昭和16(1941)年12月8日、日米が開戦となりました。
日本は、真珠湾攻撃の5時間後、米領グアムへの攻撃を開始しました。
そしてわずか1日で米軍の軍事施設を陥落させています。
そして12月10日には米領グアムの占領を宣言しました。日本軍は、めちゃくちゃ強かったのです。

日本によるグアム統治は、その後、約3年7か月続きました。
正確には軍事占領です。日本領としたわけではありません。
けれど日本は、グアムに日本語で「偉大なる神の居る島」を意味する「大宮島」という名前をつけ、グアムの学校、医療、道路などの社会的インフラを整備しました。

そしてチャモロ人には、住居・信仰・言論の自由等を保証しました。どこまでも対等な人として接したのです。

現地での教育は日本語で行いました。
これには理由があります。
本当はチャモロ語で教育したいところですが、社会用語や科学技術用語が、当時のチャモロ語にはないのです。
ですから現地の社会制度を確立し、技術振興を図るためには、日本語で教育するしかなかったのです。

日本はグアムで、国民皆教育制度を実施しました。
日本語での教育なのですが、島の人々はとても勤勉で、また日本語での教育を受けることをたいへんに喜んでくださいました。

米国統治時代には、名前が英語で書ければ十分という米国に対し、日本は学校を作り、語学、算数、理科、社会をきちんと教育したのです。
いまでは学校教育を面倒に感じる人も多いかと思いますが、それは戦後教育にある一定の歪みが生まれたためのことです。本来、学んだり知識を得ることはとても楽しい喜びのあることです。

昔の日本では、小学校に子供たちが通うのに、毎朝5キロも10キロも歩いて登校するということがあたりまえのように行われていました。
子供たちがどうしてそこまでして学校に通ったかといえば、それだけ学校が楽しかったからです。
楽しいはずです。本当のことを教育してくれるのです。
毎日自分が成長していくことが肌で感じられる。だからこそみんな毎朝5キロも10キロも歩いて登校したのです。いまの学校とは雲泥の差があります。

(ちなみに保守系の教員が担任する教室では、生徒たちがいわゆるツッパリ兄ちゃんに至るまで、みんな学校も勉強も大好きになるそうです。さもありなんと思います)。

当時を知るチェモロ人たちも、当時の日本語の学校の思い出が、まさに人生の宝だと、いまでもおっしゃられます。それが本来の教育というものの姿なのだろうと思います。

グアムには、いまでも、当時世話になった日本人の名前をもらい、自分の家族名にしている人たちがたくさんいます。
日本統治時代に教育を受けたことが、いまでも彼らの誇りだからです。

さて、グアムが日本の統治下になったということは、米国にとってグアムは「敵に占領された米国領土」となります。米軍は、日本本土攻略のための基点として、そのグアムの奪還と占領を目論みました。

そうして行われたのが、冒頭のグアムの戦いです。

いま、グアムはアメリカ領土だと、多くの日本人は思っていますが、実はグアムは、米国の「未編入領土(Unincorporated Territory)」です。
これがどういうものかというと、グアムはいちおうの独立が保証されているようでいながら、グアム議会の決議より、米国の意向が優先されます。

またグアムの住民たちは、合衆国政府が定めた納税義務を負っているのですけれど、グァムの人々には、大統領選挙や米国議会の選挙に参加する資格がありません。

要するに「未編入領土」というのは、占領統治を言い換えただけのものだということです。
つまり、グアムはいまだに米国の軍政が敷かれているわけです。
そしてグアム全島の3分の2が、米軍基地になっています。

日本統治時代を知るグアムのお年寄りたちは、日本統治時代を懐かしがってくださいます。
あの頃が一番幸せだったとおっしゃる方もおいでになります。

けれど、グアムの人たちの幸せな時代と、美しかった珊瑚やきれいな山並は、日本の兵隊さんたちのいのちとともに失われました。