◆小田原銭湯一家5人殺害事件
唯一の生存者・長女は現在83歳(2015年時)
「病院には2ヵ月入院しました。肉切包丁で切られたのは頭に2か所、乳の下を2か所
それと額を2か所、足はくるぶし近くを2か所切られて合計8か所でした。
乳の下がもう2センチずれていたら心臓に包丁が刺さって命がなかったと後で医者から
聞かされましたが、助かったのは19歳の体力があったからでしょうね」
そして、23歳の時に縁があって現在の夫と結婚して2人の男の子を授かった。
「銭湯の方は1ヵ月して再開しましたが、親戚のものに任せたんです。私が復帰したのは
3年後の昭和27年、家族の命日の日でした。このころには杉山は恩赦で減刑されていたんですね。
悔しかったですよ。死刑にならなかったことが・・・」
「杉山優の名前はしっかり覚えてますよ。忘れるもんですか。私の家族5人を殺した男ですよ」
「あの男の消息は気になっていました。事件が起きたとき、杉山は私と同じ19歳の少年でしたが、
小田原の裁判所では死刑判決が出たんです。それが途中で講和恩赦とかで無期刑になって
刑務所から出たんでしょ。その後、また殺人か何かの犯罪を犯して刑務所に戻ったという話を
知り合いのものから聞かされたんです。」
「一度、杉山が刑務所にいるとき保護司さんという方を通じて『出所したら墓参りをさせてもらいたい』と
連絡してきたことがありました。私は即座に断ったんです。なんで、仇に墓参りをしてもらう必要が
あるのかってね」

(「戦後日本の大量猟奇殺人」斎藤充功 より)