ラジオ体操は、1928年に当時の逓信省簡易保険局が制定したのが始まりで、
同年11月1日午前7時に昭和天皇の「御大典記念事業」の一環として放送を開始した。
「この体操は、今上天皇のご即位の大礼を記念し奉るとともに、広く一般国民に体育を奨励し、
・・・昭和維新に於ける国家の進運に貢献したい・・」。正式名称は国民保健体操であった。

1937年文部省から、学校でもラジオ体操を重視するように指示されて、心身鍛錬のために早朝に学校・神社で実施されるようになった。
1939年には軍国主義的国民体力形成のために「大日本国民体操」というもののも作られる。
これは「ラジオ体操第三」と呼ばれ、植民地でも「挙国一致」体制の証しとして位置づけて強制された。
1943年には「国民運動夏季心身鍛錬体操の会」が各地に作られて「夏のラジオ体操」の強制性が強められた。
戦争末期には1日3回もラジオ体操をして「国民の士気向上」をはかろうとした、という。