日銀が出口戦略を模索し始めたというか模索せざるを
得なくなったのは2014年10月31日金曜日の金融緩和の
失敗からであり、その明確な自覚は2015年3月のインフレターゲット
2年間の期限であろう。2015年2月の時点でコア指数2.0つまり
日銀が当初から増税分と評価していた2.0を引いてゼロである。

日銀は2015年2月の時点でインフレターゲットの失敗と
インフレ政策の放棄を覚悟し、そしてデフレ容認へと大きく舵を切る
政策に転換せざるを得ない事態に追い込まれた。