世界大戦の戦いですら脚色されるんだからw
が、武田の主な武将が軒並み討ち取られて滅亡の決定打になったのは確かでしょ
鉄砲に片っ端からやられた、というような派手なもんではなく、
柵と塹壕を利用した連合軍の陣地を武田方が攻め疲れて、退却していく途中で
どんどんやられるというような戦いだったようだが >>13
三段撃ちは常設の傭兵隊に集中して訓練を受けさせて初めてできた西洋の戦術
このころの日本ではまだ無理だよ
装填役と撃ち方が別になるぐらいはやっていたようだが
火打石マスケットじゃないと相当危ないというのもある、火縄銃はかなり気を使う 徳川家康←単独では只の一度も戦勝履歴の無い"脱糞大将"
が、何故か神君扱いという。なお、出自も定かでは無い。 >>9>>22
https://www.youtube.com/watch?v=P5ze4-iFEL4
この勝利が有ったからこそ我々は日本語を話し、日本食を堪能し、世界に誇れる類まれなる文化を享受できている。
先人に感謝するとともに子々孫々これを引き継いでいかなければならない。 島津が二段撃ちやってた
大坂の陣のころどこかの家で三段撃ちをやっていた
という記録があると聞いたことがある >>6
何を以ってガセと判断するのか
鉄砲隊を何組にか分けて
一人が鉄砲を発射している間に他の組が弾を装填して
発射間隔を短縮させる戦法自体は
長篠以前から確立・実践されていたものだし >>27
あそこの会社商品ラインナップが下衆すぎて好かん
http://www.kikyouya.co.jp/products/index.html#allyear
信玄餅のアレンジ各種はまぁ置いといても、甲斐の月とか信玄軍配はちょっとやりすぎ >>31
小牧長久手では秀吉に勝ってるんだよなぁ・・・
あの戦いも陣地塹壕戦になって、家康は「ワイが武田みたいな真似すると思ってるんか・・・」って言ったらしいなw
賤ケ岳の戦いも山地での陣地と砦の取り合いだし、日本は戦国後半に完全に火力主義になってんだよね 第28回って
観光客目当てのでっち上げ祭りやん
金儲け利用だなんて
死者に失礼だぞ >>34
マスケットの横隊戦術は欧州の平原(北海道を思い浮かべるとよい)で並んだ大部隊がやる戦術なんだよ
とても長篠の狭い陣地でやれるものではない
現地には再現もしてあるよ
これは「騎馬隊の一斉突撃戦術」なんかもそうだね 一番、山懸三郎兵衛、推し太鼓を打ちて、懸かり来なり侯。鉄炮を以て、散貼に打ち立てられ、引き退く。
二番に、正用軒入れ替へ、かゝればのき、退けぼ引き付け、御下知の如く、鉄炮にて過半人数うたれ侯へば、其の時、引き入るゝなり。
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
人数を備へ侯。身がくしとして、鉄炮にて待ち請け、うたせられ侯へば、過半打ち倒され、無人になりて、引き退く。
四番に典厩一党、黒武者にて懸かり来たる。かくの如く、御敵入れ替へ侯へども、御人数一首も御出でなく、鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、
ねり倒され、人数をうたせ、引き入るゝなり。
五番に、馬場美濃守推し太鼓にて、かゝり来なり、人数を備へ、右同断に勢衆うたれ、引き退く。 >>31
7代前は放浪の乞食。
ただ後家殺しの特技で松平村の庄屋を乗っ取った。 鉄砲隊みたらヤバイの分かるだろ
なんでつっこんだん? >>44
後方が遮断されて前に退却するしかなくなったの
織田徳川方はそうなるのを見越して、塹壕と柵で固めていた中に立てこもって、
前の一面の田んぼの中をやってくる武田方を待ち受けたわけですな 長篠の戦いって実質徳川軍vs武田軍だろ
織田軍は応援軍出しただけだろ 伊庭「取ったぞー、信玄の首〜!」
1対1で刀で戦うと見せかけて、木の陰から拳銃で信玄を撃った伊庭義明3尉は卑怯者です(´・ω・`) >>50
問題は資金。
戦国の群雄の中で武田だけが貧乏大名。
なぜならば港をもってないから。
故に領国で重税を課し、民心の離反を招き滅亡に至る。 >>48
> 長篠の戦いって実質徳川軍vs武田軍だろ
> 織田軍は応援軍出しただけだろ
徳川軍8000人、織田軍団30000人な? >>13
