自慢しているとか言われて、カネももらえず自己満足しても損だし、アメリカの99%に嫌われると困るから説明しとくけど。
江戸時代の医者は儒教でニンジン売りつけるのが仕事。
「これは南蛮渡来の万病に効くニンジンじゃ」「おだいは1両するのだ」「カネがないなら娘を吉原に売り飛ばせ」
日本のイ○クやらダイ○クの祖先www

あげくに、DNAもビタミンも分からない時代に、
731部隊で人体実験と称して人体解剖してカネせしめてた奴らwww
日本のエリート外科医。

デオキシリボ核酸
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%9C%E6%A0%B8%E9%85%B8
1953年: J.ワトソン、F.クリックがロザリンド・フランクリンやモーリス・ウィルキンスの研究データの提供によって DNA の二重らせん構造を明らかにした。

脚気
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%9A%E6%B0%97
脚気(かっけ、英: beriberi)は、ビタミン欠乏症の一つであり
明治になると陸軍軍人の職業病として国家的問題になった。
明治6年に公布された徴兵令の目玉は、1日6合(江戸時代の「一人扶持」は1日5合だった)の白米を食べさせるという特典であったため、
軍人に罹患者が多くなった。建軍期には海軍がイギリス、陸軍はフランス、後にドイツを範としたため、海軍は栄養由来説、陸軍はドイツの細菌説を取っていた。
後に、陸軍軍医総監石黒忠悳と次の森鴎外が海軍の米食由来説を批判したため、陸軍は脚気の被害を多く受けたといわれ

壊血病
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%8A%E8%A1%80%E7%97%85
16世紀から18世紀の大航海時代には、この病気の原因が分からなかったため、海賊以上に恐れられた。ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見の航海においては、180人の船員のうち100人がこの病気にかかって死亡している。
ビタミンCと壊血病の関係が明らかになったのは、1932年のことである