中国やインドや東南アジアの国々が経済成長の波に乗るずっと前、これらの国では大企業は勿論、
民間の企業も少なかったので、一家の大黒柱の父親や長男が働いて、残りの家族を養っていた。
家族が多い所では、成人になっても一日中ブラブラしている子供が一人くらい家にいるのが普通で、
隣近所もそれを奇異の目で見ることはなかった。とにかく働く場所が絶対的に少なかったわけだから。
当然、働いている者も日々あくせくすることはなく、他人との競争意識もあまり生まれない。

仕事のない連中は、仲間と談笑したり外で遊んだり毎日好きなことをして時間をつぶしていたが、将来の
仕事やカネになることのために心の準備だけはしていた。やる気と目端の利く連中の中には、積極的に
動く者もいた。

例えば、インドや中国では、常習の乞食ではなくても、時々街で物乞いをしたり、自ら露天を出したり、
観光客相手のガイドや商店の紹介をして小遣い稼ぎをするものもいた。そうした自由を認める空気が
皆の意識や社会全体にもあった。その自由度には凄まじいものがあり、恥も外聞も気にしない。
 
中国のある大都市で目にして驚いた光景は、公園の入り口に、「ベッドに横たわった老人」を運び、
家族数人がその傍らに立ち、一心不乱になって頭を下げ、道行く人たちに金銭の支援を求めている
光景だった。驚くとともに笑いをこらえている観光客もいたが、国が助けてくれないのだから、他人に
笑われても、生きてゆくためには、できることは何でもするというのが当事者の思いなのだ。
物乞いと言えども経済活動の一種、努力と工夫はいる。競争は必要だが、人々の意識を含め
自由度は必要だし、規制は少ない方がいい。