とっくの昔に反証を出してあることにしがみつくミンスくん。
「江戸時代後半の東日本経済落下は、鶴岡藩や米沢藩では軽微だった。
これは稲作に囚われない現金収入を得ていたからであり、
松平定信の稲作偏重を良しとした、幕府領や仙台藩などとは好対照となっている」