【日航機墜落32年】「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」 小6次男しのぶ両親©2ch.net
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「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」 日航機墜落32年 小6次男しのぶ両親
東京新聞:2017年8月13日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/CK2017081302000113.html
赤いパーカが掛けられた次男裕史君の墓標を見つめる滝下政則さんと史代さん夫妻=12日午後、群馬県上野村で
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/images/PK2017081302100040_size0.jpg
野球に熱中していた小学6年の次男が日航機墜落事故で亡くなってから32年。
東京都大田区の滝下政則さん(77)と史代さん(74)夫妻は、体の衰えを感じながら現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)に登り続けている。
「夏になると(次男が)山に戻って待っているから」。
12日も墓標への道を一歩ずつ進んだ。
三人きょうだいの末っ子だった次男裕史(ひろし)君=当時(11)=は負けず嫌いで目立ちたがり屋。
プロ野球巨人のファンで毎晩、政則さんと一緒にバットを振った。
身長は一四〇センチに満たなかったが、学校のチームで正捕手の座をつかみ取った。
一九八五年八月十二日。あの日も試合があり、勝って帰宅すると兵庫の親戚宅に一人で行きたいと訴えた。
「度胸があるところを見せたかったのでしょう」と政則さん。急いで航空券を予約した。
羽田空港のロビーでコーラ飲料をせがまれた。スポーツに炭酸は厳禁と思って飲ませていなかったが、この日ばかりは許した。
「おいしいね」と笑顔の裕史君。小さな体にリュックを背負い「行ってきます」と声を弾ませてゲートに向かった。
事故機に乗せた後悔は消えない。でも政則さんは「あの時に飲ませてあげてよかった」と思う。
事故後、遺体が見つかった尾根の墓標近くに柱を立て、裕史君が好きな赤いパーカをかけてきた。
今は大人用に替え、手向けるジュースも成人したはずの年に缶ビールとつまみにした。政則さんの禁煙に合わせ、たばこは供えるのをやめた。
日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった滝下裕史君
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201708/images/PK2017081302100041_size0.jpg
だが、脳裏に焼き付いているのは十一歳のかわいい次男のまま。
生きていればどんな表情をし、どんな家庭を築いているだろうか−。史代さんは「大人になった姿を見てみたいです」とつぶやく。
御巣鷹の尾根には例年、春と八月十二日、秋の計三回登ってきた。
約五年前に政則さんが脳梗塞を患ってからは年二回に。今年はこの日だけだ。
夫妻はつえを持ち、手すりを頼って少しずつ尾根を歩いた。
墓標の前にやって来ると、柱の赤いパーカを新しいものに替え、手を合わせてじっと目を閉じる。
「心の中で『来たよ』と話しました」と政則さん。こう語り掛けると、帰る時は息子が一緒にいる気がする。
だから、回数が減っても慰霊登山をやめるつもりはない。体が続く限り、そばに行きたい。 「台風だ。どれどれ田んぼが心肺だな」
「川が増水してるんだって。見に行こう」
「これが最期のコーラよ、味わって」 当時はさ、バブルのちょい前ぐらいで、恐ろしい勢いの上向き景気だった。
当時はそんなにお金が皆あった訳じゃないんだけど、ベアはガンガン上がるし
ボーナスも毎回ドカドカ。2ヶ月3ヶ月分当たり前と言う状態。
上級国民はウハウハで、底辺もどんどん経済状態が改善されていったので、
カネに関する不満がえらく少ない時代だった。 123便の事故原因が機体整備にあったとすると、事故を教訓として機体の設計とか整備面は改善されたの? 三角コーヒーが飲みたくなって来たけど・・もう販売してない・・ >>580
どうでもいいならここに来なきゃいい
昔より報道されてないんだし
以前は毎年やっていたし、事故当時は毎日だった
日航機羽田沖墜落事故、ホテルニュージャパン火災、大韓航空機追撃事故、大韓航空機爆破事件…今思うと大きな事故が多かったな… >>615
