函館は、昭和40年代に亀田市と合併した後の都市整備で失敗した感がある。

亀田市エリアは、JRの駅で言えば五稜郭とか桔梗とか、函館の郊外で、工場や住宅街として発展しているエリア。
しかし、函館市は、亀田市エリアのインフラ整備を後回しにして、そこからの税収を観光地の函館駅前〜西部地区整備に当てた印象。
こういう現状を見ているから、平成の大合併では、近隣のベッドタウンで比較的財政の良い上磯、大野(現北斗市)、七飯は
「ウチの町の稼ぎを函館市街地に吸い上げられるだけだろう」と、函館を相手にしなかった。

ついでに言えば、函館駅前〜西部地区の土地の大半って、函館が開拓された時期に土地を手に入れた一部地主が未だに所有している。
西部地区で家を持ちたいと思っても、土地は買えずに借り物になり、借地に自前の建物を作ることになる。
昔から西部地区に住んでいた人などは、家の建て替えのタイミングで「借地に家を建てても楽しくない」と、
北斗市や七飯町に引っ越すケースをよく聞く。

最近はコンパクトシティとか言う話もあるが、函館市街地の整備って、大地主を潤す結果にしかならないという構図があるんだよね。