「〜港町スラムの顔〜」


「日本残酷物語 第五部 近代の暗黒」

第一章 根こそぎにされた人々  都会の島々 港町スラムの顔 


神戸のスラム新川部落、および番町部落の話。

新川部落は賀川豊彦の『死線を越えて』に描かれている。

明治期の新川は乞食もいたし、泥棒を渡世とする者もいたが、主たる仕事といえば、屠畜、沖仲仕、製茶、マッチ工場の職工、物売りなどであった。
都会の落伍者の吹き溜まりというより、無一文で、貧窮の農村をあとに、なんのあてもなく神戸へ出てきたものが多く、
はじめから失業者でありはじめから落伍者の群れであった。


新川を見渡して注意を引くのは、四階建ての新川アパート七棟である。
新川アパートは昭和八年に神戸市が国の補助を得て立てたもので、賀川豊彦などの奔走が大いに力となっている。


今、家賃は最低百円、最高三百八十円である。それでいて数年前における家賃の滞納は百二十万円にのぼる。
・・・・・中略・・・・・
職業の大半は職安に職を求める日雇いである。男四百五十円
女三百八十円、指命となるれば月二十五日近く働けるから、ここでの生活ならば十分に支えられる。
ましてや労働手帳をもらうために「離婚して共稼ぎ」をやっておればテレビの一台くらい買えようというものであろうか。
しかしそうした生活を支えるための労働は、以前新川の人たちがあじわった苦しみにくらべて、そうなまやさしくなったとは思えない。


この人たちを支えていた、港湾の荷役の仕事は、もっとも過酷で危険な労働のひとつである。


次に全国第一といわれる未解放部落番町部落の歴史・様子などが語られている。番町部落では貧しさの他に差別も大きな問題である。