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日本における右翼と左翼は現代の時代性に追い付いけず実力集団である自衛隊等の組織構成員から完全に
無視される存在だとの話を聞いたので、その要因をまとめておく

日本における右翼と左翼に共通する問題点は日本が封建体制・徳治主義を維持したまま、
いつまでも一等国で有り続けられるとの特異な歴史観に帰結する

一つ目が精神主義、二つ目が序列主義、三つ目が徳治主義だ

特に朱子学から派生した徳治主義は、人治裁量主義であり社会的公正や理念をもたずに
上下秩序規範を守る(人倫)ことが重要となる。この規範によるならば社会的公正や理念を持つものは
精神主義(同じ考え)を持たないため、これを徹底的に貶め弾圧を行う、それを集団で行うことも許容する
しかしその根拠は実力ではなく空気的・政治的な上下規範秩序にすぎない

朱子学における礼とは身分制度(徳目)に対する絶対遵守だが、それに相対する思想が陽明学であり、
陽明学は時宜に合せ機動的に考を行うため、形式主義(礼)を排除する。これは西洋的な価値観に近いが
陽明学は明治維新から帝国議会までの時期のもので、その後は国家主義(ビスマルク)・朱子学的(右翼)、社会主義的(左翼)
な中央集権へとシフトする

序列主義は、成功しているものが偉く、成功していないものは卑しいという観点から事物を見る。
この観点からすると身分の尊卑のみが社会における徳目となる。序列主義は同列の階層に対しては
敵を貶め自らの徳目を獲れば勝ちとなる、言葉で貶めることで勝敗をつけるというレッテル貼りが
好きな極左的病理に近いが、この徳目のいきつくところは反実力・反競争主義である
つまり成功という結果が、身分の尊卑を高め、その他全ての瑕疵を覆い隠すならば、成功のためには
手段を選ぶ必要がなく真っ当に競争をするよりも談合・カルテル・独占や違法行為・詐欺的商法、
嘘をついて批判・レッテル貼りを行うほうが得(徳)であるとの反競争的な倫理観が世相を支配するようになる

またツバを飛ばしながら正面切って議論を行うことを本質的に嫌う、なぜなら対等な関係では意のままに
従わせることができず、同意を得なければならないし、相手が拒否すれば強制はできない。
如何なる誤った行いであっても、徳(身分の高い、社会的信用、儒教的な礼=上位者に逆らわない、上下身分制度・尊卑制度を遵守)のあるものの意見・行動が優位に立つ。
しかし同列の者同士であれば、上からの命令を受ける従順なものが上位者となる。
この思想では、下位者は(上位者とそっくりの借り物の思想を用いるだけの)無能で従順であるほど徳が高くなる。
そのため議論を逃げ続けたものが勝者となるが、戦略に誤りがあり修正が必要な場合に対処方法が無くなる

序列主義は戦争・競争のルールが確定してる際には強いが、競争のルールが変動した際に不適合な人材を抱えるため
戦争には不利な要素として働く

> 序列主義は、成功しているものが偉く、成功していないものは卑しいという観点から事物を見る

http://bunshun.jp/articles/-/3755
盛田 昭夫
文藝春秋 1961年12月号
「スイスの靴屋は、一人一人が自分は誰にも負けない靴をつくるのだ、という誇りを持っている。学校にいかないことを恥じたりはしない。アメリカのホテルのボーイは
誰にも負けないサービスをする自負がある。だからソトでお客とあっても対等で口を利くのである。しかも靴をつくる能力とサービスをする能力はそれぞれに尊いもので、
どちらがより尊いというものでもない。ビジネスの能力もまたしかり、なのである。」