確かに貧乏な家庭は存在したけど
ファミコンやLSIゲームをお金持ちの遊具なんて表現する奴はまずいなかったよなあw
だいたい貧乏だとしても
小学生が新聞配達のアルバイトが許容されてた時代な訳で
貧乏でファミコン買えなかったなんて表現や主張をするくらいなら
おまえがバイトして買えばよかったんじゃまいか?と繰り返し質問したくなるwww >>549
すんなり歌えた上に、フレーズが頭ずっと回ってきたw >>634
山りより木々がないだけ二次被害マシな気もしたけど
助かった人が木に引っかかって助かったりしてるから山で良かったのかな >>649
直後に助かってしばらく生存していた人たちを
病院にもう少し早く搬送できたとしても
やっぱりほとんどの人たちは生きてる時間を
少し延ばせただけなんじゃないかという気もしなくもないんだよなあ しかし高度8000mで隔壁が破れたらどうなるかw エベレスト山頂に放り出されるようなものですよw
あと竜巻がセットなw 去年のこのてのスレには、「夜中だろうと救助にいくべきだった」と熱弁していたガキがいたね。
「乗客のスマホのGPS情報を頼りに位置を確認すればよかった」
と書かれていたのを見て、平成と昭和は昭和と江戸時代ほどの差があることを実感した。 これだけ入っておく。
三角コーヒーは紙じゃない透けて見える >>640
機内から撮影された飛行物体
米軍の救助直前の帰還命令
事故から救助まで時間がかかりすぎてること
全て公開されてないボイスレコーダー
ほかにもいろいろ もし車の交通事故で亡くなってたらこんなに... まあいいか >>655
牛乳で、かつ、樹脂製半透明でよければ北海道で売ってる。 >>4
若いんだろうね
こんな書込み出来るのは…
自分が何か生死に関わる様な経験したり大切な身内がそうであったりしたらとても今と同じことをレスできないと思うよ
仕方ないさ、まだ想像も出来ないまた経験もしてないんだもんな >>645
コーラーはともかく牛乳は配達制なので鮮度が良かった
そして冷蔵機械の制御が単純なのでビンが極端に冷やされる上に
ビンが肉厚で保冷に適したんだよ >>366
お前が通報してれば大勢が助かったはず
あの時どこに落ちたか分からず翌朝まで救助できなかったんだから かわいそうに…。
お父さんとお母さんは毎日あの時のことを思い出しているんでしょう。
中曽根さん、日本がひっくり返るような事情があるんでしょうが、
ご存命のうちに真相を明かしてください。 金持ちの家の子が
「つくば万博行ってきたぜー写真もあるよーこれ」
うぉーすげえ、とか言ってたもんな。ウチは貧乏だったから車もなければ、静岡なのに新幹線すら乗ったことなかった
思い出した >>663
操縦室は扉閉めてあるのでしばらく保つ。
パイロットは気圧警報見てなるべく急降下する。 当時のマスゴミ葉好き勝手やっていました。病院のなかをずかずか入ってきてマイクをむけてました >>664
GPSがある先日セスナが日本アルプスに墜落した時もすぐに救助に行けなかったろ
山に墜落するってそういうことでね? >>629
報道が無いから詳しくはわからないですが残党はロシア反日団体と組んだりみたいです >>666
寧ろあの事故で、機内で撮影されたフィルムが
残ってたことのほうが不思議だとか思わん? 宅間守もJALの手配した夜行バスで駆けつけたらしい 航跡わかってた米軍に放置プレイされたんだったよな
全部焼けこげないと困ったことになるからな 夜中に生存者を無視してオレンジの残骸部品を回収
鬼畜だな >>653
油圧が全部ぬけないようにライン全部がひとつだけで繋がらないようにした。
整備チェックを厳しくした。
アメリカではコントロール効かなくなった航空機を想定した画面での着陸訓練を実施。
実際すぐあとに油圧ぬけた事故が発生したが練習していたために生存者はいた。 >>635
まあ突っ込みどころが多いのはいえるけど、でもそういうのに限って実際はたいしたことなかったりするんだよね >>653
簡単に言えば・・
尻もちつきそうな時は防止棒が出る機種もある。
エンジンストップしても電気が来るようになってグライダー飛行が出来る機種もある。
飛行中に異常があれば地上の整備士に自動でPCに送信される。
など・・ >>15
あの時落ちて亡くなった人達はあそこで亡くならなければいけない運命だったんかね
神様の気分ひとつで生かされたり死なされたり運命ってなんなんだよって言いたくなるわ 地上から目視で方位をみて三角点とか水準点と組み合わせれば2点計測で
地形図に線を引けばわかるような気もするがなあ。オリエンテーリングでも習うしw 子供一人で乗った飛行機で事故は辛いな
本人も両親も >>631
