本連載の目玉はこれまで明らかにされてこなかった竹中平蔵の幼少時代である。
ルポライターの田中幾太郎氏の筆によるものだが、一部重要な部分を引用してみる。

(引用開始)

「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、父を見てると、
世の中が不公平に見えるわけですね。父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。
もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。どうやったらもっと住みやすい、
よい世の中になるんだろう」(中略)

同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が別の側面を見せたのは、六七年十一月、和歌山市で
「第四回全国高校生部落問題研究会」が開かれた時のことだった。十七都府県二百三十二校から二千三百名
が結集した会場に高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、発言していたという。(中略)
周囲が驚いたのは、その集会で、和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという報告があったときのこと。
竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。

『リベラルタイム』(2005年10月号)
「貧困と差別」に憤った少年期−2000名中の3,4番
田中幾太郎(22−23ページ)
(引用終わり)