「働かざるもの食うべからず」ってすぐにいうアホがいるけど、
これいろいろな理由で働けない人や、働かない人(そのかわりに受け取ってもいない)に向けに言った言葉ではない。
元々レーニンが言った言葉で、 本来の意味は、
働かざるもの(無職のことではなく、資本家のこと)が働かなくてもその資本から富を生み出して利益をむさぼっている状態を戒める言葉だったわけ。
ようするに既得権益を批判する言葉。
しかし現在では、労働意欲がわかなくなった人へのムチとして使われるようになってしまっている。
底辺労働者はその用法のほうがカタルシスを覚えてしまうのだろう。
労働は美徳という戦後の価値観がまだあるのと、
奴隷の鎖自慢をするのと一緒で、
労働している自分は底辺でも、働いている分、働いていない人よりは良い人なんだという屁理屈で。
無職だって消費税などで税金を払っているし、
健康を害してまで働く人は、無職よりも健康保険費で社会に負荷をかけている。

「自分が豊かになれないのを他者のせいや社会システムのせいにしていたら豊かになれないよ。
自分の努力と知恵を使って富を創造しなきゃ。不平不満をいうよりも努力。」

↑これ半分だけ正解であり、半分は間違ってる。
社会のせいにしないで個人の努力を怠らずにいようというのは正解だが、
他者や社会のシステムが原因となっている問題まで、個人の資質のせいにしており、いつまでもその是正が進まない点が問題になるし、
努力と知恵を皆が振り絞っていくと、少なくなってきた成長余地というパイを奪い合うわけなので、その競争はどんどん過酷に成る。
努力の要求度はあがるのに、社会が変わらないままではそれへの対価は減っていき、前よりも苦しくなっている社会になる。そんな社会にしてはいけない。 抑圧されている人のほうが努力賛美者になりやすい。我慢することを美徳だと思っているから。
自分の弱さが原因で我慢することは美徳ではなくむしろ悪徳。自分の強さが原因で我慢することが美徳。