何しろ、俺だってそのくらい思いつくぞ。
という程度の話で、画期的ってより火縄銃を考えれば当たり前だろう。
弓だって交代して絶え間無く撃つのにw >>44
梅雨の真っ最中というか雨が強く降る時節
雨の中火縄を濡らさないようにして長時間待機するのはきわめて困難
火縄が濡れてろく役に立たないだろうとふんだわけさ >>56
弓は引いた状態で渡せないけど、鉄砲は装填した状態で渡せる。
射撃手と装填手を分けた方が効率的 >>31
おまえ、とんだ無知だな
お前はは有名な合戦しか知らんのだろうな
ド阿呆ほど嫌う英雄家康 >>65
事の発端が徳川方の城を武田が攻撃したことから織田の援軍が駆け付け後詰決戦に発展した合戦だ 普通に考えて
1 城を落とせなかった
2 大軍迎撃に1万を移動させた
3 城包囲兵が蹴散らされ、退路が断たれる
4 大軍に背を向けると終わりだったので大軍の方に突っ込んで行った
つまり、3の時点で勝敗は決していたのです 姉川もやればいいのに。
あの川みたら、遠くから来た人はがっかりするだろうけど >>68
3が大きいわな
もう一つ、信長がやっただろう工作で決戦へと誘導されたのもな >>67
織田3万、徳川8千で主力が徳川で織田は応援出しただけはおかしいだろw >>71
おまえは頭数でどっちが応援かと決めるのか
馬鹿の言うことは無視する >>59
それ無理
当時の火縄銃は一丁ごとに完全ハンドメイドで口径やら銃のクセやら微妙にみんな違う。
人の銃わたされてもロクにあつかえないしあたらない。 >>72
どうみても主力は織田だろw
馬鹿はどっちだよw >>76
お前だな
馬鹿野郎が
何度でも言ってやる
援軍は織田の方だ >>77
それは違う
周辺大名をすべて攻撃して武田を孤立無援状態に陥らせた信玄の失策 織田軍が来た時点で退却してればまだまだ武田家は生き伸びた >>80
では、援軍だったと認めるんだな馬鹿すぎる
支離滅裂で無価値なおまえのレスIDをあぼーんする以下無視する >>79
合戦で使う足軽用のお貸し火縄銃なんてそんな細かいこと気にしないし、
そんなに当たらないものだったらそもそも火縄銃なんて採用されないw 徳川だけでは武田に太刀打ちできないから織田に助けを求めた
で織田vs武田が主力対決 梅雨時に雨男の信長が軍を率いてて、むしろ良く天気が持ったよな >>34
雑賀が二段撃ちやっていたからな
信長はそれを見て三段撃ちの着想を得た 長篠合戦は、
単純に退路を断たれてパニクった武田軍が各々勝手に突っ込んで各個撃破されただけのしょうもない塩試合 >>74
この場合、狙撃じゃないから精度はいらない。
突撃してくる軍勢に向かって撃つにはなんの問題もない。
大体、鉄砲を撃つのは足軽で彼ら個人の所有物ではい。 轟音で馬が暴れたって説もあるね。
多少訓練されてても百丁単位でドカンってやられると厳しかったのかもしれん。 兵数で負けてる上に柵作って待ち構えてた相手に正面から白兵戦仕掛けたら負けるにきまってる >>88
やっぱり高速機動が持ち味の秀吉公がナンバーワン・・・と思ったけど、
決戦自体は勝って当然で終わることが多いな(´・ω・`)
山崎の戦いも賤ケ岳もそうだった >>44
織田徳川軍にも、それなりの戦死者が出てたみたいだから、囮が馬防柵の前に出て敵をひきつけ、形勢不利になると
馬防柵の後ろに逃げ込み、追撃してきた敵を鉄砲で斉射するということを繰り返してたんでしょ。
鉄砲の斉射で有利になると、また囮部隊が前に出てきて前進するわけだ。
遠目から戦況を見ると、一進一退のように見えるから、新手を延々繰り出して片っ端から全滅していく羽目になったと。 >>83
>>89
当時の最新兵器で口径にあった弾の製法、火薬の調合、銃の取り扱いといいノウハウのかたまり。
大戦で効果を発揮させるにはそれこそ細心の注意が必要。
でそれをやったのがこの戦いなわけだ。
武田側は足軽の撃つ銃に精度なんかないだろうと軽んじた結果このありさま。 鉄砲は雨と夜に弱い
秀頼は猪武者だから晴れた朝に騎馬隊で突っ込んでボロ負けした阿呆
俺なら夜襲かけて叩き潰し鉄砲も頂いてそのまま尾張頂く ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています