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(7)結論(60ページのレポートの最終部分)
 前記以外にも各種の病気が細菌戦研究の初期の段階で研究された。その中には、結核、破傷風、ガス壊疽、ツラレミア(野兎病)、インフルエンザ、それに波状熱(ブルセラ症)があった。
 結核菌の静脈注射で全身的な粟状結核の急激な感染は起こせるが、呼吸器によって人間に感染させることは容易ではないことが判明した。
 一般的に、日本が研究した細菌戦用病原体のうち二種類だけが有効で、炭疽菌(主に家畜に対して有効と考えられた)とペストノミだけだったと結論できる。
 日本はこれらの病原体で満足していたわけではない。それは彼らはそれらに対する免疫を作るのはかなり容易であろう、と考えていたからである。
 細菌戦の野外実験では通常の戦術は、鉄道線路沿いの互いに1マイルほど離れた2地点にいる中国軍に対して、1大隊あるいはそれ以上をさし向けるというものだった。
 中国軍が後退すると、日本軍は鉄道線路1マイルを遮断し、予定の細菌戦用病原体を噴霧か他のなんらかの方法で散布し、ついで「戦略的後退」を行った。
 中国軍はその地域に24時間以内に急拠戻ってきて、数日後には中国兵のあいだでペストあるいはコレラが流行するというものだった。
 いずれの場合も、日本はその結果の報告を受けるため汚染地域の背後にスパイを残そうとした。
 しかし彼らも認めているのだが、これはしばしば不成功に終わり、結果は不明であった。
 しかし12回分については報告が得られており、このうち成果があがったのは3回だけだったといわれている。
 高度約200メートルの飛行機からペストノミを散布した2回の試験において特定の地域に流行が起きた。
 このうちひとつでは、患者96人がでて、そのうち90パーセントが死亡した。
 鉄道沿いに手でペストノミを散布した他の3回の試験では、どの場合も小さな流行は起こったが、患者数は不明である。
 コレラを2回そして腸チフスを2回、鉄道の近くの地面および水源に手動噴霧器でまいたところ、いずれのばあいも効果があるという結果を得た。

 筆者は、日本人が思い出せるだけ詳細に真実の話を我々に語ったと信じている。
 しかしながら、おそらくさまざまな報告を分析したのちに我々は回答可能な質問をすることができるだろう。
 我々が大規模生産という点でも、気象学の研究という点でも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていることは明白である。
(石井将軍は大規模生産のために固形培養基の使用を主張した。というのは、石井は毒性は液状培養基では保存されないと信じていたからである。)
 良好な気象学のデータの欠如と軍需生産の分野の貧弱な進言によって、陸軍のなかや、陸軍と科学者の間や、科学者自身のなかのさまざまな職種の間に意見の相違が絶えず存在した。
 平房の部隊は実際空軍や□(判読不能)からなんの援助も受けていない。
 しかしながら人体実験のデータは、我々がそれを我々や連合国の動物実験のデータと関連させるならば、非常に価値があることがわかるだろう。
 病理学的研究と人間の病気についての他の情報は、炭疽、ペスト、馬鼻疽の真に効果的なワクチンを開発させるという試みにたいへん役立つかもしれない。
 今や我々は日本の細菌研究について完全に知ることができるので、化学戦、殺人光線、海軍の研究分野におけるかれらの実際の成果についても有益な情報が得られる可能性は大きいようである。

                     ノバート・H・フェル
                     PP─E(パイロット・プラント・エンジニアリング)部門主任