■クジラだけが捕獲制限

討論イベントの会場となった京大には約90人が集まった。捕鯨に関心のある学生や留学生のほか、
反捕鯨に異を唱える映画「ビハインド・ザ・コーヴ」を手がけた八木景子監督が参加。インターネットを通じ、米国の反捕鯨活動家も討論に加わった。

「なぜクジラだけが特別なのか」。
討論は、八木監督の疑問から始まった。

世界中を見れば、ウシやブタといった動物が食べられており、当然、魚も捕獲されている。
イヌを食べる習慣のある国もある。反捕鯨団体はクジラだけではなく、ウシなども食べない「ベジタリアン(菜食主義者)になるべきだ」と訴えている。

だが、絶滅危惧種ではない種もあるにもかかわらず、クジラだけが全体に網をかけられて捕獲が制限されているのが実情だ。
ウシは食べることに制限は一切加えられていないのだ。

八木監督は「クジラだけが制限されているのは大きな差で疑問だった。
このことを関係者に取材を進める中で、矛盾だらけと分かり、その憤りがこの映画になった」と切り出した。

だが、八木監督の素朴な疑問に対する反対派の意見は分かりにくい。
「ウシやブタなどすべての生き物を殺すのはよくない」。

反捕鯨活動家はこう訴えたが、なぜクジラだけを標的としているのかという言及はなかった。
ビハインド・ザ・コーヴは、こうした流れに、冷静な疑問の目を向けるべきだとして作られ、今回の討論会場では、まず予備知識として2作品が上映された。

■表面事象だけをとらえて「悪」と批判?

討論は映画の本質にも及んだ。

八木監督は、イルカなど鯨類の殺処分だけをことさらに強調するザ・コーヴの偏向性を指摘。
「ドキュメンタリーとするならば、最初から先入観を持たせるようにすべきではない」と訴えた。

これに対し、反捕鯨活動家はビハインド・ザ・コーヴを見ていないと主張。
太地町で鯨類の殺処分が公開されず、閉鎖的に行われていることに疑問を呈し、「やましい部分があるからではないのか」と反論した。

ただ、太地町では反捕鯨団体の動きが活発化している。
さらには国際的批判を意識し、ザ・コーヴ以前は何ら隠すことのなかった解体を、人目に触れないように配慮するなどした経緯がある。
反捕鯨活動家がこうした変遷に触れず、隠しているとする現在の表面的な事象だけをとらえ、「悪」だと批判の矛先を向けたことに、八木監督はさらに応戦した。

「どのような動物であれ、殺処分の場面を見て平気な人はいない。
ザ・コーヴのシーンは人の感情をあおっていて卑怯(ひきょう)だ。
隠すことを批判するのであれば、他の動物の殺処分シーンも同様に見せるべきだ」と主張したが、活動家の見解とは平行線をたどった。

■アラスカの捕鯨は認める矛盾

伝統文化のとらえ方をめぐっても双方の主張は決して交わらなかった。

反捕鯨活動家は「近代的な船などを使って行われているもので伝統的な漁という区分には入らない。
利益のために行われているのに、太地(のイルカ漁)だけがなぜ伝統になるのか」と語気を強めた。

日本の捕鯨を非難する米国のアラスカでは、先住民の捕鯨が認められている。
この捕獲対象は、反捕鯨団体が保護を強く主張する絶滅危惧種のホッキョククジラ。

一方、日本の調査捕鯨の対象は頭数が増えているとされているミンククジラだ。
八木監督は「捕鯨が悪だとするのに(アラスカは伝統継承であるとして)認めている。矛盾している」とする。

http://www.sankei.com/west/news/170720/wst1707200083-n1.html  

★1:2017/07/23(日) 21:21:11.43
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1500826065/

※続きます