潰れないように、事故後、一晩おいてから救助に行ってるんだよ。
もう、文庫でドキュメンタリになってるし。 >>602
123便の事故当時を再現したフライトシミュレーションすると、大抵のパイロットは30分保たせられないと聞いたことがある。 >>669
UVをカットできれば意外とイケるんじゃね? >兵庫の親戚宅に一人で行きたいと訴えた。
外出するとろくなことにならんな。
会話したいだけならスカイプがあるからそれで済ませばいい
旅行行くヤツは死ぬのを覚悟しとくべき >>688
雲仙普賢岳でカメラマンが火砕流に飲み込まれた事故でもフィルムの復元に成功しているくらいだし >>695
アポロ12号のクルーが月面探査して地球に帰還後に陰謀厨をおちょくった映画造ってる。 >>666
救助に時間がかかったのは場所が場所だから >>590
俺もうOSSANだからばあちゃはもういないんだ
>678
初新幹線は小学生だったけど飛行機に乗ったのが社会人になってからだった
何の因果か初搭乗が軍用? C1って飛行機だった(´・ω・`;)乗ってて超怖かった >>30
飛行機に携わる人々に伝わるだけでも違うだろ。君が仮に乗客のまま一生を終えるにしても、自分の子供等にこんな事故があった事を伝えて、その子供が将来飛行機に携わる仕事をするかもしれないだろう。 墜落の夏で 飛行機に載らずに済んだ人が。その同じ日の夜風呂場で転倒してなくなったというのは
妙な気持ちになった。 >>4
見なければ済む話なのになんでも自分の必要なもの以外は排除しないと気が済まないのか? >>664
米軍はやってたけどな
救助はしなかったけど >>707
過去数例しかないうちの1例がたまたま、コレだったってことか
寧ろそこに陰謀を感じなくもないなw
という具合に、陰謀論なんぞ穿ってみれば
どーにでもできるわけでw 死ぬ前に飲むとしたらやはり、おれもコカコーラだな。 >>664
は?位置わかっていて、故意に画策して救助延ばしておいてよくそんなこといえるな。
お前チョンだろ、日本憎しの 登山道が整備された里山ハイキングコースに墜落したと思ってる人大杉 >>709
場所がわからなかった、というのは嘘だよな? >>699
人の一生って必然と偶然、どっちの方が多く作用するのかね >>662
せめて、死に目にあえたかもしれないじゃん。
それすら握りつぶされたとしたら、やりきれないどころじゃないだろ。 >>703
私は45分持ちましたけど・・まぁ、車輪下ろして機体を安定させたのは正解。 まあ、子供の頃感じた違和感は夜中に燃えてる山肌をヘリが空撮してるのに
場所がわからないってことな。ヘリって実は適当に飛んでるのねという呆れ感なw 原爆の犠牲者数に比べたらたいしたことないだろ。
原爆はもっとたくさんの人が大変な思いをして苦しんだ。
それに比べれば、ただの飛行機事故だよ。 >>705
その整備士は飛行中どうやって吹き飛んで無くなった垂直尾翼や
吹き飛んで無くなった後部隔壁を治すんだよ。
だいたい当時は航空機関士が乗っていてエンジンを専門に観ていた。 これで別に飛行させるななんていわれなかった。
一方、オーストラリアで落ちたオスプレイは飛行させるな
なんなんだ そういえばこれに乗らなくて助かった人が数日後、事故かなにかで
死んだって報道もあった気がする。 「ママ、こんな事になるとは残念だ。
さようなら。子供達のことをよろしくたのむ。
今六時半だ。飛行機はまわりながら、急速に降下中だ。
本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している。」
この方の遺書が本当に印象に残っていて
後○分で死ぬかというときに自分はこんな態度が取れるかと
未だに自信がないです >>579
別に山を敢えて選択したわけじゃない勝手に機体がそっち行っちゃっただけ、とにかく落ちないようにすることしか出来なかった 一人でどんなに怖かったろう
他人の子でもかわいそうでならんわ 別に、飛行機事故なんか無くても
11歳のガキの一人旅なんか
何が起きても不思議はない
死んでしまえば
度胸を試すもクソもないし
このアホな両親にとっては
その程度の存在だったんだろ 事故の30分後には米軍のヘリが現場を確認してるんだが日本政府が援助の申し出を断ったなんて話も出てるな。しばらくは結構な数の人間が生きてたらしいな。 >>731
いや、結局失速して終了。
フラップ出したり、機体軽くするため燃料放出したり・・ >>741
女性の遺書は「こわい、こわい」と感情的だけど、ビジネスマンの遺書は冷静だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています